「孤独なバツタ」のその後――『バッタを倒しにアフリカへ』(1)

前野ウルド浩太郎氏の前著である、『孤独なバッタが群れるとき――サバクトビバッタの相変異と大発生』(東海大学出版部)は2013年、第4回「いける本大賞」を受賞した。

同時に受賞したのは、白井聰『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版)、堀川惠子『永山則夫――封印された鑑定記録』(岩波書店)である。

「いける本大賞」の授賞式には、著者は三人とも見えた。『孤独なバッタが群れるとき』は、受賞理由を、僕が申し述べた。30歳を過ぎたばかりの前野ウルド浩太郎氏は、民族衣装に身を包み、神妙に、喜びを抑えながら聞いていた。

この年の三冊は、考えてみれば、絶妙の組み合わせだった。これは元講談社、鷲尾賢也氏の、見事な差配によるものだ。授賞式は例年のごとく、幻冬舎新書編集長、小木田順子さんの名司会で執り行われた。

ちなみに、著者の名前の「ウルド」というのは、モーリタニアでのサバクトビバッタの研究が認められ、現地でミドルネームを与えられたもので、「××の子孫」の意味であるそうな。

そこで二冊目の『バッタを倒しにアフリカへ』だが、これは一冊目を読んだ人間には、若干物足りない。
もちろん一冊目の『孤独なバッタが群れるとき』よりも、モーリタニアでの著者の活躍は詳細だし、筆の運びも手慣れてきている。

しかし肝心の、サバクトビバッタに関する叙述が、少なすぎるのだ。最初の本は、サバクトビバッタのデータが、詳細すぎると言えばいえる。つまりこれは、理科系の本なのだ。その分、モーリタニアの、日々の暮らしの叙述は少ない。

逆に二冊目の本は、モーリタニアでの日常が書きこまれた分だけ、サバクトビバッタのデータは少ないのである。でもこれは、ないものねだりをやめて、二冊あわせて読めばいいのだ、ともいえる。

まず最初に、著者の決意表明がある。
「研究対象となるサバクトビバッタは砂漠に生息しており、野外生態をじっくりと観察するためにはサハラ砂漠で野宿しなくてはならない。」

そこで落ち着く先は、モーリタニアの国立サバクトビバッタ研究所、そこのババ所長から、盛大な歓迎の言葉を受ける。

「砂漠で行うフィールドワークは過酷なので、研究者は実験室に籠りたがる中で、コータローはよくフィールドに来る決心をしてくれた。我々は日本から来たサムライを歓迎する。」
 
こうして著者は、「バッタネットワーク」の一員として、迎えられることになった。

通読小説ではあるが――『罪の声』(2)

もちろん本筋の描写も、きびきびしていて、なかなか上手いところもある。

「生島と青木が手を組み、必要最低限の人数で、質の高い犯罪者集団が誕生したようにも見えた。だが、彼らは決して対等ではなかった。時間が経つごとに〝プロ〟と〝アマチュア〟の自力の差が徐々に表面化する。」
 
これは、犯人グループが二つに割れるところ。もちろんこれは、作者の空想である。実際には犯人たちは、闇に紛れたまま消えて行くから、仲間割れは起こしていない、たぶん。けれどもこう描かれると、いかにも、と思えてくる。
 
こういう犯罪劇は、時代の背景をどこまで書き込むかで、奥行きが違ってくる。そこは腕の見せどころだ。この時代は、株をめぐって、いくつもの大きな事件が起きていた。

「犯人グループが摂津屋(=これは架空)へ脅迫状を送った約三ヵ月後、被害総額約二千億円の巨額詐欺事件を起こした豊田商事会長の永野一男が、マスコミの衆人環視の中、自宅マンションで自称右翼の二人組に刺殺された。その翌日『兜町の風雲児』こと中江滋樹が投資ジャーナル事件で逮捕される。第一次サラ金パニックの真っ只中で、拝金主義者たちが時代を闊歩した。」
 
