正直な人――『あのころ、早稲田で』(2)

中野翠は、夏休みの社研の合宿で、福田恆存に興味がある、と語ったことがあった。マルクスやエンゲルスの著書が、読書会のメインのところで、よくそんなことが言えたなと思う。

「今思い出して自分でも意外に思う。はたちになるかならないかという時点で、私、もう福田恆存に惹かれていたんだな、と。身にしみて読んだのは、ずうっと後。三十代になってからのことだった。」
 
このときはもちろん、福田は保守反動のレッテルを貼られて、それ以上の発言はできなかった。
 
ここではこれだけだけれど、福田恆存についてどう思うかは、ぜひ聞きたいものである。なにしろ「身にしみて読んだのは」、というくらいなのだから。中野さんは、『父・福田恆存』(福は旧字体)も、読んでいるに違いない。
 
また花田清輝の「楕円の思想」や、吉本隆明に惹かれていたようで、吉本隆明の著書の中では、『芸術的抵抗と挫折』(1959年、未来社)が面白かったと記している。このあたりは、編集者・松本昌次さんの、手の中という感じがする。
 
しかしともかく、戦後すぐの焼け跡で、花田清輝と吉本隆明から出発するとすれば、思想的に考えても(と言うとなんだか偉そうだが)、たいしたものだ。その嗅覚は、なかなかのものである。
 
この時代、いろんな話題が出る中で、一つだけ、こういう話がある。

「恥ずかしい話だが、部室で一度だけ、泣いてしまったことがある。
 ・・・・・・
 いったい何が発端だったか、もはや全然記憶がないのだが、ウッスラと言い合いのようになり、やがて私に対する(大げさな言い方だが)人格攻撃のようになっていった。
 ・・・・・・
 私はムキになって言い返していたけれど、内心『痛いところをつかれた』という感じがあった。反論しているうちに、つい、口惜し涙が・・・・・・。
 Iさんはあきれたのだろう。何か冗談を言って、話をしめくくった。私は頭が混乱してボーンヤリしてしまった。」
 
いやあ、青春ですなあ、と半分バカにしているようではいけない。『卒業写真』を前にして、〽「変わってゆく私を/あなたはときどき/遠くでしかって」、という歌詞もあるでしょう。こういうエピソードが、さり気なく差し挟まれているかどうかが、青春回顧物の正統さを決定づけるのである(まあつまり、僕が気に入っている、ということですが)。

正直な人――『あのころ、早稲田で』(1)

中野翠は読んだことがなかった。いや、正確に言えば、ちょっとだけ読んだことがある。『サンデー毎日』のコラムを池田晶子さんが書いていて、そのとき同じく、中野翠がコラムを書いていたのだ。
 
池田晶子さんは、垂直に運動する文章を書いた。それ自体が、週刊誌には珍しい。このときは、池田さんの文章を読むのが目的で、しかし他にも何かあればなあ、というつもりだった。

で、ぱらぱらめくるが、『サンデー毎日』には他に何もない。中野翠もそのうちの一人だった。何本かコラムを読んだことはあるが、気持が動いていくということはなかった。
 
今回、本書を読んでみて、少し認識が変わりました。垂直には運動しないけれど、平面を動いて行くときの動き方が、非常に感じがいい。
 
60年代後半の喧騒の早稲田で、その動きの中心のそばまで行きながら、躊躇して台風の目には入らない。その躊躇の仕方が、いかにも中野翠なのである。
 
たとえば1966年、早稲田大学は学生のシュプレヒコールに対抗して、機動隊を導入し、何人かの活動家が指名手配を受け、また学生は何百人も逮捕されたというとき。

「もうこのへんから女の出番は無いですね。男の世界ですね。校舎内に泊まり込んでザコ寝なんてできないもの。不潔でイヤだもの。」
 
本当に正直なんだな。そんなこと言うんだったら、早稲田の、しかも政経学部なんて行くなよ、と言いたくなる。
 
でもね、そういう時代だったんだなあ。中野翠よりも、数年後で大学に行くことになる僕は、受験で上京してくるとき、新幹線の中で、赤軍派のあさま山荘事件の実況を聞いていた。後に学生運動の終焉として、象徴的に語られる話だ。
 
