パロディ、パロデイ――『もう一度 倫敦巴里』(1)

『倫敦巴里』は1977年に、今はなき「話の特集」から刊行された。僕はこれを、大学時代に、友だちの下宿で見た。実に面白かったが、金がなかったので買えなかった。

『もう一度 倫敦巴里』は、そこに新たに『雪国』海外篇と、『雪国』70年2月号、72年11月号、73年12月号、75年2月号、77年2月号の続きを加え、再編集したものである。
 
といっても、現物を見たことがない人には、何が何だかわからない。これは全編、絵と文章による、和田誠のパロディ大全なのである。
 
まず最初に「殺しの手帖」がある。
「これは あなたの手帖です/いろいろのことが ここには書きつけてある/この中の どれか 一つ二つは/すぐ今日 あなたの殺しに役立ち/せめて どれか もう一つ二つは/すぐには役に立たないように見えても/やがて こころの底ふかく沈んで/いつか あなたの殺し方を変えてしまう/そんなふうな/これは あなたの殺しの手帖です」
 
そしてそのあと、「リヴォルヴァー拳銃をテストする」が続いて、さらに「毒入りのおそうざい」として、「とりかぶとののりまぶし」「じゃがいもの砒素ふくめ煮」「いかと椎茸のストリキニーネあえ」「冬瓜のシアン化水素汁」と続いていく。

『暮しの手帖』から、よく文句が出なかったものだ。あるいはパロデイに対して、もっとずっと寛容だったのだろうか。

『兎と亀』は、世界の映画作家たちが、イソップの寓話をテーマに映画を作ったら、という内容で、ジョン・フォード、市川崑、ヤコペッティ、ミケランジエロ・アントニオーニ、ヒッチコック、ベルイマン、ロバート・ワイズ、テレンス・フィッシャー、ジャン=リュック・ゴダール、デヴィッド・リーンが、それふうの「兎と亀」を撮っている。
 
といっても、何のことやらわからないので、ここでは特別に、一人の監督をまるまる載せてみる。

「ミケランジエロ・アントニオーニ

溶明。抱きあい、キスをしている二人。
亀(マルチェロ・マストロヤンニ)とその妻(モニカ・ビッティ)である。
高層アパートの一室。窓から隣りのビルがみえる。朝の光がさしこんでいる。
唇をはなす二人。
亀「別れようか」
妻「ええ」
妻、立って台所へ行き、コーヒーポットをとりあげる。
亀、読んでいた新聞を置き、立ちあがる。
亀「出かける」
妻「どこへ」
亀「マラソンに」         ――溶暗
溶明。椅子でモード雑誌を読んでいる妻。
手をのばしてラジオのスイッチを入れる。ラジオからはマラソンの中継放送が聞えてくる。
ラジオ「亀はのこのこと走っております。そのはるか前方に、兎の姿がみえます。兎、どんどん亀をひきはなして走ってゆきます」
妻、ラジオのダイヤルをまわす。クラシック音楽になる。再び雑誌をとりあげる。
窓の外は夕暮れ。街燈が点いている。――終」
 
「高層アパート」も、「街燈」も、効かすべきところに効かせてある。
もちろん、これ一本が素晴らしいわけではない。なのに、なぜこれを選んだのか。うん、もちろんモニカ・ビッティですね。

ノーベル賞化学者の戯曲――『これはあなたのもの――1943‐ウクライナ』(3)

はじめにもちろん、上演に賭ける川島さんの情熱がある。

「自分が直接知っている誰かが、こんな経験(=ナチの時代を生き延びること)をしていたということも私には衝撃的だったが、何よりもフリーダ(=主人公の母親)という女主人公に魅せられてしまった。英雄だった夫を『絶対に許さない』と言ってはばからない女性。ウクライナ人すべてを『ひとごろし』とののしり、同時にウクライナ人の乳母を慕いつづける。誰にも媚びず、強く、激しく、心の熱い女性。そして、小さな子供を守って生き抜いた母親。
 この戯曲を舞台化したい。日本でこれを見たい。生きたフリーダが目の前で動くのを見たい。」
 
しかし、そもそも川島慶子先生は、名古屋工業大学で科学史を教える、れっきとした社会科学の教授である。そういう人が、ヨーロッパからアメリカに渡ったノーベル賞科学者の、ナチの時代の自伝が素晴らしいからといって、それを新国立劇場で、しかも八千草薫や吉田栄作といった配役で、上演できるものだろうか。
 
詳しいことはよくわからないが、まず最初に、勤務先の名古屋工業大学の鵜飼裕之学長が、この劇に興味をもった。大学の創立111周年記念行事として、上演したいというのである。
 
そしてもう一つは、日本を代表する演出家の一人、鵜山仁氏がこれを上演したいと言ったという。
 
時をおかず、続けて上演の話が来たので、このときはさすがに、川島先生も舞い上がったらしい。
しかし、川島先生は、そもそも上演については、大丈夫だと思っていたのだった。

「心の底では私は心配していなかった。私の後ろにいるフリーダが『絶対大丈夫』とささやきかけていた。何の根拠もなかったが、私は楽天的だった。あとでホフマンに『クレイジー』と言われたが、本当にそう感じていたのだ。」
 
川島さんの後ろにいて、「絶対大丈夫」とささやきかけるフリーダを、メタファーととってはいけない。
 
川島さんは『マリー・キュリーの挑戦』の「あとがき」に書いている。私はずっと「二つの黒い瞳に見張られているような気がしていました。」
この瞳の持ち主は、アンネ・フランクである。私ははじめ、これを比喩と取った。

だから、ホフマン先生の戯曲も、いくらなんでも、これは無理でしょう、と思ったのである。でも、後ろにいるフリーダは、現実に「絶対大丈夫」と、後押ししてくれた。

私は、先生に近いところにいながら、ぜんぜんわかっていなかったのである。

(『これはあなたのもの――1943‐ウクライナ』
 ロアルド・ホフマン、訳・川島慶子、アートデイズ、2017年6月1日初刷)