また時代背景も、騒然としていた。
「・・・・・・八月十二日、五百二十四人を乗せた日航機123便が群馬県の御巣鷹山に墜落。その日を境に、人々の耳目は史上最悪の墜落事故に集まる。それから約一ヵ月後の『プラザ合意』により、日銀が公定歩合を引き下げ、日本は実体なきバブル経済へと突き進んでいく。」
こうして読んでいくと、なんだかあの頃が蘇ってくる。
 
通俗小説といえばその通りなんだけど、最後に一点、こんなところがある。最後に近い場面である。

「子どもを犯罪に巻き込めば、その分、社会から希望が奪われる。『ギン萬事件』の罪とは、ある一家の子どもの人生を粉々にしたことだ。」
 
こういうところが、じつにいい押さえになっている。僕は終わりまで読んで、ちょっと感動した。

(『罪の声』塩田武士、講談社、2016年8月2日初刷、9月21日第四刷)

通読小説ではあるが――『罪の声』(1)

この小説は、女友だちが、くそみそに貶した本だ。「グリコ・森永事件」を下敷きにしながら、その中心にある、犯人側の子どもの声の、真相には迫っているけれど、深層にはぜんぜん迫っていない、というのが、その評だった。
 
たしかに三十年経ったとき、関係者全員が、もう時効だからといって、真相をペラペラしゃべるのは、どう考えてもご都合主義の極みである。これでは、テレビでよくある二時間もののサスペンスと、大した違いはない。
 
また文章も、ところどころ綻びている。
「青年と握手して別れた阿久津は、清々しい気持ちでよく晴れた街を歩いた。若い人と話して元気がもらえるようになったのはいつごろからだろうと、年寄りじみたことを考える自分がおかしかった。」

「元気がもらえる」は、もっとも唾棄すべき〈おもらいことば〉である。なぜ「元気づけられる」と書けないか。というよりも、これは編集者または校正者が、注意すべきことだ。四六判・四〇〇ページを超える力作なのだから、編集者もそれなりにリキを入れないと。

全体の構成は、「グリコ・森永事件」を下敷きに、犯人グループが仲間割れし、また身代金をせしめると見せて、じつは株価を操作して、一獲千金を狙うことが目的だった、というふうになっている。この骨格は、関係者がみんな、真相をよくしゃべることを除けば、なかなかよくできている、と僕は思う。

しかし、この作者の優れた点は、じつはそういう本筋とは違うところにある。そしてそのことを、作者はどうも、自分では気づいていないのではないか。

例えば、犯人側の主役である「俊也」が、「河村」という、昔かかわりのあったスーツ職人と会うところ。
「俊也」も、それなりに修業を積んだ、スーツ職人なのである。

「河村はスーツが入ったカバーを持ち上げたので、俊也は立ち上がってそれを受け取った。
『男ぶりが上がる、ええスーツや。これやったら、どこに出しても恥ずかしない』
『ほんまですか!』
 俊也は嬉しさのあまり、大きな声を出してしまった。
『洋服に関しては噓つかれへんからな。俊也さん、もうあなたの時代やから、筋が通ってると思ったら貫き通しなはれ』
 心のこもった言葉に、俊也は目頭が熱くなった。店を今の形にしたことに後悔はなかったが、この三年間、ずっと河村の影に怯えていた。
 これでやっと本当のスタートが切れる。胸の支えがおりて、スーッと体が楽になった。」
 
どうです、巧いもんでしょう。大阪の商いを、老舗を舞台に、新旧激突させて描けば、コクのある読み物になるんじゃないか。

ちょつと変わった自叙伝――『アはアナキストのア―さかのぼり自叙伝―』(2)