しかしその後の僕の、寮の机の上にはまだ、岩波文庫の社会科学の本が山積みになっていた。僕だけではない。文科系の寮生は、たいていそんなものだった。
 
だから、僕よりもちょっと上の中野さんが、「立派な左翼になりたくて」早稲田の政経に入ったところまでは、本当によく分かる。そして「社研」に入り、台風の目の近くまで、行くことは行く。でもそこまで。

「私は・・・・・・セクトに属することに関しては、思いっきり腰が引けていた。警戒していた。私には政治的センスが欠けているし、思想的にもまったく未熟だし・・・・・・という謙虚な気持もあったけれど、それより何より『徒党を組む』ということ自体が苦手だったからだ。理屈抜き。生理的にダメ。それは今でも変わらない。」
 
で結局、喧騒の早稲田と、中流の平常そのものの家庭を、毎日行ったり来たりしているだけという。

「私は家を出ることができなかった。第一に自力で学費や生活費を稼ぎ出す自信がなかったし、第二に家庭生活の安楽さ(TVでお笑い番組を観て喜々としている私)も捨て切れなかったから。」
 
中野翠は、本当に正直な人だ。

高級な親子――『父・福田恆存』(4)

「第三部 父をめぐる旅路」は、親子の確執が語られるが、その前に、福田恆存と芥川比呂志の対立がある。ここも面白いが、しかしつづめて言えば、一つの劇団に両雄が並び立つことはない、ということだ。

数えで七十歳のとき、福田恆存は脳梗塞に見舞われる。この脳梗塞は軽度で、後のMRI検査でも、梗塞の後が見られないほどだった。しかし後で振り返ってみれば、福田恆存の晩年は、ここから始まっていたのだ。

「脳の病は恐ろしい。その後、物を書くにしても演出するにしても、嘗ての切れ味の良さは恆存の仕事から徐々に失はれてゆく。痕跡すら残さぬ程度の軽度の梗塞であれ、脳がダメージを受けたことが、急激な速度で父の衰へを加速させた。」
 
脳梗塞の後が、残らないくらいの程度であっても、脳の病気はダメなのだ。そうすると、僕のように、はっきり後遺症が残るような場合は、ますますダメだなあ、と悲観していてもしょうがない。やれるところまで、やらなくては。
 
福田恆存の場合、脳梗塞の後、何が変わったのか。
「福田恆存が書く文章の魅力といへば、やはりその論理の飛躍の見事さ、とでもいふか、そこまで跳べるかといふ跳躍をしてみせ、しかもそれが一見矛盾してゐるとすら見えかねない論理の展開を納得させてしまふ躍動感にある、さう言つたら分かつて頂けるだらうか。・・・・・・脳梗塞後、その跳躍のエネルギーが徐々に落ちて行つたといふのが私の実感である。」
 
そこで、もう書くのはやめたら、と著者は恆存に言う。衰えのわかるものを公刊して、晩節を汚さなくてもいいではないか。しかしこれは、福田恆存みずからが首肯するところではない。
 
しかもこれに、劇団の諸々が絡む。
「吾々親子の『悲劇』は私が劇団の仕事で、父の跡を継いでしまつたことに始まる。跡を継いだことによつて二人の会話も殆どが劇団関連のことにならざるを得ない。」
 
