用があって、久しぶりに池田晶子さんの『新・考えるヒント』を読んだ。読めばたちまち、池田さんの世界へ連れて行かれる。
「書物はいよいよ売れなくなって、書き手と作り手は、いよいよ安い言葉を売りに出すようになる。この悪循環の中で忘れられてゆくのは、言葉は交換価値ではなく、言葉それ自体が価値なのだという、当たり前の事実である。」
これは池田さんが、口を酸っぱくして言っていたことだが、分かる人間には分かるし、分からない人間には分からないことだ。ただ口を酸っぱくして言っていると、あるとき、ある人間に、はっと分かる場合がある。これはもう、はっと、という以外に、分かりようがない。
「本当にそんなふうに思っているなら、高価な言葉を高価な値段で売る方を目指すべきだろう。言葉を価値と知る者なら買うはずである。マーケットはそれで成立するはずである。」
たしかに、池田さんの場合は、それで成立した。文庫という、安いしつらえに変える必要もなかった。ただし、それで成立したのは、現代では池田さん、ただ一人だ。
これは、池田さんの言葉はただ一人、「無私なところ」から生まれて、池田某の口を使って出てきたからだ。でもこれも、わかる人にしかわからない。
ただ、池田さんの本が、亡くなって十年経った今も、ぜんぶ新刊で買えることを考えれば、つまり絶版が一冊もないことを考えれば、読者の慧眼に頭が下がる。いや、これも、池田さんの見抜いたとおりだったというべきか。
『新・考えるヒント』は、小林秀雄の『考えるヒント』を自在に織り込みながら、小林へのオマージュを謳い、時に掛け合い、時にジャンピングボードとして、「言葉」ほかを自在に飛翔したもの。
なかで印象的な言葉を引いておく。
「人は、『生きる』という言葉なしに生きることはできない。言葉なしに生きることはできないのである。」
空気がなければ人は死ぬが、言葉がなくても人は生きられる、と思っているが、全然そんなことはない。
「この世界に生まれてきたばかりの赤ん坊の自分にとって、言葉の獲得とは、そのまま世界の獲得であったという、あの絶対的な事実を思い出すことだ。」
そう、あの絶対的な事実を思い出すこと。
なんとなく芥川賞――「しんせかい」
毎週一回、老健久我山のデイケアに通っている。時間は午前9時から、午後3時半まで。総勢30人で、男と女が半分ずつくらい。午前中1時間、みんなで体操があり、午後の1時間は、いってみればレクリエーションの時間である。ほかに、専門の先生がついて、リハビリの時間が20~30分ある。ちょっと薄味だけど、昼飯も出る。
それ以外は自由であるが、みんなそれぞれ手足が不自由なので、自由時間とはいっても、活発に動き回る人はいない。僕は若い方から数えて、4番目か5番目くらい。90歳以上の人も、男女合わせて6、7名いる。
僕は、自由時間は、家から持ってきた本を、ひたすら読んでいる。
僕より少し上のKさんは、大手出版社の校閲係だった人で、この人も自由時間は、ひたすら本を読んでいる。老健の職員がKさんと僕を、ひたすら本を読んでいるんだから、話が合うだろうと、いつも隣り合わせにしてくれるが、考えて見れば、本を読んでいるのだから、話はほとんどしない。
それでも日によっては、少し話をする。
「『文藝春秋』の芥川賞、読んだかね。」
「「しんせかい」ですか。あんまり読む気しないですけど。」
「読まなくて正解だよ。3ページも読めなかったよ。選考委員の一人が、山下清の日記ふうだとクソミソに言ってたけども、さもありなんだ。」
そこで、「山下清の日記ふう」というのに惹かれて、読んでみた(この選評は島田雅彦による)。
「しんせかい」は、高倉健やブルース・リーになりたくて、脚本家・倉本聰の富良野塾に入り、そこで起こる一年間の記録を、わざと拙くつけたものだ。ただし倉本聰や富良野塾などの固有名詞は、いっさい出てこない。
文体に特徴があって、
「それは俳優と脚本家、脚本家というものが何なのかよくわからなかったので辞書で調べた、を目指すものを育てる知らない名前の人の主宰する場で、・・・・・・」
こんなふうに地の文章で、いわば関係代名詞のように、非常に露骨に挿入されているのが、個性といえば個性。この他、会話の文章も一見、山下清ふうに作ってあって、これがまあ工夫といえば工夫である。
