いつでも会える――『新・考えるヒント』(2)

次は「学問」から。
「常識と随筆的方法との用意があれば足りることだけは果そうと思うのである。」
このあたりは、小林秀雄そのものだ。

「論証性だの客観性だの、まだるこしい手続きを踏まずにすむ批評という方法は、小林にこそふさわしいものだったのだ。」
これは、池田さんにもそのまま当てはまる。

そして池田さんは、次のように書きつける。
「小林秀雄の『考えるヒント』に倣って、考えつくところをこうして書いているわけだが、書いているうちに、彼と我とが判然としなくなってくるところが、今さらながら面白い。この経験こそ、考えるということの醍醐味、一種忘我の、と言えば誤解を招くなら、小林ふうに無私の、と言おうか、精神が自身を味わうことの喜びであろう。」
 
読者は入りこんでいるから、いかにももっともと、小林・池田と並んで、一緒に陶然としていられるが、よく考えると、これはちょっと恐ろしい、というか凄いことだ。こういうところを軽々と翔け回るのが、池田さんの真骨頂だ。
 
これはどちらの言葉だか、わかりますか。
「人生について考えるという、誰もがしているはずのこの当たり前のことが、しかしこれを正しく行うということは如何に困難なことであるか。」
これは、池田さんの口を借りて出た小林秀雄の言葉だ、と思えてならない。
 
次の言葉は、池田さんの「永遠性」を、そのまま語る。
「永遠に存在するものは、有限な肉体としての私ではないのだから、そう呼びたければそれを霊魂と呼んでもいい。何と呼んでも構わない。しかし確かに知られるのは、この永遠性をこそ道徳として、これに即して地上の人間は生きてきたという事実である。」
 
こういうことをはっきり言える人間が、本当にいなくなった。
三か月に一度くらい、二人で酒を飲んでいるとき、たまたま「私、文部大臣になりたいの」と、酔いに任せて仰ることがあったが、あれは存外、しらふの台詞だったのだと思い返す。
 
最後の章の「無私の精神」が、真骨頂中の真骨頂である。
池田さんは、理屈を言うのが嫌いだし、意見を言うのが嫌いだった。これ、分かりますか。だから、話が飛ぶようだが、例えば闘病記の類いも、いっさい載せなかった。そんなこと、個人の事情じゃないの、と。

それゆえ、
「たとえば『私とは何か』と考えているところの、その『私』とは、では主観的なものと言うべきか、客観的なものと言うべきか。」

私とは誰か、という問いがある。このとき、私とは誰か、と問うている「私」こそが問題になる。この「私」は、誰でもないところのものである。

「これを逆から言えば、無私でなければ人は考えられないはずだということである。『私である』ということは、われわれの常識中の常識、いわば大常識であるが、これを意識化してみれば、『私』は以前の私ではない。」
 
僕はこういうことを、池田さんが生きていたときは、頭では理解していたけれど、府に落ちてはいなかった。本当に申し訳ないことをした。
 
いま池田さんの言葉は、「それを霊魂と呼んでもいい。何と呼んでも構わない」が、肉体が消滅したぶん、それは、かえって直接、響いてくる。

(『新・考えるヒント』池田晶子、講談社、2004年2月10日初刷)