ノーベル賞化学者の戯曲――『これはあなたのもの――1943‐ウクライナ』(2)

その川島さんから、ロアルド・ホフマンという化学者の、「これはあなたのもの」という戯曲が素晴らしいのよ、という話があった。

ホフマンはアメリカの化学者で、ノーベル賞を、福井謙一氏と共同受賞している。そういう人の戯曲が素晴らしいの、と言われてもなあ、というのが、その時の印象だった。
 
ホフマン先生と川島さんは、2003年頃から、お互いがいいものを書けば、送り合う間柄だという。
 
川島さんによれば、今度の戯曲のテーマは、ナチの時代を辛くも生き延びた人々が、現代にまで抱えている、どうにもならない戦争の傷跡だという。
 
ホフマン教授は五歳のとき、ナチの手を逃れて、母親と一緒に、ウクライナの知り合いの家の屋根裏部屋にかくまわれ、奇跡的にこの時代を生き延びた。その自伝だという。
 
舞台は、1992年のフィラデルフィアと、1943年から44年にかけてのウクライナのフリーヴニウ村が、何度も交錯する。ユダヤ人の母は、ウクライナ人のさまざまな裏切り行為と、ユダヤ人虐殺計画のために、ウクライナの人たちのことを「人殺し」と呼ぶのだ。しかしまた、母子を屋根裏部屋に長くかくまってくれたのも、善良なウクライナ人一家なのである。
 
つまり、「個々人の善行と集団の罪。それらを忘れずにいること。認めること。そうした記憶と認識のバランスを取る事が『これはあなたのもの』のテーマです。」(ロアルド・ホフマン)
 
この本は、川島さんが訳した戯曲の他に、右のような構成で、一巻ができあがっている。
 
 ロアルド・ホフマン、訳・左近充ひとみ「ズウォーチュフから東京へ――『許し』への道」
 矢野久「ナチスのユダヤ人政策――作品の歴史的背景」
 黒木雅子「女性の越境とサバイバル――語れない物語をどう聞くか」
 鵜山仁「『これはあなたのもの』舞台化のための、いくつかのイメージ」
 川島慶子「『訳者あとがき』にかえて――ノーベル賞科学者が紡ぐ戦争と平和の詩」

それに、付録として「『これはあなたのもの』世界と日本で公演」一覧がついている。日本では、この5月から6月にかけて、全国のあちこちで公演が行われる。とくに6月15日から25日は、新国立劇場だから評判を呼ぶだろう。役者は八千草薫、吉田栄作、保坂知寿、かとうかず子、万里紗、田中菜生である。

しかし、たとえ川島慶子さんが、これはぜひ自分で訳してみたい、そして日本で上演したいと思ったとしても、なぜそんなことが、しかも第一級の役者を得て、実現したんだろうか。