高橋順子と車谷長吉――『夫・車谷長吉』ほか(5)

ピースボート主催の南半球一周航海への参加は、高橋順子の発案だった。長吉は、三カ月以上も置いていかれては困る、と思ってついてきたのである。

「うちの嫁はんは、私が日本脱出に同意しなければ、私を家におっぽっといて、自分一人で世界一周旅行に行っただろう。私は家に百日も取り残されるのが恐かった。」
 
これは、同時進行で原稿を『文學界』に載せ、その後、加筆して『世界一周恐怖航海記』として刊行された。本の帯に、「船上にて自らの半生を綴った100日間」とあるが、日本を離れたぶん、半生を振り返る、その振り返りぐあいが、ちょっと変わっていて面白い。
 
そもそも長吉は、世界一周旅行に怯むところがあった。
「人はなぜ世界一周旅行を羨ましいと思うのだろう。私には分からない。世界には魑魅魍魎が跋扈しているのに。」
 
しかしとにかく、ついて行かねばならない。ただ、大海原の真ん中にいて、来し方を考える以外に、することがない。

「平成二十年春に某出版社から、私の全集が出る予定なので、それまで生きていられたら、本望だ。もうこの世に思い残すことは何もない。強迫神経症が苦しいので、私は早くこの世を立ち去りたい。文学のほか一切を捨てて生きて来た。無常(死)を感じたら、文学をやる以外に、生きる道はなかったのである。」
 
悲痛な叫びだが、でもどこか対象との距離が、取れているように感じられる。対象はもちろん、文学をやる自分であるが、この「自分」が、よく見定められている。

「私は生を楽しむことが嫌いだ。苦を楽しみたい。困った人だ。」
最後の「困った人だ」という押さえが、よく効いている。
 
次はちょっと道学者ふう。
「この船の生活には、慰めがない。『しみじみとした生活』がない。みんな、生の楽しみをむさぼろうと、はしゃいでいる。この『むさぼる』というのが、私は嫌いだ。」
 
しかしとうとう長吉にも、船旅の思いもかけない感動が訪れる。

「イタリア氷河は山から一気に海へなだれ込んでいた。太古の風景だ。原始の光景だ。気温、零下三度ぐらい。夏なのに。感動に胸が慄える。この旅に来て、よかった。雨が来て、晴れると、虹が立った。」
 
車谷は基本的に、じっと家にいるのが好きだ。いつも家に居たいのに、高橋順子に引っ張りまわされる。でも、旅行に来てよかったと、心から思うときもあるのだ(たぶんそれを文章にしたのは、この一回だけだと思うけど)。ここは読んでいて、思わず感動してしまう。
 
しかしもちろん、車谷長吉の根っこは変わらない。

「バルパライソ港着岸。軍港。美しい港だ。
 八時半、順子さんと町へ出る。歩いているうち、急に便意をもよおし、カフェを探すが、見当たらず。ますます便意はつのり、繁華街の洋品店の前でパンツを脱いで糞をする。下痢。」
 
わざわざ「下痢」と記すところがおかしい。
posted by 中嶋 廣 at 18:40Comment(0)日記