この著者には、もう一つ別の側面があった。

「戦後七〇余年、今六〇代以前の世代の人びとにとっては『革命』はもはや過去の歴史になっているようだ。しかしわたしは八九歳だけれど、わたしたちの世代においては『革命』はただの歴史ではなく鼻先に突きつけられた現実だった。」
 
これは著者が、アナキズムを選ぶ、一つの手がかりになっている。人は、歴史からは自由になれない。
 
倒叙物の自叙伝なので、平凡社での仕事も、その挫折が最初に来る。ごたごたが頂点まで来て、麹町四番町にあった自社ビルを失うところから、話が始まる。平凡社は、進歩的な、外面のいい会社だった。

「進歩派の人々はとかく会議やら議論が好きで、会議や議論を重ねれば重ねるほど民主的で、いい結果が生まれると思いこんでいるらしい。・・・・・・
 平凡社の場合がそれだった。わいわいがやがや会議やら議論に日を送っているうちに、肝心の経営はどん詰まりに落ち込み、銀行管理から人員整理へと追い込まれてしまった。」

これは筑摩書房などでも、同じことだった。僕が大学を出て、3ヵ月で倒産する筑摩書房に入ると、社内の議論は、最高潮に達していた。でも、だからといって進歩派の人々はダメだ、とは思わない。進歩派の人たちにも、ピンからキリまでいろいろいる。

ともかく平凡社は、繰り返しの百科事典で潰れ、筑摩書房は、文学全集の繰り返しで潰れた。どちらも、読者は書物を、所有はするけど、ほとんど読まないことが、共通している。著者は、そういうふうには書いていないが、僕はそれが真相だと思う。

しかし、そもそも著者はなぜ、アナキズムに惹かれたのか。倒叙物なので、全巻の終わりに来て、初めてその思いが吐露される。

「そうだ、これが世界の実体なんだ。いまはまたぎっしり家が立ち並び、人びとが行き交っているが、それもあの焼野原の上に立っているにすぎないし、いつ何時ふたたび焼け跡に戻るかしれたものではないという暗い思いを払いのけることはできなかった。」
 
これは著者の原体験だ。この年代に共通する強烈な体験で、これは外からいくら言っても、絶対にそれ以外のことは聞こえない。なぜか。

「この思いは哲学史や思想史の書物で学んで得た知識ではなく、いうなればわたしの人生で得た一種の体感であった。だからそれはわたしの生涯につねに付きまとい、わたしの心底にこびりついていたのだろう。」
 
これはたとえば、色川武大の『麻雀放浪記』の冒頭と、まったく同じである。東京は今はビルが立ち並んでいるが、一皮むけば、一面焼け野原が広がっている。これは、幻影ではなく、目の前に見えている現実、もっといえば真実なのだ。「いうなればわたしの人生で得た一種の体感であった」と言うことだ。
 
終わりのころ、漸くこの一段を読んで、これを冒頭に持ってこなくて、いったいどうするつもりなんだ、と地団太を踏む思いだった。

(『アはアナキストのア―さかのぼり自叙伝―』
 大澤正道、三一書房、2017年1月27日初刷)

ちょつと変わった自叙伝――『アはアナキストのア―さかのぼり自叙伝―』(1)

著者、大澤正道の略歴を見ると、1927年生まれとある。そろそろ90歳に近い。東大の文学部哲学科を出て、平凡社に入り、編集局長、出版局長、取締役を経た人とあるので、その筋では有名な人かも知れない。しかし僕は、「その筋」ではないので、ぜんぜん知らなかった。
 
著者にはもう一つ、アナキストとしての活動家の顔がある。東大在学中からアナキズムに傾倒し、日本アナキスト連盟の機関誌の編集を担当している。
 
平凡社の重役まで務めたアナキスト、というのは、いかにも座りがわるいが、これは自伝を全部読めば、なるほどと分かる。
 
この自伝は、サブタイトルにあるように、近いところから遠いところへと、通常の自伝とは、叙述が逆方向を向いている。「はじめに」を読んでも、なぜこういうことを企てたのか、よくわからない。
元編集者が、ちょっと気取ったのかもしれないが、これは僕には、重大な考え違いだと思われる。
 