島田雅彦の「しんせかい」の評は、「無個性のおばかさんが半自給自足生活のかたわら、劇団修業に励んだ青春時代を淡々と記録したもので、山下清の日記に通じるペーソスもあり、また人間関係の悩みも機微も排除した結果、立ち上がってくる無意味さに味があるものの、なぜこれが受賞作になるのかよくわからなかった。」
これは、「・・・・・・ものの、なぜこれが受賞作になるのかよくわからなかった」を取ってしまえば、そのまま授賞理由に使えそうですね。
僕はそれよりも、「しんせかい」というタイトルに違和感を持った。この人は、容貌からすると、失礼ながら高倉健やブルース・リーというよりは、「仁義なき闘い」方面の方が、ぴったりくる。それで「しんせかい」とくれば、大阪の新世界をどうしたって連想する。いったいいつ新世界方面が登場してくるのかと、どきどきしながら待っていたが、すっかりスカだった。でも、これはもちろん僕が悪い。
(「しんせかい」、山下澄人、『文藝春秋』3月号、2017年2月10日発行)
それ以外は自由であるが、みんなそれぞれ手足が不自由なので、自由時間とはいっても、活発に動き回る人はいない。僕は若い方から数えて、4番目か5番目くらい。90歳以上の人も、男女合わせて6、7名いる。
僕は、自由時間は、家から持ってきた本を、ひたすら読んでいる。
僕より少し上のKさんは、大手出版社の校閲係だった人で、この人も自由時間は、ひたすら本を読んでいる。老健の職員がKさんと僕を、ひたすら本を読んでいるんだから、話が合うだろうと、いつも隣り合わせにしてくれるが、考えて見れば、本を読んでいるのだから、話はほとんどしない。
それでも日によっては、少し話をする。
「『文藝春秋』の芥川賞、読んだかね。」
「「しんせかい」ですか。あんまり読む気しないですけど。」
「読まなくて正解だよ。3ページも読めなかったよ。選考委員の一人が、山下清の日記ふうだとクソミソに言ってたけども、さもありなんだ。」
そこで、「山下清の日記ふう」というのに惹かれて、読んでみた(この選評は島田雅彦による)。
「しんせかい」は、高倉健やブルース・リーになりたくて、脚本家・倉本聰の富良野塾に入り、そこで起こる一年間の記録を、わざと拙くつけたものだ。ただし倉本聰や富良野塾などの固有名詞は、いっさい出てこない。
文体に特徴があって、
「それは俳優と脚本家、脚本家というものが何なのかよくわからなかったので辞書で調べた、を目指すものを育てる知らない名前の人の主宰する場で、・・・・・・」
こんなふうに地の文章で、いわば関係代名詞のように、非常に露骨に挿入されているのが、個性といえば個性。この他、会話の文章も一見、山下清ふうに作ってあって、これがまあ工夫といえば工夫である。
島田雅彦の「しんせかい」の評は、「無個性のおばかさんが半自給自足生活のかたわら、劇団修業に励んだ青春時代を淡々と記録したもので、山下清の日記に通じるペーソスもあり、また人間関係の悩みも機微も排除した結果、立ち上がってくる無意味さに味があるものの、なぜこれが受賞作になるのかよくわからなかった。」
これは、「・・・・・・ものの、なぜこれが受賞作になるのかよくわからなかった」を取ってしまえば、そのまま授賞理由に使えそうですね。
僕はそれよりも、「しんせかい」というタイトルに違和感を持った。この人は、容貌からすると、失礼ながら高倉健やブルース・リーというよりは、「仁義なき闘い」方面の方が、ぴったりくる。それで「しんせかい」とくれば、大阪の新世界をどうしたって連想する。いったいいつ新世界方面が登場してくるのかと、どきどきしながら待っていたが、すっかりスカだった。でも、これはもちろん僕が悪い。
(「しんせかい」、山下澄人、『文藝春秋』3月号、2017年2月10日発行)
ひたすらに――『キャスターという仕事』(2)
国谷さんが最も重視しているのは言葉だ。
たとえばニュース番組で、「なかなか理解が進まない安保法制」というところから入ったとすると、前提として、安保法制をみんなが納得して、よく分かっているのが、いいことになってしまう。
あるいは、衆参両院で多数派が違うとき、これを「ねじれ」というが、よく考えればこれは、「(「ねじれ」という)是正すべき事態」を、初めから含んでいる言葉ではないか。
こういうことに気がついた人は、それこそ久米宏のような、いわばキャスターとしての「天才」以外は、なかなかテレビ番組を全うすることは、できないんじゃないかと思う。
