潮流は変わるか――『死にゆく人のかたわらで―ガンの夫を家で看取った二年二カ月―』(2)

著者によれば、しもの世話は「介護」の、最も重点的なことがらなのである。

「『自分は介護を経験した』と言いたいときは、やっぱり、〝しもの世話〟はしているものだ。〝しもの世話〟をしないままで、赤ん坊の世話をした、とか老親の介護をした、とか、やはり、言ってはいけないと思う。介護とは、食べること、出すこと、寝ることの安寧確保以外に、なにもないからだ。」

だから、たとえば、「どっしりしたポータブルトイレ」は、絶対の必需品になる。
「家具調で、一見すると普通の椅子に見えて、安定していて、座りやすくて、使いやすいポータブルトイレは、我々の最後の頼みの綱だった。」
 
こういうところは、病気する前と後では、私の感じ方はまったく違う。「我々の最後の頼みの綱」という言葉が、胸に迫る。
 
著者の夫君は、中咽頭ガンが頸部リンパ節に転移し、いよいよ末期だった。食事がとれなくなって、九〇〇ミリリットルの高カロリー輸液で命をつないでいた。
 
一緒に仕事をしていた吉本ばななさんからは、「『こんな重い病気なのだから、もうダメだ、と思わないように』、いつもそれを祈っているから」、というメッセージをもらった。

「とにかく、いまをせいいっぱい。いまが楽しいように、いまが苦しくないように、いまを絶望しないように。それだけ考えていた。それだけを考えられたことが幸いだった、といまになるとわかる。」
 
このほか、酸素吸入器(いまはなんとボンベは使わない)や、いまわの際の痛み止めの話などが、こと細かに述べられている。
 
そうして夫君は、著者の手の中で、息を引き取った。
「わたしはこのとき、少しも悲しい、という思いがよぎらなかった。涙どころではなかった。晴れやかで立派な最期を目の前で見せられて、いろんなことがあったけど、この人への敬意と愛情で文字どおり胸がいっぱいだった。ありがとう、という言葉しか出てこない。人間って、よくできている。」

しかし、たとえば容態急変ということになれば、自宅では、どいういうふうに対処するのだろう。