ご存じ・・・!――『文庫解説ワンダーランド』(3)

『智恵子抄』はむかし読んだきり、打っちゃっておいた。こういういい気な男は、どうしようもない。

「光太郎と出会う前の長沼智恵子は絵で身を立てたいという希望を持ち、平塚らいてうのテニス仲間として『青鞜』の表紙の絵を描くなどの「新しい女」だった。そんな智恵子の人生を狂わせたのは誰だったのだろうか。」もちろん高村光太郎。

僕は、詩人と絵描きがくっつき、芸術を媒介にして美しい関係を結ぶと見せて、その内実は男が女を支配し、やがて滅ぼすに至る典型的な例ではないかと思ってきた。

角川文庫の『校本 智恵子抄』の解説で、中村稔がそれを丹念に追っている、と斎藤美奈子は言う。
「〈壮麗な理想ないし夢想の実験〉だった二人の生活が、幻滅に変わり、地獄絵図と化し、智恵子の「聖女化」へと向かう過程を追ったこの解説は、すでに優れた一遍の『智恵子抄』論だ。」
 
それでも、永遠の〈愛の詩集〉という位置は不動なんだと。ふーん。

それから、『悲しみよ、こんにちは』と『ティファニーで朝食を』の新訳の話が出てくる。それに合わせて文庫解説も、新しいのが出ているが、旧版が無くなるのは寂しい、実際にサガンを訪問した朝吹登美子や、ティファニーへ行って、朝食を摂れるかどうかを確認した龍口直太郎は、翻訳者の鏡ではないか、と斎藤美奈子は言う。ちなみに、ティファニーで朝食は摂れないようだ(あたりまえか)。
 
外国文学では、『ロング・グッドバイ』『グレート・ギャツビー』『白鯨』の三点を、「ホモエロティシズム」の概念で串刺しにする。

「『ホモエロティシズム』は、ホモソーシャルとホモセクシュアルの中間に位置するエロティックな関係を指す(同性愛にも多様な段階があることは異性愛と変わりがない)。この概念を手に『グレート・ギャツビー』『ロング・グッドバイ』を読むと、ニック・キャラウェイがギャツビーに抱くのも、フィリップ・マーロウがテリー・レノックスに抱くのも、嫌悪と憧憬の間を揺れ動く、屈折した恋愛感情=ホモエロティシズムにほかならない。」
 
新訳が出るまでは、そういうことは全然分からなかった。それでも、なんとなく有り難がって、読んだものだ。それを思うと、なんというか、そのころの僕がいじらしくなる。とはいえ、かつての訳では、『ロング・グッドバイ』も『グレート・ギャツビー』も『白鯨』も、隔靴掻痒、よく分かんなかったなあ。