子供が成人してしまえば、普通はもう、頻繁な会話はなされない。しかし、この親子は違った。

「他人を交へた会議の席ならまだよい。これが二人で帰宅して、同じ屋根の下に住む親子に戻つた瞬間から、恐らく父は会議で抑へ込まれた憤懣がやるかたなく、私に向つて噴出するのだらう。・・・・・・私は私で『親父いい加減にしてくれ』といふ気持が湧き、劇団の会議の席上より激しく窘(たしな)めることにもなつてしまふわけだ。デーブルを叩いて怒鳴りつけたことさへあつた。」
 
二人の仲は以後、二度といい状態に戻ることはなかった、と著者は言う。でも考えてみれば、それは親子一般のこととして、むしろ当たり前のことなのだ。それよりも、わが子を一人前として扱う、福田恆存の人との付き合い方に、何よりも感動した。

(『父・福田恆存』福田逸、文藝春秋、2017年7月30日初刷)

高級な親子――『父・福田恆存』(3)

このあと中村光夫、吉田健一、三島由紀夫、神西清と続いて行くが、そのところどころで子供の目から見た、というよりも、むしろ同じ地平で、一人の人間として、福田恆存の動向や佇まいが、垣間見える。

例えば、翻訳仕事に関する一シーン。
「そんなことより、福田恆存の翻訳――シェイクスピアに限らず、大丈夫なのか・・・・・・。さういへば、『老人と海』は訳した状況にもさまざまの事情もあつたやうで、初版は『誤訳』の山だつた。『さまざまの事情』の一つは、・・・・・・まさに渡米前の『やつつけ仕事』の一つだつたのだらう、不在中の家計維持のために、渡航準備に追はれながら時間のない時期に手掛けた金儲け仕事といつたところか。」
 
いやあ、知らなかったよ。僕は中学生のとき、『老人と海』を、解説まで読んで、福田恆存に興味を覚えたのだ。それが語訳の山だったとは。

でもとにかく『老人と海』は、僕の大変気にいるところとなり(だから当然、何回も読んだ)、そこから福田恆存の評論、すなわち防衛問題や国語表記について、果ては日本の近代化論までを、読むようになったのだ。
 
もちろん防衛問題については、「べ平連」が一世を風靡していた時代だから、僕ら高校生には、およそ福田恆存の言っていることは、受け入れられなかった。
 
本書に戻ってみれば、著者は福田恆存の翻訳を、「渡航準備に追はれながら時間のない時期に手掛けた金儲け仕事」と、痛いところまで、じつに正確に描いている。そこは本当に見事である。自分の父親を、一片のイヤミも交えずに、というか逆に愛情をもって、こんなふうに書けるなんて、凄いことである。
 
あるいはまた、肉親でなければ書けない、福田恆存のこういうところも。
「ところで、この間違つたことを嫌ふといふ態度の、そのおほもとにあるのは一種の美意識だと私は考へてゐる。正義感とは全く違ふ、人のあるべき居ずまひ佇まひとでもいつたもの、さういふところに福田恆存は居心地の良さを感じ、さういふ物差しに基づく基準を何事においても当て嵌めようとし続けたのだと思ふ。」
 
美意識と正義感では、著者も言うように、まるで違う。だから僕が、その本は読んでも、敬して遠ざけたい気持は、今となって見れば、自分でもよくわかる。
 
また著者の見るところ、福田恆存には、次のような本質的な性向もあった。
「・・・・・・『生来の楽天家』こそ自他ともに認める福田恆存だと思へる。日頃接してゐた父に悲観の姿は寸毫も見られなかつた。」
 
己の美意識を全面的に打ち出してくる、生来の楽天家、とくれば、やっぱり会うことに躊躇するだろう。
 
しかしここで注目すべきは、「日頃接してゐた父」という文言であろう。同じ屋根の下にいたからといって、「日頃接してゐた父」と書けるとは限らない。
 
そういう著者に、福田恆存は、こんなことも語っていた。
「父は常々私に、かういふことを言つてゐた――どこへ行かうとしても、前に小林秀雄がゐるんだ――それはさうだらう。」
 
