奇跡の対話――『死と生きる―獄中哲学対話―』(1)

続いて『死と生きる―獄中哲学対話―』を読む。これは池田晶子さんと陸田真志の共著である。陸田氏は都内の風俗店に勤め、そこでの強盗殺人等により死刑を求刑されていた。
 
池田さんは、陸田氏からの問いかけに対し、全身全霊をもって応えようとする。
「私は、急ぎ彼にあて手紙を書いて出した。・・・・・・その内容は、つまり、『控訴せよ』。死ぬのはいつでも死ねるのだから、やるべきことをやってから、死ぬように。」
 
つまり、改心した人間が、「善く生きる」とは、どのように生きればよいのか、それを示してから逝くように、という内容である。
死刑囚に真っ向からこういうことが言えるのは、池田さんをおいて他にはおられない。
 
最初、陸田氏は、「死刑になってもならなくても、よく生き、死んでいく事、正しくある事が、私がこの先できる唯一の償いだ」と、悟ったふうなことを言っている。
 
それに対し、池田さんは、次のようなところから入る。
「善く生きるということは、明らかに、そのことを『人に伝える』ということを、含んでいるのです。」
こうして「獄中哲学対話」、往復書簡が始まる。

陸田氏は三通目の手紙で、こんなことを書く。
「池田様やプラトンの著書や新約聖書が、つまりソクラテスやイエスの考えが、私にも共感できたのは、それが『真実、義、真理』、言葉はどうあれ『正しかった』からだ、そう思えますし、同時にそれが池田様やプラトン、ソクラテス、イエスの考えではなかったからだ。つまりそれが彼らの『考え』であって、『彼らの考え』ではなかったからだ。」
 
これを読んで、池田さんはびっくりする。
「きょうび、滅多に聞くことのできない正しく真っ当な言葉、それをまあ、獄中の殺人犯から聞くことができるなんて」
 
これは、本当にそうだ。誰の考えでもない無私の精神、そこから出た言葉でなければ、響いていくことはできない。でもそれは、例えば池田さんの言葉としてある。陸田氏が言うのは、そういうことだ。