潮流は変わるか――『死にゆく人のかたわらで―ガンの夫を家で看取った二年二カ月―』(4)

それにしても、死にゆく人を家で看取るというのは、やはり厳しいものがある。その厳しさを、いくぶんかでも和らげてくれる人がある。

「わたしがそういうことができたのは、家から徒歩五分のところに訪問診療の草分けのようなカリスマ医師、新田國夫先生がいたからだ、ということも、わかってきた。」
結局、訪問医師と訪問看護師の存在が、家で看取るのを可能にするかどうかを、決定づける。
 
ふたたび僕のことになって恐縮だが、今月の十日から一週間、腰の痛みに悩まされた。そんなにひどい痛みではない。鈍痛である。それが治るとすぐに、八度台の熱が出た。その熱が一晩で下がると、こんどはギックリ腰のような、猛烈な腰の痛みがやってきた。こうなると、ベッドからまったく動けなくなる。このギックリ腰もどきは、三日三晩続いた。それが終わると、膀胱炎もどきになった。おしっこにいって、一時間もすると、もう行きたくなる。でも出ない。それが一日続いて、ようやく収まった。

この間、全部で十日余り。僕もいろんな症状が出て、疲労困憊したが、女房の方が、もっと参ったようである。具体的に、腰が悪いという以外に、どこがどうなっているか、よくわからない。たった十日間であっても、先が見えない不調の人を抱えていると、周囲にいる人は参ってしまう。

著者が抱えているのは、先が見えないどころか、確実に悪くなる一方の、ガン患者である。
そのとき、医者と看護師が、決定的なキーパーソンになる。

「新田クリニックの三上師長、訪問看護師の長田さんをはじめとする新田クリニックの皆様に心から感謝している。この本を出すにあたり、新田先生は、『実名を出してもらっていいし、内容の確認は、いっさいしなくていいです』と言ってくださった。そんな方だからこそ、私たち夫婦は安心して、最後のときまで家にいることができたのだ。新田先生にはどんなに感謝しても足りない。」
 
僕が毎月お世話になっている、ケア・マネージャーの話では、もう病院で看取りをするのは、病室が満杯で、できないという話だ。そのとき、厚生省の百出する議論よりも、たとえばこの優れた実例が一つあるだけで、どれほど安心なことか。

「私は自分の本が役に立つように、とは、いままであまり思ったことがない。しかしこの本だけは誰かの役に立ってほしい。自宅で死にたい、自宅で家族を看取りたい、という人への励ましになってほしい。」
大丈夫、もう充分励ましになっているし、力づけにもなっている。

(『死にゆく人のかたわらで―ガンの夫を家で看取った二年二カ月―』
 三砂ちづる、幻冬舎、2017年3月10日初刷)

潮流は変わるか――『死にゆく人のかたわらで―ガンの夫を家で看取った二年二カ月―』(3)

著者が「様態急変」という言葉で、すぐに頭に浮かんでくるのは、やはり突然倒れるのと、大便が合わさっている状況だ。このへんは、家で看取るということの、最も厳しい局面だが、著者はそこを正直に書く。

「わたしが脱衣場にいるとき、湯船に入った本人が、ずいぶんふらつく、と言う。トイレに行きたいと言って、湯船から立上がると、ああ、ダメだ、と言って風呂場に便失禁する。本人は風呂場の隣にあるトイレに行こうとして脱衣場で便をもらしながら歩き、トイレの前の廊下で倒れた。わたしがそばにいたので、なんとか頭から倒れることはさけられたが、相手は七〇キロ、こちらは五〇キロ程度なので支えられない。そのままトイレの前で真っ青になり、便失禁は続いた。」
 
家で看取るというのは、こういうことだ。そして著者の場合には、これ以上「怖い」体験はなかったという。一方でこれを体験する代わりに、もう一方で、愛する伴侶が、自分の腕の中で死んでゆくのを、看取ることができるというわけだ。
 
もう一つ、自宅で死にたいが、その場合に「いくらかかるか」という、金銭的な問題もある。これはたぶん、状況により千差万別だろう。これも著者の場合には、ということで、正確に出している。

「医療保険と介護保険には自己負担限度額があるから、両方フルに使って、いちばんたくさんお金を払った月でも、我が家ではあわせて八万円くらいだったと思う。」
 
このへんは、代替療法や食事療法の拒否とあわせて読むと面白い。進行しているガンだと、藁をも摑みたくなって、いろんなことをやりたくなるものだが、著者の夫は徹底していて、治療は保険の範囲に押さえている。このへんは著者の言うように、怪しい治療は断固拒否するという、団塊の世代の面目躍如たるものかもしれない。
 