その前に、まず中身を読んでみよう。
といっても、アナキズムに関わるところは、退屈というか、まるでピンとこない。離合集散、人がごちゃごちゃ集まって、なにやらやっているが、所詮はアナキスト、それ以外の人には、およそ関係がない。ということは、大方の日本人には、関係がないということだ。
 
そこで目はどうしても、平凡社の方へ向く。平凡社も、いい時代はもちろんあった。百科事典の売れた時代、林達夫を先頭に立てて、辞典以外にも、たとえばアンソロジーの『現代人の思想』全22巻というのがあった。
 
著者は、この企画を手がけていたころが懐かしい。たとえば同シリーズの『未開と文明』の巻の、編集・解説は山口昌男がいい、と推薦してくれたのは林達夫だった。

「そのころの山口は売り出しの最中で、『岩波にだけは書かない』と意気軒高としていた。
 当時の若手の学者には山口のような意気盛んな連中が大勢いた。今になって考えてみると、彼らは学者の砦だった岩波にたむろする古手の学者に強い対抗意識を持っていて、発表の場を求めていたのだろう。」
つまり、そういう時代だ。

この『現代人の思想』は、B6判、8ポ2段組み、平均400ページである。8ポ2段という組みは、今では信じられない。しかも平均400ページ。昔は、書物に挑む、という感じがあったのだ。

今度はテレビ放映!――『これはあなたのもの――1943―ウクライナ』

少し前に、ロアルド・ホフマンという人の、『これはあなたのもの――1943―ウクライナ』という戯曲を取り上げた。翻訳者は名古屋工業大学の、科学史の川島慶子先生である。
 
ロアルド・ホフマンは化学者で、ノーベル賞を受賞しているが、子供時代はナチに追われ、からくもヨーロッパを脱出して、アメリカに渡った。川島慶子先生とは、おたがいに面白いものを書いたら、交換しているという話だ。
 
この戯曲は、最初に川島さんが、ぜひ上演したいと言い、ホフマンが「まだ一冊の本になってないのに、クレイジーだ」といったほど、のめり込んだ。
 
その結果、なんと新国立劇場で、八千草薫や吉田栄作といった配役で、上演された。しかし僕は、足が悪いので、見にゆけなかった。

それが今度は、なんとテレビ放映(!)されることになった。チャンネルはNHK・Eテレ、放映予定は下記の通りである。

Eテレシアター「これはあなたのもの 1943―ウクライナ」
8月6日(日)午後2:30~4:45

ロアルド・ホフマンのインタヴューもあるという。そう言えば、川島慶子先生は登場されるんだろうか。当然、翻訳者が登場しないと、つまらないですね。そこは期待してます。
どちらにしてもこれは、万難を排して観なければなるまい。

(『これはあなたのもの――1943‐ウクライナ』
 ロアルド・ホフマン、訳・川島慶子、アートデイズ、2017年6月1日初刷)

手の内を明かせば――『みみずくは黄昏に飛びたつ』(4)

それ以外にも、この本には、考えさせられるところが、あまたある。村上春樹は、基本的には、受けた球を返しているだけ、リードするのは、常に川上未映子である。
 
たとえば川上は、村上の物語は、「地下二階で起きていること」(第二章のタイトル)だという。地下一階には、自我の物語があり、それは今では、よく知られていることだ。しかし地下二階には、それではすまない、いってみれば、河合隼雄のいう集合無意識のレベルの物語があるという。
 
これはよくできていて、うむ、なるほどと、つい首肯してしまうけれど、しかしよく考えたほうがよい。
これを前提にすると、村上のいう、現実にはあり得ないことでも、物語としてはあり得る、という言葉に、自信というか、信用を与えることになる。
 