そうか、小林秀雄がいた時代は、ほかの批評家にとっては、大変な時代だったんだ、ということが言いたいのではない。そうではなくて、そんなことを子供に向かって言うことが、どれだけ率直極まりないことであるか、ということだ。

僕が父親として、子供に向かって、自分の一生の課題を言えるか、と言われたら、まず無理だ。たぶん父親で、わが子に向かってこういうことが言えるのは、ほとんどいないのではないか。

高級な親子――『父・福田恆存』(2)

この本は第三部に分かれていて、第二部に、大岡昇平(平は旧字体)、中村光夫、吉田健一、三島由紀夫、神西清のそれぞれと、福田恆存が、どういうふうに絡んでいったかを描いている。
 
もともとは「鉢木會」という名称で、福田恆存、中村光夫、吉田健一の三人が、持ち回りで会食し、もてなし合うことからはじまった。そこに吉川逸治(逸は旧字体)、神西清、大岡昇平、三島由紀夫らが加わった。もちろん、そのときどき出入りがあるし、時期によって付き合いに濃淡があるのは、当然である。
 
最初の一章は、「晩年の和解――大岡昇平」である。大岡と福田は、あるところから関係が途絶えた。それはもちろん、二人の政治的傾向に原因があった。

「誤解を恐れずに言えば――進歩派と保守派、左と右、理想主義的反戦主義者と現実主義的戦争肯定論者の仲違ひであつたことは事実だらう。」
 
ともかく、理想主義者・大岡昇平と現実主義者・福田恆存とくれば、どちらも大向こうを唸らせる、喧嘩の名手である。

しかしその晩年、老いて病身になった福田恆存が、おなじく老病の身になった大岡昇平に、自分の全集を贈ったのをきっかけに、和解の時が訪れる。

「全集、なん冊もありがとう。もっと早くお礼を/いわなければならなかったのだが、すこし固く/なり、書きにくい工合もあった。・・・・・・こっちもすっかり弱って、心不全、白内障/歩行失調、難聴と重なって、机に向うだけが楽しみ/だが、それも二、三枚書くとばててしまう。」
 
これに対する福田恆存の返事が、コピーの形で残っている。なぜコピーとして残っているかは、よくわからない。

「・・・・・・大岡さんは心不全だの何だのと言ふけれど、手紙の文章はちやんとしてゐる/こちらはそれに引換え、脳梗塞の後遺症といふのでせう、頭が働かない/のです。この手紙にしても、今まで書きだして十枚もムダにして、どう書いたらよいのか/全く方途がつかず、話が前後入り乱れ、何が何だかわからないものに/なりさうです。やはり言語障害をきたしてゐるのす(ママ)。それに右手が不自由/なので、下手な汚い手紙になつて済みません。」
 
もちろん冒頭部分を皮切りに、お互いが思いを語り合うのだが、その「二人の結ぼれがほどけてゆく感じが、まざまざと感じられ」て、ここは本当に胸に迫るものがある。

とくに、脳出血の後遺症で、高次脳機能障害を患っている僕には、二人の手紙が、どちらも他人事とは思えなくて、ひどく胸を打たれた。

高級な親子――『父・福田恆存』(1)

これは名著。福田恆存の書くことに賛成であれ、反対であれ、そんなことには関係なく名著、そうとしか言いようがない。

福田恆存のことを、次男の逸(はやる、正式には旧字体)が書いた。
福田逸は1948年に生まれ、上智大学英文科の修士を出た。明治大学教授を務めるかたわら、翻訳家、演出家としても活躍している、と著者略歴にある。

訳書に『名優 演技を語る』(玉川大学出版部)、『エリザベスとエセックス』(中公文庫)など、また舞台演出に『ジュリアス・シーザー』『マクベス』『リチャード三世』などシェイクスピアものから、ノエル・カワードの『ヴァイオリンを持つ裸婦』『夕闇』など、現代劇に至るまで多数を手掛けている。商業演劇や新作歌舞伎の演出では、『黒蜥蜴』『道元の月』『お國と五平』など。
ただし翻訳を別にすれば、本書は初めての単行本になる。