第6話として「痛み」が、独立して取り上げられている。ここは、著者の慧眼が光るところだ。ふつう「痛み」は、ガン治療の中心的テーマとして取り上げられ、そしてそれは、おおむね制圧していると捉えられている。
 
しかし、そうではないものもある。
「夜中に何度も起き上がって、じっとしていられないこともあった。頭が痛い、服を脱ぎたい、気分が悪い、眠れない、じっとしていられない。こういう苦しみは、自宅にいたので、なんとも言えないままに、表現されていた。そして、それらの身の置き所のなさは、多くの場合、『痛い』という言葉に収斂されていったように思う。そうすると、なにか飲む薬があり、介護するわたしも提供する薬がある。『痛み』は、彼の総合的な苦しみの表現方法だったのではないか。」
 
ガンの痛みとは、まったく違うものだけど、僕の右半身は、つま先から肩まで、ときによって猛烈な不快感が襲ってくる。そしてそれは、とりあえず「痛み」としてしか、表現できないものなのだ。

「わたしは間違っているかもしれない。でも、こういう身の置き所のなさは、たとえば、病院や施設にいたら、いったいどう対応されるのだろう。『ガンの痛み』、とは、言われているよりも奥の深い表現なのではないか、まわりはそれをどう受け止められるのか。むずかしいことだ、と思うのである。」
 
これは、病院や施設では無理なことだ。かりに、事細かに患者に聞いてみても、おそらくどうにもならないことだ。でもそこを、分かってくれる人が、いるのといないのとでは、患者の気持ちはまったく違う。

潮流は変わるか――『死にゆく人のかたわらで―ガンの夫を家で看取った二年二カ月―』(2)

著者によれば、しもの世話は「介護」の、最も重点的なことがらなのである。

「『自分は介護を経験した』と言いたいときは、やっぱり、〝しもの世話〟はしているものだ。〝しもの世話〟をしないままで、赤ん坊の世話をした、とか老親の介護をした、とか、やはり、言ってはいけないと思う。介護とは、食べること、出すこと、寝ることの安寧確保以外に、なにもないからだ。」

だから、たとえば、「どっしりしたポータブルトイレ」は、絶対の必需品になる。
「家具調で、一見すると普通の椅子に見えて、安定していて、座りやすくて、使いやすいポータブルトイレは、我々の最後の頼みの綱だった。」
 
こういうところは、病気する前と後では、私の感じ方はまったく違う。「我々の最後の頼みの綱」という言葉が、胸に迫る。
 
著者の夫君は、中咽頭ガンが頸部リンパ節に転移し、いよいよ末期だった。食事がとれなくなって、九〇〇ミリリットルの高カロリー輸液で命をつないでいた。
 
一緒に仕事をしていた吉本ばななさんからは、「『こんな重い病気なのだから、もうダメだ、と思わないように』、いつもそれを祈っているから」、というメッセージをもらった。

「とにかく、いまをせいいっぱい。いまが楽しいように、いまが苦しくないように、いまを絶望しないように。それだけ考えていた。それだけを考えられたことが幸いだった、といまになるとわかる。」
 
このほか、酸素吸入器(いまはなんとボンベは使わない)や、いまわの際の痛み止めの話などが、こと細かに述べられている。
 
そうして夫君は、著者の手の中で、息を引き取った。
「わたしはこのとき、少しも悲しい、という思いがよぎらなかった。涙どころではなかった。晴れやかで立派な最期を目の前で見せられて、いろんなことがあったけど、この人への敬意と愛情で文字どおり胸がいっぱいだった。ありがとう、という言葉しか出てこない。人間って、よくできている。」

しかし、たとえば容態急変ということになれば、自宅では、どいういうふうに対処するのだろう。

潮流は変わるか――『死にゆく人のかたわらで―ガンの夫を家で看取った二年二カ月―』(1)

これは「家で看取りたい人、看取られたい人、必携」である。

「ガンの夫を家で看取った。夫はわたしの腕の中で息をひきとった。それだけがこの本を書きはじめるきっかけである。」
 
今では通常、人は病院で死ぬ。それがあたりまえだ。
人は三代で、身体に植え付けられた知恵を喪失する。だからもう、人が死ぬとはどういうことかを、医者に頼る以外に、ほぼ誰も知らない。

「現在五〇代後半のわたしが高校生のころ、それは要するに一九七〇年代のことなのであるが、それより前は、地方ではまだ人は家で死んでいたと思う。厚生労働省の統計によると昭和五〇年に自宅で死ぬ人と施設で死ぬ人がほぼ半々になっている。」
ところが、ここから急速に、「家で死ぬ」ということは、失われていった。
 
そもそも、家で看取るということは、具体的にどうすることなのだろう、というところからして、もうわからない。著者はそれを、痒い所に手が届くように、丹念に書きこんでいく。