巷間、国谷裕子が「クローズアップ現代」を降りることになったのは、菅義偉官房長官を呼んだときのことが、引き金になったと言われている。安倍内閣の閣議決定で、憲法解釈を変更し、集団的自衛権の部分的行使を可能にした、そのことを捉えて、しつこくやりすぎたのだという。
とにかくこの人は真面目だ。自分の失敗を、それこそ赤裸々に書き、そうして悩んでいる。女学生が社会に出て、そのまま真っ直ぐに来た感じだ。
「視聴者の関心が極めて高かったオウム真理教事件関連番組。スタジオで模型や新しい撮影技術を駆使して取り上げた気象、バイオサイエンス、宇宙などについての多彩な科学番組。野球、サッカー、相撲、ゴルフからオリンピックまで多くのスポーツ番組。介護保険や地域医療など様々な社会保障をテーマにした番組。広島、長崎への原爆投下の被害や多くの戦争関連番組。これらを含め全く触れることが出来なかったテーマは数多く、申し訳ない気持ちがする。」
最後の、「申し訳ない気持ちがする」というところが、この人の真骨頂であり、良心の在り処だと言えよう。
もう一度、この人の「クローズアップ現代」を、ぜひ見てみたい。
(『キャスターという仕事』国谷裕子、岩波新書、2017年1月20日初刷)
たとえばニュース番組で、「なかなか理解が進まない安保法制」というところから入ったとすると、前提として、安保法制をみんなが納得して、よく分かっているのが、いいことになってしまう。
あるいは、衆参両院で多数派が違うとき、これを「ねじれ」というが、よく考えればこれは、「(「ねじれ」という)是正すべき事態」を、初めから含んでいる言葉ではないか。
こういうことに気がついた人は、それこそ久米宏のような、いわばキャスターとしての「天才」以外は、なかなかテレビ番組を全うすることは、できないんじゃないかと思う。
巷間、国谷裕子が「クローズアップ現代」を降りることになったのは、菅義偉官房長官を呼んだときのことが、引き金になったと言われている。安倍内閣の閣議決定で、憲法解釈を変更し、集団的自衛権の部分的行使を可能にした、そのことを捉えて、しつこくやりすぎたのだという。
とにかくこの人は真面目だ。自分の失敗を、それこそ赤裸々に書き、そうして悩んでいる。女学生が社会に出て、そのまま真っ直ぐに来た感じだ。
「視聴者の関心が極めて高かったオウム真理教事件関連番組。スタジオで模型や新しい撮影技術を駆使して取り上げた気象、バイオサイエンス、宇宙などについての多彩な科学番組。野球、サッカー、相撲、ゴルフからオリンピックまで多くのスポーツ番組。介護保険や地域医療など様々な社会保障をテーマにした番組。広島、長崎への原爆投下の被害や多くの戦争関連番組。これらを含め全く触れることが出来なかったテーマは数多く、申し訳ない気持ちがする。」
最後の、「申し訳ない気持ちがする」というところが、この人の真骨頂であり、良心の在り処だと言えよう。
もう一度、この人の「クローズアップ現代」を、ぜひ見てみたい。
(『キャスターという仕事』国谷裕子、岩波新書、2017年1月20日初刷)
ひたすらに――『キャスターという仕事』(1)
「クローズアップ現代」で23年間、キャスターをやった人の記録。これは、もうちょっと真面目にこの番組を見ればよかった、と思わせずにはおかない。とにかく、こんなに真面目に、テレビ番組に取り組んだ人もいるんだ、とちょっと感動した。
でもその割には、23年間の中で、僕の記憶には、「クローズアップ現代」は一本も残っていない。これはテレビを見るときの、僕の姿勢が悪いのか、それともNHKの方に、問題があるのか。ともあれ内容を見ていこう。
新番組は1993年2月1日、「『今、深く知りたい』という視聴者のニーズに応えるべく、『今を映す鏡でありたい』という制作者たちの熱い思いを込めて開始された。」
そして国谷裕子さんは、始めたころをこう振り返る。
「この番組の制作を担っていく人々の、そしてキャスターを担当することになった私の、強い意気込みが伝わってくる。『真正面から取り組む』と、まさに真正面から言うことから始める番組は珍しいのではないだろうか。」
へーえ、そうなんだ。でも真正面からが少ないとすれば、斜に構えたところからが多いということだろうか。この辺はよくわからない。
