用があって、久しぶりに池田晶子さんの『新・考えるヒント』を読んだ。読めばたちまち、池田さんの世界へ連れて行かれる。
「書物はいよいよ売れなくなって、書き手と作り手は、いよいよ安い言葉を売りに出すようになる。この悪循環の中で忘れられてゆくのは、言葉は交換価値ではなく、言葉それ自体が価値なのだという、当たり前の事実である。」
これは池田さんが、口を酸っぱくして言っていたことだが、分かる人間には分かるし、分からない人間には分からないことだ。ただ口を酸っぱくして言っていると、あるとき、ある人間に、はっと分かる場合がある。これはもう、はっと、という以外に、分かりようがない。
「本当にそんなふうに思っているなら、高価な言葉を高価な値段で売る方を目指すべきだろう。言葉を価値と知る者なら買うはずである。マーケットはそれで成立するはずである。」
たしかに、池田さんの場合は、それで成立した。文庫という、安いしつらえに変える必要もなかった。ただし、それで成立したのは、現代では池田さん、ただ一人だ。
これは、池田さんの言葉はただ一人、「無私なところ」から生まれて、池田某の口を使って出てきたからだ。でもこれも、わかる人にしかわからない。
ただ、池田さんの本が、亡くなって十年経った今も、ぜんぶ新刊で買えることを考えれば、つまり絶版が一冊もないことを考えれば、読者の慧眼に頭が下がる。いや、これも、池田さんの見抜いたとおりだったというべきか。
『新・考えるヒント』は、小林秀雄の『考えるヒント』を自在に織り込みながら、小林へのオマージュを謳い、時に掛け合い、時にジャンピングボードとして、「言葉」ほかを自在に飛翔したもの。
なかで印象的な言葉を引いておく。
「人は、『生きる』という言葉なしに生きることはできない。言葉なしに生きることはできないのである。」
空気がなければ人は死ぬが、言葉がなくても人は生きられる、と思っているが、全然そんなことはない。
「この世界に生まれてきたばかりの赤ん坊の自分にとって、言葉の獲得とは、そのまま世界の獲得であったという、あの絶対的な事実を思い出すことだ。」
そう、あの絶対的な事実を思い出すこと。