競い合う編集者――『「考える人」は本を読む』(1)

「考える人」編集長、河野通和氏が、毎週メルマガで配信していたものから、25冊を取り上げて、配列を替え、編集の上で一工夫、加えたもの。

「考える人」は、この4月で休刊になった。河野氏はそれに合わせて、新潮社を辞めるという。半年前までは、「考える人」のリニューアルを成功させ、いまどき雑誌のリニューアルを成功させるなんて驚異だ、と仰ぎ見られていた人が、急転直下辞めることになる。

「本当に人生、どこでどうなるか、分かったものではないな」とは、まぎれもない河野氏の弁である。
 
こういう、一歩引いたところから、自分を見られるというところが、河野氏の凄いところだ。新潮社で、何があったかはわからないが、僕なんかだと、立つ鳥あとを大いに濁す、という具合で、いくつものもめごとの種を、あとに残していくだろう。
 
だいたい「考える人」のスポンサーであるユニクロ、ということはファーストリテイリングには、どういう申し入れをし、どんなふうに決着をつけたのか。もちろん、僕なんかには皆目わからないが、ユニクロとしては、惜しいと思っているだろう。
 
ユニクロが、全面的に「考える人」の費用を持ち、新潮社が、編集の責任を持つというのは、考えてみれば、非常にユニークなやり方だ。これで15年間、続けていけたというのは、「考える人」を土台にした単行本を含めて考えると、ほとんど奇跡というほかない。
 
それはともかく、『「考える人」は本を読む』は、少し前に取り上げた『言葉はこうして生き残った』と、同じメルマガから選んだものだ(もちろん同じものは入っていない)。

こうして2冊を比べてみると、新書と単行本とは言え、編集者によって、これほど見事に、まったく異なる形を得られるものだなあと、ちょっとびっくりしてしまう。

今度の新書は、章タイトルが、「Ⅰ 読書を考える」「Ⅱ 言葉を考える」「Ⅲ 仕事を考える」「Ⅳ 家族を考える」「Ⅴ 社会を考える」「Ⅵ 生と死を考える」となっている。これは『言葉はこうして生き残った』と較べると、ずいぶん分かりやすい(もちろんわかりやすいことが、そのまま優れているというわけではない)。

それと、もう一つ。すべての章に、メルマガ配信時とは別の、「後註」がついている。これが、何とも言えない味を醸し出している。これは編集者のお手柄だろう。

酒場の磁場――『続・酒中日記』

帯の文句にいわく。
「文壇のみならず、演劇、歌舞伎、相撲・・・・・・。好きに生きて、好きに飲む。毎日、好きな人と語り明かす、それがツボちゃん!  その五年半の酩酊の軌跡を書き尽くす。」
 
そういうことなのだが、僕が病気する前と後とでは、読み方がすこし違ってきている。病気する前、酒場では坪内祐三さんと、めったに会わなかったけど、それでも「猫目」や「風花」などが出てくると、いかにも、おお、やってるねというような、親しみを感じたものだ。
 
病気した後では、もうどこの酒場へも行けない、たぶん一生、もう行けない。だから、坪内さんの縦横の活躍を、肩越しに見て、たいへん羨ましい気がする。そして、ちょっぴり心配になる。そんなに飲んで大丈夫か、と。でもそういうことは、もちろん余計なお世話だ。
 
さっき、縦横の活躍が羨ましい、と書いたが、しかしべつの思いも、かすかに湧いてくる。
僕は24歳のとき、筑摩書房に就職した。そこで職を得て3カ月目に、筑摩は潰れた。そこから、出版の世界を、波乱万丈でもないけれど、そこそこ激流を渡り切り、ようやく出版社の人間として、そんなに恥ずかしくない顔が、できるようになった(と思う)。このまま60を越え、その延長線上に最晩年がある、とふつうは思うだろう。
 
でも違った。筑摩書房の倒産も劇的だったけど、2年前の脳出血も、僕にとっては、同じく劇的なことだった。このことはいったい、どう考えればいいのだろうか。
 
僕はこれを、どう考えればいいのか、わからない。ひょっとすると、人生の終わりまで、わからないままかもしれない。
 
ふつうは65歳かそこらあたりで、みんな立ち止まり、人生を考えるものだろう。僕の場合は、それが劇的に来てしまった。病気する前にかろうじて備わっていた、本を読むことと、文章を書くということを除けば、もう何にもない。そこは、はっきりさせなければいけない。僕はもう、元の僕ではない。
 
そこをはっきりさせるときに、いちばん象徴的なのは、たとえば、もう飲み屋へはいけないということだ。
 
坪内さんの『酒中日記』正続編は、「酒場の磁場」をありありと描いている。そうであることによって、僕に、もうそういうところへは行けないという、寂しい断念を迫ってくる。

(『続・酒中日記』坪内祐三、講談社、2014年10月31日初刷)