国谷さんは、「クローズアップ現代」の前に、別の番組でキャスターとして登用され、NHK総合テレビに出たものの、使い物にならなくて、わずか一年で外されている。帰国子女で、「てにをは」がおかしかったという。
そこから、こんどは始まったばかりの衛星放送で、〈ワールドニュース〉を担当する。ここでの4年間こそが、貴重な経験になった。
「同じ出来事であっても国や立場の違う人からはまったく違う目で捉えられていることを繰り返し知らされ、ものの見方が一つではなく、複眼的な視点をもつ大切さを学んだように思う。」
これは、僕なんかが〈ワールドニュース〉を見ていても、そういうことは当然ある。たとえばイラク進攻。日本のニュースはアメリカ一辺倒で、イラクは大量破壊兵器を隠していると言われたが、ヨーロッパのニュースでは、たとえばドイツ・フランスとイギリスでは180度、違う見解だった。
ともかく「クローズアップ現代」をはじめてゆく中で、だんだん分かってくることがあった。
「番組を続けていくなかで、私には次第に、時代感覚を言葉にする力(コメント力)と、ゲストに向き合える力(インタビュー力、聞く力)を研ぎ澄ますことが、キャスターの仕事であることが見え始めてきた。」
これは、どうなんだろう。NHKではテーマとして、ある話題を取り上げるとき、キャスターの裁量はどこまで及んでいるのだろうか。
たとえば、「ニュース・ステーション」で特集を組むとき、久米宏の意向は、これは場合によっていろいろだろうけど、かなりある場合もあったと思う。
あるいは、もうずっと前になるが、TBSの「報道特集」で料治直矢(りょうじなおや)がやってた頃は、ほとんどこの人が、番組を差配してたような気がしていた(もちろんすべてがそうでないことは、分かり切ったことだ)。
でも国谷さんはこう書く。
「前説は自分の言葉で書かないと、『熱』のようなものが伝わらない。たとえたどたどしくても、キャスターが熱をもって話しているかどうかで、視聴者は関心のないテーマでも聴いてみよう観てみようという気持ちになると信じていた。」
これは、なるほどという気もするが、考えてみれば、当たり前のことではある。ともかくNHKと民放では、キャスターの位置づけが、微妙にちがっているような気がして面白い。
でもその割には、23年間の中で、僕の記憶には、「クローズアップ現代」は一本も残っていない。これはテレビを見るときの、僕の姿勢が悪いのか、それともNHKの方に、問題があるのか。ともあれ内容を見ていこう。
新番組は1993年2月1日、「『今、深く知りたい』という視聴者のニーズに応えるべく、『今を映す鏡でありたい』という制作者たちの熱い思いを込めて開始された。」
そして国谷裕子さんは、始めたころをこう振り返る。
「この番組の制作を担っていく人々の、そしてキャスターを担当することになった私の、強い意気込みが伝わってくる。『真正面から取り組む』と、まさに真正面から言うことから始める番組は珍しいのではないだろうか。」
へーえ、そうなんだ。でも真正面からが少ないとすれば、斜に構えたところからが多いということだろうか。この辺はよくわからない。
国谷さんは、「クローズアップ現代」の前に、別の番組でキャスターとして登用され、NHK総合テレビに出たものの、使い物にならなくて、わずか一年で外されている。帰国子女で、「てにをは」がおかしかったという。
そこから、こんどは始まったばかりの衛星放送で、〈ワールドニュース〉を担当する。ここでの4年間こそが、貴重な経験になった。
「同じ出来事であっても国や立場の違う人からはまったく違う目で捉えられていることを繰り返し知らされ、ものの見方が一つではなく、複眼的な視点をもつ大切さを学んだように思う。」
これは、僕なんかが〈ワールドニュース〉を見ていても、そういうことは当然ある。たとえばイラク進攻。日本のニュースはアメリカ一辺倒で、イラクは大量破壊兵器を隠していると言われたが、ヨーロッパのニュースでは、たとえばドイツ・フランスとイギリスでは180度、違う見解だった。
ともかく「クローズアップ現代」をはじめてゆく中で、だんだん分かってくることがあった。
「番組を続けていくなかで、私には次第に、時代感覚を言葉にする力(コメント力)と、ゲストに向き合える力(インタビュー力、聞く力)を研ぎ澄ますことが、キャスターの仕事であることが見え始めてきた。」
