奇跡の対話――『死と生きる―獄中哲学対話―』(2)

一審で死刑判決が出たが、陸田氏はこれを当然のこととして受け入れ、控訴はしないという。それに対する池田さんの返事はこうだ。

「全然、甘い。
 端的に私は、そう感じました。がっかりです。人を殺しておいて、そのうえ、かっこよく死んでやろうなんて、考えが甘すぎます。・・・・・・かっこよく死ぬことと、善く生きることとは、全く関係がありません。あなたはそこを、ごっちゃにしている。甘えるな。」
 
死刑囚だろうか何だろうが、全然お構いなし。そうでないと、相手の胸に届かない。とにかく、気軽に会って話して、という関係ではない。それどころか、時間もないし、相手を見すえて真っ向から立ち向かっていかないと、対話は成り立たない。
 
それにしても、まずは文章の書き方から、指導しなければならない。
「文章を書く際に、くだらないほうの人間を読者に想定しては、絶対にいけません。常に自分にとって最高と思われる読者をのみ、遠くに想定し、『その人』に向かって書くのです。」
 
でも睦田氏には、それだけでは漠然としすぎているかもしれない。そこで池田さんは、たとえば自分にとっては、こういう読者が相手になると説く。

「たとえば、私にとって最高の読者とは、真理を受けとめてくれる相手としての『神』であり、あるいは、より賢明である(だろう)数千年後の人類です。歴史上の偉人や哲人である場合もあります。文章を書くことを『いいほうに意識する』とは、つまりこういうことです。」
 
そうして陸田氏を、ピンポイントで射抜く。
「とはいえ、あなたには、往復書簡というこの形式において、とりあえずは私という『読者』がいるのだから、私にのみ向かって書くこと、そして、よそ見をしないこと、あらためて念を押しておきます。」
 
それでもやはり大変である。睦田氏は回心し、善く生きようとして、いろいろなことを学び始める。そして踏み迷って出られなくなる。池田さんはそれに対して、時に優しく、しかし大半は単刀直入に、相手に魂を込めた言葉を投げかける。

「あなたは、悪いと知らずにそれを為し、為してからそれを悪いと『知った』。これはいったいどういうことなのか。ここで起こったことはなんなのか、殺人を犯してのち、それを悔悟するという稀有な経験を経た者として、もう一度きちんと語ってみて下さい。」
 
こうして彼は、誰も語ったことのない当事者としての物語を、語り始めるのである。

(『死と生きる―獄中哲学対話―』
池田晶子・陸田真志、新潮社、1999年2月20日初刷)