ご存じ・・・!――『文庫解説ワンダーランド』(1)

ご存じ斎藤美奈子が、「文庫解説」という盲点を突き、縦横に攻めまくる。こりゃあ面白いぞ、と誰でもが思うけど、でも、うーん、これはどうなんだろうねえ。
まあとにかく、読んでみよう。
 
最初の『坊っちゃん』は、痛快活劇と見せて、じつは悲劇の主人公という、もう、ちょっと手垢にまみれた題材だ。でも、『漱石全集』が表看板の岩波書店の新書だから、まあいいとしよう。
 
その次は、『伊豆の踊子』と『雪国』。これは集英社文庫版『伊豆の踊子』の、橋本治の「鑑賞」が読ませる。

「『私』と踊子の間には超えがたい『身分の差』が横たわっている。当時は売買春も当たり前で、踊子もその含みをもっていた。〈「それならいけるか」と思った“私”〉は一座についていくが、むろんそんな欲望は表に出せず悶々としている。」
 
そしてついに、別れの時が来る。
「橋本の解説は明言しないが、それは『私』が自分の中に残っていた(恋愛を阻む)差別心に気づいた瞬間だったともいえる。だから彼は〈なんの身分の差もない、やがて自分と同じような一高生になるはずの少年のマントに包まれて〉泣くのである。」
 
なるほど、最後の場面の、「一高生になるはずの少年のマントに包まれて」さめざめと泣くというのが、どうしても分からなかったのだが、これでなんとなく分かったような気がする。
 
あらためて考えると、と斎藤は言う、『伊豆の踊子』と『雪国』は好一対になっている。
「『伊豆の踊子』が一線を越えずに終わった恋愛未満の物語なら、『雪国』は一線を越えたことで恋愛の不可能性に気づいてしまった男女の物語だった。」
うーん、鮮やかなものですね。
 
でも僕は、そもそも川端康成なんていう小粒で、ちょっと卑俗がかった作家は、どうでもいい。だいたいそういうふうに遇されていたはずなのに、ノーベル賞がその評価を狂わせちまった。まったく罪なことをするもんだよ、ノーベル賞。

でもこれは、考えてみれば、文庫解説に直接の関係はないですね。