著者略歴からもわかるように、福田逸は、恆存の後を襲っている。福田恆存が中心を占めた劇団を、同じ演出家として、跡を継いでいる。つまり世襲である。後年、これが親子の確執の元となる、と福田逸は記す。

しかしもともとは、友達のような親子だったのだ。
「父の私の親子関係は、世上一般のそれとは少々違つてゐたのかもしれないと思つた。そのことが、やがて、二人の間に決定的な亀裂を齎(もたら)してしまつたのかもしれないが、それはまた先の話にしておく。さういへば、正確な記憶ではないが、何かの芝居の初日ロビーで、丸谷才一だつたらうか、『友達のやうな親子ですなぁ』と、どういふつもりで言つたのかは知らぬが、さう評された。」
 
福田恆存が親で、友達のような親子関係というのは、ちょっと信じられない。だって、恆存は何となく怖そうでしょう。文字遣いも旧かなだし。

そういえば、福田恆存が旧仮名使いである以上、子供もやっぱり旧仮名なんでしょうね。というかこの本は、そういうふうになっている(これは引用するとき、いちいち新仮名を旧仮名に直さなければならないので、恐ろしく手間がかかる)。
 
それはさておき、友達のような親子関係というのは、この本の文章の端々に現われている。

たとえば著者は、小学校に入ってすぐに、ペルテスという股関節が変形する病気になる。これは十万人に五人の確率で発症し、関節の変形は治らない。さらにこれは、親が喫煙すると、子供が罹る確率が高くなる。
「といふことは父・恆存に責任があるといふことになるまいか。」
 
こういうことを、とくに嫌味ではなく、サラッとかけるということは、かなりお互いが自立していなければ難しい。

これも一面の真実――『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(3)

ブレイディみかこは、文章を書き始めたころは、子供が嫌いだった。子供は本当の苦労はしていない。自分は駄目なやつで、ダメなものは全部、自分の責任である、そういう本物の苦労をしていない。

「そんなわたしであるからして、この年になるまで一度も身籠ったことがないというのも、『こいつにガキなんか任せたら、えらいことになる』と直感した大自然の計らいなのかもしれず、『お前が子供を産んだら、ぶち切れるか過失で、絶対に殺すな』という連合いは、さすがによく配偶者のことを理解している。」
 
ところがそう言っていた著者が、2年後には資格を取って、保育士になり、果ては男の子まで儲けている。そしてそのころから、書くものに幅というか、社会性が出てきたのだ。
 
それにしても、ブレイディみかこの書くものは、最底辺をのたうちまわっている割には、そしてそれふうの人ばかりが出てくる割には、なぜか明るい。

文庫の帯の推薦文にも、「イギリスの負の側面までが不思議な輝きを放ち始めることに驚嘆した」(佐藤亜紀)と書かれている。この明るさというか、言ってみればケセラセラは何なのか。

「わたしのフィロソフィーは、あくまでもノー・フューチャーだ。私のような者の人生に、そんなにいいことがあるわけがない。と言うと、『そんなに未来に希望が持てないのなら、生きる甲斐がないじゃないか』と言われることがよくある。」

そうか、「私」のような人生に、そんなにいいことがあるわけがない、というこれまでの生き方に、やっぱり含みというか含蓄があるんだ。

「だが、生きる甲斐がなくても生きているからこそ、人間ってのは偉いんじゃないだろうか。最後には各人が自業自得の十字架にかかって惨死するだけの人生。それを知っていながら、そこに一日一日近付いていることを知っていながら、それでも酒を飲んだり、エルヴィスで腰を振ったりしながら生きようとするからこそ、人間の生には意味がある。そういう意味だったら、わたしもまだ信じられる気がする。」
 
