燃やしてくれといったけど――『あの頃――単行本未収録エッセイ集』(1)

こういう本は難しい。5月14日の東京新聞・読書面に、武田花さんが、編者としてインタビューを受けている。そこで、こんなことをしゃべっている。

「母はどんな文章も熱心に推敲した人で、母の手が入らないまま本にすると怒られると思った。未発表の文章や日記は燃やしてほしいと言った母ですから、〈遺言だからダメ〉と長い間書籍化を断り続けてきた。」
 
これは、著者が自覚的なものかきの場合、当然そうだろう。
しかし、歳を重ねた娘の心境には、変化が生じる。

「でも私も年をとり、せめて自分の責任で本にしようと心境が変わった。」
おかげで、500ページになんなんとする本が、生まれたわけだ。
 
でも、どうなんだろうねえ。武田百合子は、推敲を重ねた文章以外は、人に見せることをよしとしなかった。うーん、考えてしまうなあ。
 
もちろん、素晴らしいところは、いくつもある。たとえば、
「餌を漁るのか、足にくもの糸などからめている蝙蝠のために、私は思いついて蛾や虫を部屋へ誘い入れてみた。夜になると硝子戸の向こうにはりついて、肥った腹を見せているおびただしい蛾や虫は、戸を少し開ければ粉を散らして争って流れ込んできた。食べているかしら? 夜更け、私は隣室で蝙蝠の気配に息をひそめている。とろりとしたものがこみ上げてくる。蛾や虫が、ことに肥った大きな蛾が、栄養あるおいしそうなものに私にも思われてくる。」
 
隣りの部屋にいる蝙蝠が、大量の蛾や虫をとらえている。それを、隣室で息を殺して、うかがっている私。やがて、「とろりとしたものがこみ上げてくる。」この、とろりとしたもの、というのが、武田百合子の真骨頂である。
でも、そんなところは、多くない。
 
それからまた、武田泰淳と編集者・村松友視の、原稿をめぐるやり取りもある。それは「富士」の原稿であった。

「(村松友視は)ちっとも原稿のことなど口にしない。おしまいになる頃、とうとう武田は『村松君。一度でいいから、僕の原稿欲しそうな顔してみてくれないかなあ』と、笑いながら原稿を渡していたが、村松さんは爽やかに笑って、やっぱり欲しそうな顔をしてみせてくれなかった。」
 
途中で休みたがる癖のある武田泰淳が、一回も休まずに連載を終えたのは、そういう村松の魅力によるものだ、と百合子は言う。
 
ちなみに、単行本の『富士』は、司修が装幀をしていて、これはどこかに書いたことがあるが、それは戦後の文学の中で、ナンバーワンだ。