「人の介護をする、ということは、要するに、食べることと出すことと寝ることに気持ちを寄せる、ということだ。生まれたばかりの赤ん坊を世話することと変わらない。・・・・・・老いた人、病んだ人も同じである。食べることをどうするか、おしっこ、ウンチをどうするか、どうやったら安心してやすらかに眠りについてもらえるか。それだけが重要な課題なのである。」

その中でも、「出すこと」が本当に厄介である。
自分のことで恐縮だが、脳出血で半年近く入院し、それから家に帰ってきた。病院にいるときは、下の世話は、看護師さんたちに任せきっていた。半年近くなり、退院が迫ってくると、それに応じて、下の処理も、まあできるようになった。

でも大便は、からなずしも、規則的には出ない。半身不随で杖をついて歩くのは、腰のあたりに負荷がかかる。だからごく稀に、大便が、意思とはちがって、少し漏れることがある。女房は、これに参ってしまう。とにかく臭い。私が臭くてかなわないのを、女房が臭くないわけがない。

しかし私は、パンツやズボンを変えることができず、お尻をきれいにすることはできない。尻を風呂場で洗うのも、着替えを持ってきてもらうのも、ぜんぶ、女房に頼りきりになってしまう。こういう「ソソウ」は、退院してから一年半で三回あった。

これはいってみれば、私は回復期だと想像されるから、女房も何とか我慢してやっているので、これが看取りという逆方向なら、厳しいことになる。

棋士の何を見るか――『不屈の棋士』(3)

ほかに村山慈明が、コンピュータと将棋の美しさについて、面白いことを言っている。

「村山 ・・・・・・ソフトの将棋は形がグロテスクというか、美しさがまったくない。でもそれは人間の感覚で、ソフトからしたらあれが美しいのかもしれない。」
これはプロのみが、肌で知る感覚である。
 
村山はあくまで正統派である。ソフトが発達した現代に、いったいどういう将棋を指そうとしているのか、という問いに対して、こんなふうに応えている。

「村山 とにかく内容重視でいい将棋を指したい。私は勝った時も相手が勝手に転んだような将棋だとうれしくないんです。」
 
しかしその正統派の将棋で、「形がグロテスク」なソフトに、太刀打ちできるのか。他人事ながら、悩みは深そうである。
 
これに対して佐藤康光は、じつに明快である。だいたいこの人は、コンピュータ・システムに指南してもらわなくとも、とにかく自由奔放なのである。

「ちまちまとした修正ではなく(それも十分価値があるが)、人をあっと驚かすような、見たこともない絵模様を盤上に浮かび上がらせるのが佐藤なのだ。」
 
もちろん佐藤は、そんなことはない、きちんと理論に基づいてやっている、というけれど。「将棋魂」――佐藤はたまに、この言葉を揮毫することがある。確かに、ソフトに「魂」はない。

「佐藤 (将棋は)結論を出すためのゲームではない。将棋には、形勢が悪くても逆転するという魅力がある。それは持ち駒が使えるという、将棋ならではの魅力なんです。プロ棋士のいちばん好きな勝ち方ってわかりますか。逆転勝ちなんです。」

佐藤のこの言葉には、将棋の神髄がある。
かつて、大山康晴十五世名人も、言っていた。人間はミスをする動物である、と。しかし今、ミスをしないコンピュータが、相手として出てきたのだ。これを、どう考えたらいいか。
 
僕は、例えばNHK杯の将棋を見続けるだろう。終盤の手に汗握る攻防は、相変わらず、ずっと面白いにちがいない。けれどもすでにコンピュータがあって、それと比較して、時の名人以下プロの棋士たちの指し手があるとすれば、やっぱりその面白さは、どこかに影が差している、ということにならないだろうか。
 
こっちの棋士は、コンピュータに比較すれは60点、あっちの棋士は、90点、そんな見方を、僕は好まないけれど、でも人の見方は、どこでどう影響を受けるかわからない。コンピュータを参照しながら、将棋を見るようなことは、絶対にしないつもりだけれど、そんなことはしないと自分を信じているけれど、でも行く手には、ぼんやりと影が差している。

(『不屈の棋士』大川慎太郎、講談社現代新書、2016年7月20日初刷、8月2日第2刷)

棋士の何を見るか――『不屈の棋士』(2)

千田翔太はここ2、3年、突然強くなり、タイトル戦にも出てくるようになった。千田は言う、棋士とソフトの実力を比較してみれば、ソフトが上であることは明らかだ、と。

「千田 ・・・・・・ここで私は決断をしました。これからは『棋力向上』を第一に目指してやっていこう、と。・・・・・・より特化するということです。公式戦で勝つよりも、純粋に棋力をつけることを第一としようと。」
 