たとえば「秋川まりえ」が、「免色」の家に忍び込んで、クローゼットに隠れているとき、扉一つ隔てて、何者かが彼女と向かい合う。これはどうやら、「免色」ではない。しかしそれでは、誰もいないところで、「秋川まりえ」と相対している、何者かがいることになる。
 
こういうのは、リアリズムでは、何が何だかわからないんだけど、物語としては、とてもよくわかると、村上はいう。村上春樹がそういうんだから、本当にそうなんじゃないか、と信用しそうになるが、そして川上も、それはよくわかると同意するが、本当にそうか。
 
また村上は、小説を書くときにはノープランで、いちいち、これはこういうことである、という頭による解釈を捨てて書くという。
 
川上は、それがちょっと信じられなくて、こういうふうに尋ねる。
「――それが村上さんの小説にとって大切なことであるのはわかるんですけれど、でもそれはそれとして、実はこれが何を表しているとか、そのつながりが本当はこういう意味なんだ、みたいなこと、村上さんの中にはない?」
 
それに対して、村上はこういうふうに答える。ここにこそ、村上春樹の村上春樹たる点がある。

「村上 ない。それはまったくないね。結局ね、読者って集合的には頭がいいから、そういう仕掛けみたいなのがあったら、みんな即ばれちゃいます。あ、これは仕掛けてるな、っていうのがすぐに見抜かれてしまいます。そうすると物語の魂は弱まってしまって、読者の心の奥にまでは届かない。」
 
これはもう、本当にそう言うしかあるまい。しかしそれを、作者が喋っていいものか、という疑問も残る。こういう本の企画なんだから、そういうことをしゃべらなければ、ほかにどんなことをしゃべるのか。

まあそういうことだが、そうすると、ミネルヴァの梟は、物語の後では、本当に飛ばしてよかったのか、という疑問が、僕には最後まで残る。

(『みみずくは黄昏に飛びたつ』
 村上春樹・川上未映子、新潮社、2017年4月25日初刷)

手の内を明かせば――『みみずくは黄昏に飛びたつ』(3)

本書の第四章で、川上未映子が、「自分の死」というテーマを挙げている。それに対し、村上春樹は、死というものはただの無で、「ただの無というのも、どんなものか見たことないからね」と言い、あまり真面目に考えようとはしない。
 
しかし川上未映子は、「でも確実に死ぬ。いったい何がどうなっているんだか」と、食いさがろうとする。ここは川上の、哲学少女の片鱗が剝き出しになる。
 
それに対する村上の答えが、まことに秀逸である。
「村上 でも、実際死んでみたら、死というのは、新幹線が岐阜羽島と米原のあいだで永遠に立ち往生するようなものだった、みたいなことになったらイヤだよね。駅もないし、出られないし、復旧する見込みは永遠にないし(笑)。」
 
僕は思わず噴き出した。同じ村上春樹でも、比喩の次元が違う。底の抜け方がここだけ、とてつもなく深いというか、バカバカしいのだ。
 
川上未映子もしょうがなくて、というよりも、同じ関西人同士、思わず受け答えにはずみがつく。
「――それは最悪(笑)」
 
そういう川上を受けて、ますます乗りまくる関西人・村上春樹。彼はこう答える。
「村上 トイレは混んでるし、弁当も出てこないし、空調はきかないし、iPhoneのバッテリーは切れて、手持ちの本は全部読んじゃって、残っているのは『ひととき』だけ。考えただけでたまらないよね。」
 
それに対する相方の、川上の押さえも、冴えたものだ。
「――大丈夫、もう一冊『WEDGE』がある(笑)」
やっぱり関西弁だと、死の哲学の探究はできまいなあ。

この最終章の終わりのところで、村上春樹の「善き物語」に対する、全幅の信頼が語られる。そのとき、「邪悪な物語」の典型としては、たとえば麻原彰晃の物語があり、その中では、徹底的に囲い込み、閉鎖されたところで、多数の人が殺される。

