ご存じ・・・!――『文庫解説ワンダーランド』(5)

このあとも、『三四郎』と『友情』、『限りなく透明に近いブルー』と『半島を出よ』、『点と線』と『ゼロの焦点』、「三毛猫ホームズ」シリーズ、『ひとひらの雪』、『ビルマの竪琴』と『二十四の瞳』と『夏の花』、『火垂るの墓』と『少年H』と『永遠の0』、といろいろあるが、もう切り上げる。しかし最後に、『点と線』と『ゼロの焦点』の文庫解説について、ひとことだけ言っておきたい。
 
文庫の解説者は平野謙。この人が、『点と線』には、トリックに傷があると言う。これは有名なもので、東京駅には夕方の四分間だけ、列車がはいってこない時間があり、その間は端のホームから、いちばん端のホームまで、素通しで見渡すことができる。

これがトリックの要であるが、
「平野が疑義を挟むのはくだんの『四分間』の件である。
〈真犯人は目撃者を何時何分に横須賀線へつれてくるだけでなく、おなじ時刻に被害者の男女をして東海道線フォームを歩かせねばならぬことを意味する〉
 そんなピンポイントの遭遇が本当に可能なのか。」
 
あるいはまた『ゼロの焦点』、こちらも解説は平野謙である。こちらはプロットに疑問があって、合計4人殺されるのは、ちょっと多すぎる、2人でいいじゃないか、と。
 
しかしそもそも、『点と線』も『ゼロの焦点』も、小説なのである。いくら社会派とはいっても、社会そのものを写し取っているわけではない。そんなことをすれば、『僧正殺人事件』はどうなる、『ABC殺人事件』はどうなる、『虚無への供物』や『ドグラ・マグラ』はどうなる。て、ちょっと話がずれてるけども。

『点と線』も『ゼロの焦点』も、「社会派」とはいえ、「社会そのもの」ではない。というか、そんなレッテルは、周りが貼りつけたものだろう。
 
しかし、斎藤美奈子の筆は容赦がない。
「そもそも松本清張作品は、『点と線』に限らず、『最後まで読んでも事件が解決した気がしない』のが多い。謎解き役の刑事はトンマだし、トリックは無理筋だし、動機は憶測にすぎないし、登場人物の人間像は中途半端だし、後半はいつも駆け足だし・・・・・・。テキストの中に何か重大な忘れ物をしてきたような消化不良感がいつも残る。」
 
うーん、厳しいね。そこまで言うなら、もう読まなきゃいいじゃないか、と言いたくなる。
でも、僕が言いたいのは、そういうことではない。

『点と線』も『ゼロの焦点』も、一時代を代表するような本である。そういう本が文庫になったとき、なんと解説者が、いちいち難癖をつけているじゃないか。僕はこれに仰天した。ちょっと考えても、おかしいでしょう。松本清張は、このいちゃもんを許したのかね。よっぽど平野謙と親しいとか、デビューのときに世話になったとか、・・・・・・とにかくどうも、わけが分からん。
 
ただ文庫解説でこういうのが許されるのならば、たとえば『少年H』や『永遠の0』の場合にも、ひょっとすると、実のある解説が望めるのではないか。つまりこういう本は、歴史を上塗りして捏造し、というのがひどければ、一面だけを誇張して取り上げ、それでもって読者に媚を売ってベストセラーになった本である、というふうに。
しかし、でも、まあ無理だろうなあ。

それにしても、斎藤美奈子の本の話は、本当に面白い。
ただこの岩波新書については、文庫解説とは言いながらも、解説そのものと文庫本体とに焦点がぶれていて、ちょっと厄介である。文庫を俎上に載せるのが目的で、その際、あとの解説から見ていくのを一応の基準として、しかしそこにそれほど拘泥はしない、というのは、あまりうまくいっていないように感じられる。
 
とはいえ、斎藤美奈子が取り上げるのならば、どこを切っても面白そうだし、また事実おもしろいのだから、それでいいと言えばいいんです。

(『文庫解説ワンダーランド』斎藤美奈子、岩波新書、2017年1月20日初刷)