これは、どうなんだろう。NHKではテーマとして、ある話題を取り上げるとき、キャスターの裁量はどこまで及んでいるのだろうか。
たとえば、「ニュース・ステーション」で特集を組むとき、久米宏の意向は、これは場合によっていろいろだろうけど、かなりある場合もあったと思う。
あるいは、もうずっと前になるが、TBSの「報道特集」で料治直矢(りょうじなおや)がやってた頃は、ほとんどこの人が、番組を差配してたような気がしていた(もちろんすべてがそうでないことは、分かり切ったことだ)。
でも国谷さんはこう書く。
「前説は自分の言葉で書かないと、『熱』のようなものが伝わらない。たとえたどたどしくても、キャスターが熱をもって話しているかどうかで、視聴者は関心のないテーマでも聴いてみよう観てみようという気持ちになると信じていた。」
これは、なるほどという気もするが、考えてみれば、当たり前のことではある。ともかくNHKと民放では、キャスターの位置づけが、微妙にちがっているような気がして面白い。
ご存じ・・・!――『文庫解説ワンダーランド』(5)
このあとも、『三四郎』と『友情』、『限りなく透明に近いブルー』と『半島を出よ』、『点と線』と『ゼロの焦点』、「三毛猫ホームズ」シリーズ、『ひとひらの雪』、『ビルマの竪琴』と『二十四の瞳』と『夏の花』、『火垂るの墓』と『少年H』と『永遠の0』、といろいろあるが、もう切り上げる。しかし最後に、『点と線』と『ゼロの焦点』の文庫解説について、ひとことだけ言っておきたい。
文庫の解説者は平野謙。この人が、『点と線』には、トリックに傷があると言う。これは有名なもので、東京駅には夕方の四分間だけ、列車がはいってこない時間があり、その間は端のホームから、いちばん端のホームまで、素通しで見渡すことができる。
これがトリックの要であるが、
「平野が疑義を挟むのはくだんの『四分間』の件である。
〈真犯人は目撃者を何時何分に横須賀線へつれてくるだけでなく、おなじ時刻に被害者の男女をして東海道線フォームを歩かせねばならぬことを意味する〉
そんなピンポイントの遭遇が本当に可能なのか。」
あるいはまた『ゼロの焦点』、こちらも解説は平野謙である。こちらはプロットに疑問があって、合計4人殺されるのは、ちょっと多すぎる、2人でいいじゃないか、と。
しかしそもそも、『点と線』も『ゼロの焦点』も、小説なのである。いくら社会派とはいっても、社会そのものを写し取っているわけではない。そんなことをすれば、『僧正殺人事件』はどうなる、『ABC殺人事件』はどうなる、『虚無への供物』や『ドグラ・マグラ』はどうなる。て、ちょっと話がずれてるけども。
『点と線』も『ゼロの焦点』も、「社会派」とはいえ、「社会そのもの」ではない。というか、そんなレッテルは、周りが貼りつけたものだろう。
しかし、斎藤美奈子の筆は容赦がない。
「そもそも松本清張作品は、『点と線』に限らず、『最後まで読んでも事件が解決した気がしない』のが多い。謎解き役の刑事はトンマだし、トリックは無理筋だし、動機は憶測にすぎないし、登場人物の人間像は中途半端だし、後半はいつも駆け足だし・・・・・・。テキストの中に何か重大な忘れ物をしてきたような消化不良感がいつも残る。」
うーん、厳しいね。そこまで言うなら、もう読まなきゃいいじゃないか、と言いたくなる。
でも、僕が言いたいのは、そういうことではない。
『点と線』も『ゼロの焦点』も、一時代を代表するような本である。そういう本が文庫になったとき、なんと解説者が、いちいち難癖をつけているじゃないか。僕はこれに仰天した。ちょっと考えても、おかしいでしょう。松本清張は、このいちゃもんを許したのかね。よっぽど平野謙と親しいとか、デビューのときに世話になったとか、・・・・・・とにかくどうも、わけが分からん。
ただ文庫解説でこういうのが許されるのならば、たとえば『少年H』や『永遠の0』の場合にも、ひょっとすると、実のある解説が望めるのではないか。つまりこういう本は、歴史を上塗りして捏造し、というのがひどければ、一面だけを誇張して取り上げ、それでもって読者に媚を売ってベストセラーになった本である、というふうに。
しかし、でも、まあ無理だろうなあ。