「村上 そういう回路が閉鎖された悪意の物語ではなく、もっと広い開放的な物語を作家はつくっていかなくちゃいけない。囲い込んで何か搾り取るようなものじゃなくて、お互いを受け入れ、与え合うような状況を世界に向けて提示し、提案していかなくちゃいけない。」
 
村上が、それは神話の時代から連綿と、人々が紡いできた物語で、それは今もあるし、また有効である、と言うのに対し、川上は、あたかも一般的であるかのようにして、疑問を呈する。

「――神話や歴史の重みそれ自体が無効になっているとは思われませんか、村上さん。それらが保証する善性のようなもの、それ自体が。」
 
それに対し村上は、言下に否定する。
「村上 全然なってない。」
 
これは、物語を作る作家としては、当然のことだが、しかし実は、これをはっきり言っては、おしまいなんじゃないかと思う。常に心の中で、神話や歴史、物語の重みが、すでに無効になってるんじゃないか、という恐れを抱いていなければ、そしてそういう恐れに対し、いやそうではないんだ、という葛藤を抱えていなければ、いけないんじゃないか。それが川上未映子の、無言の問いかけではないだろうか。

手の内を明かせば――『みみずくは黄昏に飛びたつ』(2)

けれども僕は、主人公のうんちく話を聞かされるのは勘弁である、と言うふうにはならない。退屈の極みだからといって、これを端折ると、『騎士団長殺し』の、本当の醍醐味がわからなくなる。
 
そのことを、村上春樹は、もう少し一般的なこととして語っている。
「村上 ・・・・・・手を抜いて書かれたものは、長い時間の中ではほとんど必ず消えていきます。僕らは時間を味方につけなくちゃいけないし、そのためには時間を尊重し、大事にしなくちゃいけない。」(第二章)

『騎士団長殺し』の本質については、川上未映子が、じつに端的に、簡潔な言葉で述べている。

「ウィーンで本当は何があったのか、それはもちろん明確にされないし、言葉にできるようなものでもないんだろうけれど、最期に彼は、何かを見届ける。騎士団長が殺されるところを、本来そうあるべきだったものを見届けたときに、微笑みを浮かべます。一つの救いが、そこで書かれます。」(第二章)
 
これが『騎士団長殺し』の、最も鮮やかな要約である。そして僕は、「もちろん明確にされないし、言葉にできるようなものでもない」というところを、それでもなお、言葉にしてほしいのだ。
 
なお、村上の小説には、「え、これでおしまい?」という感じを持つ人が、多いと言う。この小説も、そういうふうに終わっている、という人が多いと言う。

「村上 『こういうふうにして終わっちゃうわけ?』という感じね。『そのあとどうなるの?』という(笑)。そのへんの収め方はむずかしいところですよね。僕の小説はだいたいにおいてそういう終わり方が多いんです。」
 
しかし僕は、全然そうは思わない。いままでの小説の、ネタを小出しにし、目先の景色を目まぐるしく変えて、読者サービスするのと比べると、『騎士団長殺し』は、よほどクライマックスが鮮やかで、終わりも余韻が響いていて、長編にふさわしいと思う。
 
また村上春樹が文章について、ここまでクリアーな、あからさまなことを、述べているところもある。

「村上 僕は文章を書くのが好きなんです、結局。いつも文章のことを考えている。いつも何かしらの文章を書いている。いつもいろんなことを少しずつ試している。文章というツールが自分の手の中にあるだけですごくハッピーだし、そのツールのいろんな可能性を試してみたいんです。せっかくそういうものを手に入れたんだから。」(第三章)
 
これは、脳出血の後、最後の命綱として、なんとか辛うじて文章を書くことで、人間の範疇にとどまっている僕とは、天と地ほども違うことだ。でもまあこれは、しょうがない。言葉は人間にとって、さまざまな役に立つということだ。