ブレイディみかこの書くものは、やけくそと紙一重ではあるけれども、じつに健康だったのである。
 
その健康さが、最近の書くものでは、どことなく陰りを帯びているし、場合によっては、悲惨でさえある。でも、それでも明るさを失わない英国は、この人にしか書けない。

(『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』
 ブレイディみかこ、ちくま文庫、2017年6月10日初刷)

これも一面の真実――『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(2)

英国のブライトンのうちでも、ブレイディみかこの住んでいる辺りはワーキングクラス、つまり階層でいえば最底辺だから、近隣に住む人も、日本人から見るとブッ飛んでいる。

「この国の、特にワーキングクラス(上流、中流の家庭だと、世間体を気にするでしょ、やっぱり)の方々は、子供が何人いようがそんなことはちっとも気にせず、複数の子供を連れて離婚し、子連れで再婚して、又離婚して、なんてことを繰り返すもんだから、子供たちにとっては、身内の輪が拡大して、家族関係が複雑化するばかりである。」
 
うーん、じつはこういう人は、子供が保育園のときに、いたことはいたのである。母親がいて、兄弟三人とも、父親がちがっている。しかも母親とずっと一緒にいる、戸籍上の父親は、三人兄弟の誰の父親でもない。

しかしそういう人々が、層をなしているということはなかった。そういう母親、または父親が、あっちにもこっちにもいる、ということではなかった(と思う)。
 
よく考えると、子供が小さい時の、多摩方面での体験と、ブレイディみかこが挙げる、ワーキングクラスが経験することとは、ちょっと違うことですね。
 
その結果、日本人の精神的風土とは、まるで違う階層ができる。
「父親はリストラされ、母親は浮気してるし、息子は引き籠もっちゃって家庭の崩壊・・・・・・なんて小説が成立するような国から来たヤワな東洋人は、もうひたすら驚嘆するしかないような、淡々としたアティテュードを身につけておられる。
 タフよ。この国のワーキングクラスは。」
 
でもなあ、僕はやっぱり、うじうじしている私小説が成立している地域の方が、好きだなあ。これはもう、好みの問題としか言いようがない。
 
このワーキングクラスに所属する人々は、全国的に一つの共通項がある。それは英語の「訛り」である。著者によれば、日本人が習うような文法は、アッパークラスやミドルクラスが使っているのであって、著者のまわりでは、家族も含めてまるで異なっている。

「ワーキングクラスの文法は全国津々浦々、滅茶苦茶である。単数も複数もあったもんじゃない。/このように、英国では、喋る言葉ひとつ取ってもいまだに金持ちと貧乏人との間には歴然とした隔たりがある。」
 
こういう階級の差については、日本にいる限りは、よくわからない(むしろもう一度、市民革命を起こして、社会をひっくり返さないといけないんじゃないか)。
 
それよりも、ワーキングクラスの文法は滅茶苦茶だけれど、「米国のジョージ・ブッシュほどひどくはないが」、という注記がおかしい。これがトランプの時代だと、どうなっていただろう。

これも一面の真実――『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(1)

ブレイディみかこが続く。これは最初から文庫である。というのは、二〇〇五年に『花の命はノー・フューチャー』と題して、二〇〇四年から五年にかけてのエッセイ集を、自費出版で出したが、まもなく版元である碧天社が潰れてしまった。

そこで今度は碧天社版に、未収録エッセイと、書き下ろし原稿を加えて、デラックス・エディションの文庫としたわけだ。

例によって短い文章を集めたものだが、なかで珍しく祖母について語っている。
「彼女は、生涯独身だったくせに労働らしい労働もしたことがなく(常に誰かが貢いでくれたのだろう)、複数の子供まで産んだ明治生まれのシングルマザーだった。」

明治の世にシングルマザーとは珍しい。ところがこの祖母は、アルツハイマー病が疑われて脳のスキャンを撮ったとき、脳に物理的な異常があることがわかった。もともと、ちょっとおかしいところがあったのだ。