それにしても、斎藤美奈子の本の話は、本当に面白い。
ただこの岩波新書については、文庫解説とは言いながらも、解説そのものと文庫本体とに焦点がぶれていて、ちょっと厄介である。文庫を俎上に載せるのが目的で、その際、あとの解説から見ていくのを一応の基準として、しかしそこにそれほど拘泥はしない、というのは、あまりうまくいっていないように感じられる。
とはいえ、斎藤美奈子が取り上げるのならば、どこを切っても面白そうだし、また事実おもしろいのだから、それでいいと言えばいいんです。
(『文庫解説ワンダーランド』斎藤美奈子、岩波新書、2017年1月20日初刷)
文庫の解説者は平野謙。この人が、『点と線』には、トリックに傷があると言う。これは有名なもので、東京駅には夕方の四分間だけ、列車がはいってこない時間があり、その間は端のホームから、いちばん端のホームまで、素通しで見渡すことができる。
これがトリックの要であるが、
「平野が疑義を挟むのはくだんの『四分間』の件である。
〈真犯人は目撃者を何時何分に横須賀線へつれてくるだけでなく、おなじ時刻に被害者の男女をして東海道線フォームを歩かせねばならぬことを意味する〉
そんなピンポイントの遭遇が本当に可能なのか。」
あるいはまた『ゼロの焦点』、こちらも解説は平野謙である。こちらはプロットに疑問があって、合計4人殺されるのは、ちょっと多すぎる、2人でいいじゃないか、と。
しかしそもそも、『点と線』も『ゼロの焦点』も、小説なのである。いくら社会派とはいっても、社会そのものを写し取っているわけではない。そんなことをすれば、『僧正殺人事件』はどうなる、『ABC殺人事件』はどうなる、『虚無への供物』や『ドグラ・マグラ』はどうなる。て、ちょっと話がずれてるけども。
『点と線』も『ゼロの焦点』も、「社会派」とはいえ、「社会そのもの」ではない。というか、そんなレッテルは、周りが貼りつけたものだろう。
しかし、斎藤美奈子の筆は容赦がない。
「そもそも松本清張作品は、『点と線』に限らず、『最後まで読んでも事件が解決した気がしない』のが多い。謎解き役の刑事はトンマだし、トリックは無理筋だし、動機は憶測にすぎないし、登場人物の人間像は中途半端だし、後半はいつも駆け足だし・・・・・・。テキストの中に何か重大な忘れ物をしてきたような消化不良感がいつも残る。」
うーん、厳しいね。そこまで言うなら、もう読まなきゃいいじゃないか、と言いたくなる。
でも、僕が言いたいのは、そういうことではない。
『点と線』も『ゼロの焦点』も、一時代を代表するような本である。そういう本が文庫になったとき、なんと解説者が、いちいち難癖をつけているじゃないか。僕はこれに仰天した。ちょっと考えても、おかしいでしょう。松本清張は、このいちゃもんを許したのかね。よっぽど平野謙と親しいとか、デビューのときに世話になったとか、・・・・・・とにかくどうも、わけが分からん。
ただ文庫解説でこういうのが許されるのならば、たとえば『少年H』や『永遠の0』の場合にも、ひょっとすると、実のある解説が望めるのではないか。つまりこういう本は、歴史を上塗りして捏造し、というのがひどければ、一面だけを誇張して取り上げ、それでもって読者に媚を売ってベストセラーになった本である、というふうに。
しかし、でも、まあ無理だろうなあ。
それにしても、斎藤美奈子の本の話は、本当に面白い。
ただこの岩波新書については、文庫解説とは言いながらも、解説そのものと文庫本体とに焦点がぶれていて、ちょっと厄介である。文庫を俎上に載せるのが目的で、その際、あとの解説から見ていくのを一応の基準として、しかしそこにそれほど拘泥はしない、というのは、あまりうまくいっていないように感じられる。
とはいえ、斎藤美奈子が取り上げるのならば、どこを切っても面白そうだし、また事実おもしろいのだから、それでいいと言えばいいんです。
(『文庫解説ワンダーランド』斎藤美奈子、岩波新書、2017年1月20日初刷)
ご存じ・・・!――『文庫解説ワンダーランド』(4)
そのあとの『ハムレット』も、『小公女』も、伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』も、寺山修司の『家出のすすめ』『書を捨てよ、町へ出よう』も、『葉隠』も『武士道』も、『赤頭巾ちゃん気をつけて』も『なんとなく、クリスタル』も、『君たちはどう生きるか』も『資本論』も、『されど われらが日々――』も『優しいサヨクのための嬉遊曲』も、全部すっ飛ばして、小林秀雄『モオツァルト・無常という事』を取り上げよう。