手の内を明かせば――『みみずくは黄昏に飛びたつ』(1)

川上未映子が村上春樹に、連続四回にわたってインタビューしている。最初のものは、『職業としての小説家』の刊行を記念して、残りの三回は、『騎士団長殺し』が完成したので、それをめぐってである。
 
このインタビューはもともと、村上春樹の、ある危機感がもとになっている。それはこういうことだ。

「村上 バブルの崩壊があって、それから神戸の地震があって、3・11があって、原発の問題があった。それらの試練を通して、僕は、日本がもっと洗練された国家になっていくんだろうと思っていたわけ。でも今は明らかにそれとは正反対の方向に行ってしまっている。それが、僕が危機感を持つようになった理由だし、それはなんとかしなくちゃいけないと思う。」
 
そこで、フィクションを書くこととは別の、「具体的なステートメント」を発する必要が、生まれてくる。しかしそれをどういう形でするかは、けっこう難しい。だから、このインタビューも、その試行錯誤の一環なのである。
 
第二章の初めごろに、『アンダーグラウンド』の話が出てくる。『アンダーグラウンド』は、村上春樹が書いた唯一の、しかも壮大なノンフィクションである。これを書いたことで、村上は、自分の書くものが、これ以後少し変わったんじゃないかという。

「実際『アンダーグラウンド』を書いているときに、現実に生きている人の怒りとか憎しみとか、困惑とか迷いとか、それから失望とか、後悔とか、そういうものを目の前にして、それも命をかけてそう感じている人たちを見て、強く胸を打たれるものがありました。それはそのあとの小説に反映されているはずだし、またされていてほしいと思います。」
 
僕は、申し訳ないけれど、『アンダーグラウンド』以前と以後で、はっきりそんなふうに分かれる感じはしない。全部を読んでいるわけではないし、そういう意味では中途半端な読者だ。でもとにかく、あまりそういう感じはしない。
 
村上はここでは、いろいろ手の内をさらけ出している。例えば、主人公の年齢について。
「村上 僕が主人公として書きたいのは、基本的には普通の人なんです。通常の生活感覚を持った人。しかもいろんな意味あいで、まだ自由な立場にある人。誰しもある程度の年齢になってくると、いろいろ現実がつきまとってくるでしょう。でも、三十代半ばぐらいだと、まだ・・・・・・。」(第二章)
 
しかしこの点については、川上未映子が、村上春樹の主人公の変遷をめぐって、ことこまかに追及している。今回の『騎士団長殺し』の主役は、三十代半ばにしては、目が肥えすぎている、と。

「――例えば『私』は、免色さんの家に招待されたときに、出された皿が古伊万里だとすぐにわかるんですよね。室内に置かれてあるものを目で追っている描写を通じて、ものの価値がよくわかっているという感じがする。・・・・・・多崎つくるさんぐらいから、だんだん富裕層の雰囲気が出てきています。今回の三十六歳の『私』も、お金は持っていないかもしれないけれど、パッと車に目がいく、調度品に目がいく、絨毯、食べ物にも・・・・・・みたいな感じで、目が肥えているというか、いろんなものの価値を知っているんだなと。」(第四章)
 
これは、村上春樹の主人公の変遷についての、じつに的確な評である。どうやら村上は、三十代半ばの男を主人公にするには、ちょっと歳を取りすぎてしまったのではないか。そしてその結果、川上未映子は、見ようによっては、痛烈な一撃を喰らわすのである。

「今回の『私』は女性で言うと『家庭画報』とか『ミセス』とかを定期購読してる感じというか。男性誌ではちょっと喩えがわからないんですけど。」(第四章)

『家庭画報』や『ミセス』を読んでる男のうんちく話を、えんえん聞かされるのは、やはりどうも、退屈の極みであるというほかない。