最後の雑誌編集者――『言葉はこうして生き残った』(3)

もうすこし司修さんの話を続ける。
「ぼくには『テキストを深読みする』という〝悪い癖〟があるとおっしゃる方です。どの作家とも長時間をともにし、舞台となった土地を歩き、それらを滋養としながら仕事をするのが流儀です。」(「装幀の奥義」)
 
司さんの仕事では、松谷みよ子が原稿を書いた絵本『まちんと』もある。これは三歳になる女の子が、原爆に遭って息絶え、鳥になって「まちんと まちんと」(もっと もっと)と水を求めて、空を飛びまわる話だ。この絵本を一度見た人は、終生その絵が焼き付いて離れることはない。
 
松谷さんは、その本の「あとがき」に書いている。
「司さんは『すっかり仕上がった絵をずらりとならべてみせてくださったかと思うと、すぐぱたぱたとしま』うと、『一さつ描いてみて、見えてきました。ぜんぶ新しく描きなおします』と言って、一冊分をすべてやり直した、と。
 そうか。こういう長い時間を経て、一九七八年刊の初版本ができあがったのか、と得心します。」(同)
 
一冊やってみて、見えてきたことがあり、だからもう一度やり直す。もう一度やり直した結果だからこそ、あの奇跡的な絵がある。そんな人は、もういないんじゃないか。
 
しかし、問題は挿絵ではなく、それに十倍するところの、野坂さんの原稿なのだ。
野坂昭如著「行き暮れて雪」の顚末は、この本の中でも白眉だ。

「追跡劇はいつも予想を超えた波乱含みのゲームでした。ラクをしてすんなり四〇枚の原稿を手にすることは一度としてなく、こうした一連の〝儀式〟を共にすることで、締切のどんづまりに向けて自らの妄想をかき立てていく作家の役づくりをお手伝いしている、といった感もありました。
 追いかけて新潟、山形、神戸・・・・・・。逃亡先を突き止め、夜汽車で追い、現地で身柄を拘束して、東京へ連れ戻す。」(「野坂番のさだめ」)
 
こういうことは、もうほとんどない。締め切りを守らなければ、執筆者のリストから消されてゆくばかりだ。けれども、ではあの締切を守れない著者がごろごろしていた頃は、なぜコクのある原稿が多かったのか。

「村松(友視)さんともよく語り合ったものですが、あれだけ酷い目にあって、いいかげん腹も立ち、もうしばらく原稿を頼むのは止めよう、と思う端から、最後の一枚がようやく手に入った瞬間に、怒りはすっかり消え失せて、ゴールした喜びをともに分かち合うような共感が生まれるのはなぜだろう、と。」(同)
 
それはもちろん、「現地で身柄を拘束して、東京へ連れ戻す」刑事の心意気である、というのは冗談だけれど、でもこれは、本当に不思議だ。