すれちがい――『ちいさい言語学者の冒険―子どもに学ぶことばの秘密―』

岩波科学ライブラリーの一冊。この本は、じつに詰まらなかった。
 
僕は三年前に脳出血になり、その後遺症で、高次脳機能障害になった。病院にいた半年間のうち、特に最初の頃は、言葉はほとんどしゃべれなかった。もちろん書くなど、とんでもない。

三か月が経ったころ、キーボードを前にしても、一字も打てなかった。「a」でも「あ」でも何でもよい、一字くらいは何とかなりそうだと思うのだけど、それが何ともならない。なぜ一字も打てなかったのだろう。
 
それが、ほぼ三年足らずの間に、少なくともキーボードは打てるようになり、会話も、スムーズにではないが、なんとか用は足りる。三年の間、僕の体に起こったことは何か。そういう興味をもって読んでも、得るところは何もない。
 
広瀬友紀という東大の先生は、いずれ大人になれば、言葉を上手に操れるようになるものとして、対象と接している。でも、それは違うのではないだろうか。

「ことばってなんと奥が深い知識体であることか、そしてそれを遠い昔に自力で身につけた、かつての自分の頭の中ではどんなに面白いことが起きていたことか。」
 
確かに自分の頭の中で、何かが起きていた。それは間違いないが、しかし大人になって、余裕をもって振り返るようなことでは、ぜんぜんないんじゃないか。こどもは、もっと切実に、今日を一杯一杯、生きているんじゃないだろうか。言葉の習得も、そのような一回性のもとで、なされたのではないか。
 
とはいっても、個々の事例は興味深いものばかりだ。
例えば、「『た―だ』『さ―ざ』『か―が』の間に成立している対応関係が成り立っているのは、『ぱ(pa)』と『ば(ba)』の間の方なんですね。日本語の音のシステムでは『は』『ぱ』『ば』が奇妙な三角関係をつくっているようですが、『ば(ba)』の本来のパートナーは『ぱ(pa)』と考えるべきです。じつは、大昔の日本語では、現在の『は』行音はpの音であったことがわかっています。」
 
じっさいキーボードを叩いていても、濁点を打つか打たないかは、非常に迷う。いまでこそ、濁点のあるなしは、眼で見てわかるけれど、それでも一度は見ておかないと、不安でしょうがない(僕はブラインドタッチでは、キーボードが叩けないのだ)。
 
そしていまでも、「は」の濁点のあるなしは、非常に迷う。それは、この本を読むと、「は」と「ば」が、正確に対応してないからだ、ということがわかる。
 
でも広瀬先生は、大人になれば、そんなことで迷っているような人はいないから、楽しみながら、子どもの言い間違いを見つけてあげましょう、という態度だ。これは、「ちいさい言語学者の冒険」を上から見ている、きつい言い方をすれば、子どもをバカにした態度だ。
 
いや、もちろん僕の目指すところのものと、著者のそれとが、うまく噛み合ってないということは、よく分かっている。
 
そのうえで、もう少し積極果敢に、子どもの言葉に肉薄できないものか、ということを言いたかったのである。

(『ちいさい言語学者の冒険―子どもに学ぶことばの秘密―』
 広瀬友紀、岩波書店、2017年3月17日初刷、5月26日第4刷)
posted by 中嶋 廣 at 16:37Comment(0)日記