競い合う編集者――『「考える人」は本を読む』(3)

なお新書に付した後註は、この場合は、次のようなものである。

「本書の解説を書いている編集者・長谷川郁夫さんが、『途中で思わず目頭が熱くなったことを告白しなくてはならない。巧すぎるよ、内堀さん!』とツッコミを入れていますが、『文庫版のための少し長いあとがき』に書かれた出会いと発見は、憑かれたようにボン書店の幻を追い続けた著者への天からの贈り物だったように思えてなりません。」
 
この後註を付したことにより、腹にグンと応える内容になっている。これを、25章全部に付け加えるのは骨だが、しかし、編集者が労を惜しまずそれをやったために、中身に格段の奥行きが生まれた。
 
それはともかく、『ボン書店の幻』を皮切りに、「Ⅱ 言葉を考える」「Ⅲ 仕事を考える」という、目次の体裁とは別の、先ほども言った「死者の本」とでもいうべき、読み手の胸の底まで降りて行った、一連の本が現れてくる。

目次とは別に、『ボン書店の幻』の次は、山際淳司の『スローカーブを、もう一球』である。これは日本シリーズの江夏の21球で有名になったものだが、山際淳司が表題作に選んだのは、それではない。

「代わってタイトルに謳われたのは、地味な高校野球の地方大会に取材した作品です。有名選手が登場するわけでもなく、手に汗握る名勝負の舞台裏が再現されるのでもなく、『ありふれた』題材をあっけないほど淡々と描いたドラマなき物語。だが、そこにこそ山際淳司の真骨頂があったのだと、時を隔てて見るとよく分かります。」
 
そして、それから14年後に、山際淳司は、「読み終えた本をパタンと閉じるように」、去っていった。
この章の後註は次の通り。

「もっと長生きしてほしかった大事な友人の一人です。本名で週刊誌に連載していた『現代人劇場』という人物ルポを読み、即座に連絡を取りました。会うなり親しくなりました。持ち味が遺憾なく発揮されたのは、本格的デビューとなった『江夏の21球』です。意表を突く角度から、鮮やかに人間ドラマを切り取ります。注がれる眼差しが温かく、それでいて湿っていないのが特徴でした。」
 
これだけなら、しんみりするけれども、それはこの章を読んだというだけのことだ。
しかし続いて、山川方夫の『展望台のある島』を取り上げるに及んで、これは著者が、というよりも編集者が、著者のかすかな意図を感じ取り、死者を意図的に次々に呼び出していくのが、いやでも納得されよう。
 
山川方夫は、34歳で、交通事故で逝った。その前の年に結婚し、「新潮」に「最初の秋」と「展望台のある島」を載せ、その二作を一つの作品とするために、改稿を始めたばかりだった。
 
しかしそもそも河野氏は、なぜ手に入る限りの山川方夫を、集めたのだろうか。

「もちろん山川の誠実な作風、『個』を見つめ『生』を希求する透徹した筆致など、作品の魅力が強く心に働きかけたことは言うまでもありません。しかし、そもそものきっかけは、評論家・江藤淳の鮮烈なデビュー作となった『夏目漱石』を書かせた名伯楽として、山川方夫の名前を記憶に刻んだことが大きな理由でした。」
 
そう、僕らの世代はみんな、江藤淳の『夏目漱石』を経由して、山川方夫に行き着いたのである。だから、江藤の「山川方夫と私」は、『夏目漱石』の次に、読んだものだ。そこに、こんな一節がある。

「〈君がいなくなってからいろいろなことがおこり、私の確信はますます強まらざるを得ない。つまり、生きるにあたいするから生きるのではない。なにものかへの義務のために生きるのだ、という確信が。そのなにものかとは、なんだろう? 山川、それを私に教えてくれないか。〉」
 
僕が、遠く胸の底に忘れてしまった一節を、しかし河野氏は、執拗に思い出している。

「このエッセイが書かれた29年後、よもやと思われた江藤氏の自死を知らされた時に、この一文がしきりと頭をよぎりました。」