一番のおばあちゃん子だった著者には、じつはそのことは、そうとう早い時期に感じられていた。
「季節の変わり目になると、なんだか祖母はおかしかったからである。理由なき焦燥感というか、パラノイアみたいなものに襲われていたようで……そういう時の祖母のエネルギーは物凄かった。猛獣みたいだった。祖母は自分の中の何かを、必死で外に出そうとしていたのだと思う。」
 
そういう祖母を、その異常なものも含めて、著者はこの上なく好きになる。
「・・・・・・わたしがしょっちゅう彼女の家に泊まりに行ってたのは、たぶん、彼女のエキセントリックな魅力が好きだったというか、あの獰猛な純粋さに惹かれていたのだと思う。」
 
結局この祖母は、「自分の中の尋常でないレベルのエネルギーをうまく輩出する術を知らずに、それに振り回されて混乱するばかりで、いわば混乱したままの状態で死んでいった。」
 
著者はその祖母を惜しんで一篇を閉じているが、これはどう見ても、祖母の生まれ変わりとしか言いようがない。
 
自分の中で暴れる猛獣をどうにもできなくて、憤死した祖母のかたきは、自分がとってみせる。そういうことだ。

思いっきりミクロな視線で――『子どもたちの階級闘争―ブロークン・ブリテンの無料託児所から―』(3)

ヨーロッパでは、EUが緊縮財政を各国に押しつけ、英国では若者、とりわけ子どもたちが、甚大な被害をこうむっている。著者は、英国に住んでもうすぐ二〇年になるが、朝食を食べずに学校に来る子が、ここまで広がっているのは、見たことがないという。
 
なぜこういうことが起こりうるのか。経済学者のポール・クルーグマンは、ヨーロッパの政治指導者たちは、みな「緊縮狂」にかかっているという。

「クルーグマンは『緊縮狂』がこの財政政策に拘泥する理由の一つとして『財政赤字を減らそうとする政府の努力に投資家たちが好感を示すからだ』とわかりやすく書いている・・・・・・」
 
つまり、英国はあまりにも金融機関化しており、国民そっちのけで、投資や金利、資本といったことに、がんじがらめに囚われ過ぎている、というわけだ。
 
しかし、よく考えてみると、ブレイディみかこは、岩波やみすず(本書の版元)から本を出すかわりに(いや別に出してもいいけども)、それよりも、こういうことを英語で言い、声を大にすべきなんじゃないだろうか。
 
いくら〈緊縮託児所〉が悲惨を極めていても、いくら英国の保守党がまちがった緊縮財政をしいても、それを日本人に訴えているのでは、どうしようもない、あさっての方向ではないか。
 
いやじつは、そうではない。英国の苦闘は、日本の遠からぬ将来、ひょっとすると明日にも直面する、困った事態なのだ。
 
たとえば介護。人手が圧倒的に足りない世界で、外国人をなんとか容れているが、これはまだ始まったばかりだ。片方の親が、外国人の子どもが30パーセント、両方の親が、外国人の子どもが20パーセント、という事態までは考えちゃあいない。
 
そんなことは、考えないで、済まされるというのか。日本人の数は、外国人を取り込まなければ、どんどん先細りしていくというのに。
 
しかし本当を言えば、ブレイディみかこの書くものは、たとえ英国のことであっても、とにかく抜群に面白いのだ。「底辺託児所」であっても「緊縮託児所」であっても、最底辺のところに、何か希望に似たものがあるのだ。
 
それが何か、僕にはよくわからない。ひょっとすると、彼女が最後に言う、「もっとも劣悪な土壌の中でも、不適にぼってりと咲き続ける」アナキズムが、その原動力なのかもしれない。

(『子どもたちの階級闘争―ブロークン・ブリテンの無料託児所から―』
 ブレイディみかこ、みすず書房、2017年4月17日初刷)