ちなみに斎藤美奈子は、新潮社の主宰する「小林秀雄賞」の、栄えある第一回受賞者である。その辺が、小林秀雄を読むとき、微妙に影響するのかしないのか。
「それじゃあ、いっちょ試験問題を解いてみっか!」というわけで、2013年1月のセンター試験に出た、小林秀雄の『鐔(つば)』と題された問題を解いてみるが、その結果については、とくに説明はない。たぶん簡単だったのだろう。
しかしそもそも小林秀雄は難しい。ということで、久しぶりに国語の教科書に載っていた『無常ということ』を読んでみるのだが、これが難しい。
「一行目で早くもつまずいた。意味が全然わからん!」
そこで、まず頭にある「一言芳談抄」を、「ブルースだなあ(とかいうと、あまたの反論が返ってくることは百も承知)」、とかいいながら訳してみる。
小林秀雄の頭の中では、「一言芳談抄」の文章は、次のような経緯をたどる。
「〈読んだ時、いい文書だと心に残ったのであるが、先日、比叡山に行き、山王権現の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然、この短文が、当時の絵巻物の残欠でも見る様な風に心に浮び、文の節々が、まるで古びた絵の細勁な描線を辿る様に心に滲みわたった。そんな経験は、はじめてなので、ひどく心が動き、坂本で蕎麦を喰っている間も、あやしい思いがしつづけた〉」
僕はこれを、とてもいい文章だと思った。そしてそれとは別に、「坂本で蕎麦を喰っている間も、」というのが、とてもリアルだなあと思った。
しかし斎藤美奈子は、それとは別の感想を持つ。
「そうだった、思い出したよ。コバヒデの脳内では、よく何かが『突然、降りてくる』のである。」
そうして、降りてくると言えば、極め付けがありますね。そう、あれです!
「〈僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォオニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである〉
出ました、突然、降りてくるモーツアルト。〈僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。百貨店に駈け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった〉というあたりの展開も『無常という事』とおなじ。」
僕は、しかしここでは、「大阪の道頓堀をうろついていた時、」というところに感心した。「坂本で蕎麦を」というのと同じだ。いや、それよりも、もっとリアルだ。うろつくんなら、新宿でも銀座でもいい。いや思い切って、軽井沢、追分のあたりでどうか。それが道頓堀とは、いや参りやした。でも、そういうことは、誰も言わない。
それからもうひとつ、「コバヒデの脳内では、」というところの「コバヒデ」。これはもう受験生の間では、「コバヒデ」と略すのは常識なのかね。僕は中学・高校を関西で過ごしたので、関西方面では小林秀雄は、「ヒデボン(=秀ぼん)」と略してた。それはたとえば、僕なんかが、「ヒデボン、言うてること、ぜんぜんわからへんなあ」という具合に使っていた(もっとも、他の人が使うのは、見たことはない)。
ええっと、それでなんだっけ。ああ、文庫解説ですね。小林秀雄の文庫解説は、すべて江藤淳の専売特許になっている。これは、「もうお手上げ。わけがわからん。初読の読者にはなおさらだろう」ということで、斎藤美奈子はこのあとも、ごちゃごちゃ書いているけど、全部オミット。
ちなみに斎藤美奈子は、新潮社の主宰する「小林秀雄賞」の、栄えある第一回受賞者である。その辺が、小林秀雄を読むとき、微妙に影響するのかしないのか。
「それじゃあ、いっちょ試験問題を解いてみっか!」というわけで、2013年1月のセンター試験に出た、小林秀雄の『鐔(つば)』と題された問題を解いてみるが、その結果については、とくに説明はない。たぶん簡単だったのだろう。
