潮流は変わるか――『死にゆく人のかたわらで―ガンの夫を家で看取った二年二カ月―』(1)

これは「家で看取りたい人、看取られたい人、必携」である。

「ガンの夫を家で看取った。夫はわたしの腕の中で息をひきとった。それだけがこの本を書きはじめるきっかけである。」
 
今では通常、人は病院で死ぬ。それがあたりまえだ。
人は三代で、身体に植え付けられた知恵を喪失する。だからもう、人が死ぬとはどういうことかを、医者に頼る以外に、ほぼ誰も知らない。

「現在五〇代後半のわたしが高校生のころ、それは要するに一九七〇年代のことなのであるが、それより前は、地方ではまだ人は家で死んでいたと思う。厚生労働省の統計によると昭和五〇年に自宅で死ぬ人と施設で死ぬ人がほぼ半々になっている。」
ところが、ここから急速に、「家で死ぬ」ということは、失われていった。
 
そもそも、家で看取るということは、具体的にどうすることなのだろう、というところからして、もうわからない。著者はそれを、痒い所に手が届くように、丹念に書きこんでいく。

「人の介護をする、ということは、要するに、食べることと出すことと寝ることに気持ちを寄せる、ということだ。生まれたばかりの赤ん坊を世話することと変わらない。・・・・・・老いた人、病んだ人も同じである。食べることをどうするか、おしっこ、ウンチをどうするか、どうやったら安心してやすらかに眠りについてもらえるか。それだけが重要な課題なのである。」

その中でも、「出すこと」が本当に厄介である。
自分のことで恐縮だが、脳出血で半年近く入院し、それから家に帰ってきた。病院にいるときは、下の世話は、看護師さんたちに任せきっていた。半年近くなり、退院が迫ってくると、それに応じて、下の処理も、まあできるようになった。

でも大便は、からなずしも、規則的には出ない。半身不随で杖をついて歩くのは、腰のあたりに負荷がかかる。だからごく稀に、大便が、意思とはちがって、少し漏れることがある。女房は、これに参ってしまう。とにかく臭い。私が臭くてかなわないのを、女房が臭くないわけがない。

しかし私は、パンツやズボンを変えることができず、お尻をきれいにすることはできない。尻を風呂場で洗うのも、着替えを持ってきてもらうのも、ぜんぶ、女房に頼りきりになってしまう。こういう「ソソウ」は、退院してから一年半で三回あった。

これはいってみれば、私は回復期だと想像されるから、女房も何とか我慢してやっているので、これが看取りという逆方向なら、厳しいことになる。