高橋順子と車谷長吉――『夫・車谷長吉』ほか(1)

高次脳機能障害のリハビリため、毎日一時間を朗読に当てている。本当にそれでよくなるかどうかは、分からない。病院でも、脳のためには朗読がいい、なんて全然言われなかった。でもとにかく、何でもやってみなければ分からない。

この前は、『昭和解体―国鉄分割・民営化30年目の真実―』を、二十日以上かかって朗読し終えたが、これは本当に詰まらなかった。

ここで味のよいのをもってこなければ、朗読そのものが嫌になってしまう。というわけで、少し前に黙読し終えた『夫・車谷長吉』はどうだろうか。

これは少し読むと、言葉が身体に染みていくのが分かる。こんなことは初めてだ。養老孟司先生の朗読用の本も、頭には染み込むが、身体に沁み込んでいくのは、高橋順子さんの本が初めてだ。
 
それを横で、田中晶子が聞くともなしに聞いていて、この男と女の話は面白いね、映画になるね、と言う。田中晶子は脚本家だから、映画になるね、は最大の褒め言葉だ。
 
たとえば、と田中晶子が言う、はじめて曙橋駅のそばの、喫茶店「クラウン」で会ったとき。

「ほっそりした坊主頭の人だった。向き合って座ったが、何もしゃべってくれない。怖くなって、後ろへ身を引いた。」
 
まず後ろへ身を引く。しかし身を引いたっきりでは、何も始まらない。そこで意を決して、声をかけてみる。

「頭陀袋をわきに置いていたので『いい布の袋ですね』と私が言っても黙っている。『布の袋だと落ち着きますでしょ』と言っても返事がない。私はまた後ろに身を引いた。」
 
頭陀袋ぐらいしか、どうにも褒めるものがない。それで、褒めてはみるけれど、相手は無反応。これでは、後ろに身を引く以外にない。これは滑稽極まりない、でも温かい場面だ。
 
なるほど、田中晶子の解説つきだと、その場の情景がよくわかる。言葉が、いっそう身体に沁み込んでいく。
 
この後二人は、短い会話をする。
「しばらくして積み木の箱を出して、『これ、お祝いです』とやっと言ってくれた。『ありがとうございます。もう時間なので』と私は立ち上がると、その人も立ち上がった。外に出てその人の目を見たとき、こんな澄んだ目の人は見たことがないと思った。」
 
最後の押さえ、「こんな澄んだ目の人は見たことがないと思った」、というのがとてもいい。

これで、全部で半ページほどの描写だが、そんなふうに解説されると、男と女の心理の襞が、動作を通して、じつに立体的によく分かる。
posted by 中嶋 廣 at 18:06Comment(0)日記