高橋順子と車谷長吉――『夫・車谷長吉』ほか(6)

最後に読むのは『鹽壺の匙』である。これは前にも述べたように、終わりの二篇が、その前の四篇とはまるで違っている。前の四篇は、巧みなところもあるけれど、いかにも「私小説ふう」の小説である。
 
あとの二篇、「吃りの父が歌った軍歌」と「鹽壺の匙」は、私小説と言えばいえるのだが、しかしそんなところは飛び越えて、読む者の胸に迫り、その存在を脅やかす。
 
これは姫路、飾磨の、四代にわたる人びとの物語である。「家付娘の祖母は、曾祖父と共に、闇の高利貸しだった。」これが基調低音をなす。そしてこれが、しがらみの基いをなす。
 
これにたとえば、父のことが加わる。「吃りの父は尋常小学校を卒業後、一年間吃音学院へ行ったが、完治せず、癇癪が起こると吃りもまた酷くなるのは、滑稽で哀れだった。」

「私」は首尾よく東京の大学に入り、そこを出てそのまま就職するが、しかし心の底は乾いている。

「心がからからに乾いた井戸だった。それが私が直に触れたその頃の私の生活だった。恋がしたい、と言うのではない。何か自分の命を削ってもと思えるものを渇望していた。」
 
この小説には、上手いなあと思えるところが、あちこちにある。二度目に就職した出版社で。
「広田さんはこう言って起ち上がり、帰り支度を始めた。ハンドバッグの中が淋しい三十過ぎの嫁き遅れの女。・・・・・・この女(ひと)もまた東京三界の底無し沼へ流れ込んで来た流人の一人だった。」

しかし「私」は結局、職を失い、飾磨に帰ってすることもなく、逼塞してしまう。
 
あるとき、そこへ弟が、ガザニガという知り合いを連れて来る。ヴェトナム戦争で招集される直前の、ガザニガと一家の奇妙なやり取りが描かれ、そこで父は、「〽勝って来るぞと 勇ましく」と、やや甲高い声で、吃ることなく歌ってみせるのである。
 
このガザニガは、ヴェトナムで戦死してしまう。するとなんと、弟は志願兵として、アメリカに行ってしまうのである。

「鹽壺の匙」は二十代で、自殺した叔父の話である。ここでも、曾祖父と祖母は、闇の金貸しとして、一族を内面から縛ろうとする。

「・・・・・・母の実家へ行くと、奥の暗がりでよく曾祖父が銀行の人と何かひそひそと話していた。その濃密な空気には、老い耄れてもなお、銭への執念にうめいている男の殺気立つような凄みがこもっていた。」
 
あるいは祖母の話。
「一里の道を歩いて姫路高女へ通っていた時分、御茶ノ水女高師出の先生がいて、愛がどうの、へちまがどうの、と言っていたが、ゆきゑは、牛は牛連れ、馬は馬連れ、言葉は儚いもんや、と思っていた。」
「ゆきゑ」は祖母の名前である。
 
こういう物語を通じて、車谷は何を言いたかったのか。

「併し私は文子のことを語っているのではない。ある金貸し一族の物語りをしているのでもない。私という存在が呼吸した闇の力について語っているのである。語ることは自分を崖から突き落とすことだ。」
 
そういうところに、高橋順子の力を得て、立つことができるようになったのだ。
posted by 中嶋 廣 at 17:04Comment(0)日記