これだけ聞いていると、ふうんという感じだけど、じつはこれは、最も新しい、革命的なやり方なのである。コンピュータは、レーティングによって格付けされている。千田のインタビューが行われたのが2015年だが、そのころの最強ソフトは3600点あった。これは、千田のレーティングよりも、800点以上うえでもおかしくないという。
 
千田翔太は1994年生まれ。つまり、ソフトの方が上というのを、そのまま受け入れることができるのだ。だから彼は、今では基本的に人間の棋譜は並べない、ソフトだけに限って並べるという。

これはこれで、いい勉強法である。ソフトの棋譜には、一手ずつ評価値がついているので、形勢については、はっきりした理由が分かる。

「将棋に強くなるためには、『この時にこうするといい、悪い』というパターンを自分の中にたくさん蓄積することが大事だ。ソフトを使えば、従来の方法より圧倒的に素早く吸収できるというのが千田の見解だ。」
 
それで千田は、昨年のNHK杯選手権の決勝まで行った。決勝の相手は村山慈明、千田はそこで敗れ去った。ちなみに今年のNHK杯選手権者は、ソフトをまったく相手にしない佐藤康光である。

ソフトだけを相手にして、決勝で敗れた千田と、ソフトを無視して、10年ぶりにNHK杯選手権者になった佐藤康光。もちろん年度が違うし、ぶつかる相手もそれぞれなのだが、それにしても、良くできた話ではある。
 
だが、そういうこととは別に、ソフトは手っとり早く将棋が強くなる方法としては、最強なのである。

棋士の何を見るか――『不屈の棋士』(1)

将棋観戦記者の大川慎太郎が、11人の棋士に、コンピュータ・ソフトについて、どう思うか、どう活用するか、をインタビューする。棋士は、羽生善治、渡辺明、森内俊之、佐藤康光、行方尚史、山崎隆之、糸谷哲郎、村山慈明、勝又清和、西尾明、千田翔太の11名。
 
このうち、コンピュータにもっともよく親しんでいるのが、千田翔太、少し触ったけれど、相手にしない、願い下げ、というのが佐藤康光、その両極を結んだ線上に、そのほかの棋士が並ぶ。

「『一番強いのは棋士』という価値観が、ソフトの登場によって根底から揺さぶられていることは間違いない。そんなことは、徳川幕府が将棋指しに俸禄を与えた1612年以来、初めてなのである。」
 
ちょうど昨日、佐藤天彦名人がコンピュータ・ソフトに、70数手で敗れるということがあった。これが羽生なら分からない、とはならない。おそらく羽生の場合でも、結果は同じことだろう。これをどう考えるか。

「羽生 ソフトの将棋は基本的にかなり異質なものです。人が指す将棋というのは形と手順の一貫性を重んじますが、ソフトはその二つはまったく気にしていない。また、ものすごく深く読める。人間は何百万手も読めませんから(笑)。」
 
だから羽生は、ソフトの使い方としては、ある特殊な場面を調べるのが、一番いいやり方だという。そしてそれは、研究法としては、小さな割合を占めるにすぎないという。

「羽生 ・・・・・・基本的に自分の頭で考えることが大事だと思っています。ただお医者さんにセカンドオピニオンを求めるような感覚で、この局面に対して自分はこう思うけど、違う可能性がないのかどうか気になる時には使うこともありますね。」
 
対局が始まれば、ソフトに聞くことは禁止されてるから、結局この使い方しかないような気がする。
しかしソフトが加わったことによって、将棋の見方が少し変わるかもしれない。

「羽生 ・・・・・・たくさん試してみたら意外といい形だったということが判明しました、となる可能性もあります。すると、そのうちにいい形に見えてくる。つまりそれまでの好形、悪形というのは、人の思い込みだった可能性もあるわけです。なぜこれが好形かという理由を言葉できちんと説明できないじゃないですか。」
なるほど、そういうことは、あるかもしれない。
 
羽生と並ぶ一方の雄、渡辺明もだいたい同じ意見だ。ソフトの指す将棋は、人間の指す将棋とは、別物である。その上で、こんなことを言う。

「渡辺 ・・・・・・将棋の定跡はほとんどが『先手よし』。でもいままでは、なぜ先手よしなのかがわからなかった。極端なことを言えば、昔はどんな指し方をしてもいい勝負だったんですよ。それは先手が正確にとがめられないからなんです。でもこれからは、後手で新戦法を出しても、その日のうちにソフトにかけられて具体的に先手よしと解明されたらすぐに消滅してしまう。」
だから、新戦法のスパンが、大変短くなるかもしれないという。
 
渡辺は、このままソフトが強くなっていけば、将棋界が、今と同じくらいの人数で栄えていくのは、無理かもしれないという。やっぱりコンピュータ・ソフトは、大きな影を落としているのだ。