しかしそもそも小林秀雄は難しい。ということで、久しぶりに国語の教科書に載っていた『無常ということ』を読んでみるのだが、これが難しい。
「一行目で早くもつまずいた。意味が全然わからん!」
そこで、まず頭にある「一言芳談抄」を、「ブルースだなあ(とかいうと、あまたの反論が返ってくることは百も承知)」、とかいいながら訳してみる。
小林秀雄の頭の中では、「一言芳談抄」の文章は、次のような経緯をたどる。
「〈読んだ時、いい文書だと心に残ったのであるが、先日、比叡山に行き、山王権現の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然、この短文が、当時の絵巻物の残欠でも見る様な風に心に浮び、文の節々が、まるで古びた絵の細勁な描線を辿る様に心に滲みわたった。そんな経験は、はじめてなので、ひどく心が動き、坂本で蕎麦を喰っている間も、あやしい思いがしつづけた〉」
僕はこれを、とてもいい文章だと思った。そしてそれとは別に、「坂本で蕎麦を喰っている間も、」というのが、とてもリアルだなあと思った。
しかし斎藤美奈子は、それとは別の感想を持つ。
「そうだった、思い出したよ。コバヒデの脳内では、よく何かが『突然、降りてくる』のである。」
そうして、降りてくると言えば、極め付けがありますね。そう、あれです!
「〈僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォオニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである〉
出ました、突然、降りてくるモーツアルト。〈僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。百貨店に駈け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった〉というあたりの展開も『無常という事』とおなじ。」
僕は、しかしここでは、「大阪の道頓堀をうろついていた時、」というところに感心した。「坂本で蕎麦を」というのと同じだ。いや、それよりも、もっとリアルだ。うろつくんなら、新宿でも銀座でもいい。いや思い切って、軽井沢、追分のあたりでどうか。それが道頓堀とは、いや参りやした。でも、そういうことは、誰も言わない。
それからもうひとつ、「コバヒデの脳内では、」というところの「コバヒデ」。これはもう受験生の間では、「コバヒデ」と略すのは常識なのかね。僕は中学・高校を関西で過ごしたので、関西方面では小林秀雄は、「ヒデボン(=秀ぼん)」と略してた。それはたとえば、僕なんかが、「ヒデボン、言うてること、ぜんぜんわからへんなあ」という具合に使っていた(もっとも、他の人が使うのは、見たことはない)。
ええっと、それでなんだっけ。ああ、文庫解説ですね。小林秀雄の文庫解説は、すべて江藤淳の専売特許になっている。これは、「もうお手上げ。わけがわからん。初読の読者にはなおさらだろう」ということで、斎藤美奈子はこのあとも、ごちゃごちゃ書いているけど、全部オミット。
ご存じ・・・!――『文庫解説ワンダーランド』(3)
『智恵子抄』はむかし読んだきり、打っちゃっておいた。こういういい気な男は、どうしようもない。
「光太郎と出会う前の長沼智恵子は絵で身を立てたいという希望を持ち、平塚らいてうのテニス仲間として『青鞜』の表紙の絵を描くなどの「新しい女」だった。そんな智恵子の人生を狂わせたのは誰だったのだろうか。」もちろん高村光太郎。
僕は、詩人と絵描きがくっつき、芸術を媒介にして美しい関係を結ぶと見せて、その内実は男が女を支配し、やがて滅ぼすに至る典型的な例ではないかと思ってきた。
角川文庫の『校本 智恵子抄』の解説で、中村稔がそれを丹念に追っている、と斎藤美奈子は言う。
「〈壮麗な理想ないし夢想の実験〉だった二人の生活が、幻滅に変わり、地獄絵図と化し、智恵子の「聖女化」へと向かう過程を追ったこの解説は、すでに優れた一遍の『智恵子抄』論だ。」
それでも、永遠の〈愛の詩集〉という位置は不動なんだと。ふーん。
それから、『悲しみよ、こんにちは』と『ティファニーで朝食を』の新訳の話が出てくる。それに合わせて文庫解説も、新しいのが出ているが、旧版が無くなるのは寂しい、実際にサガンを訪問した朝吹登美子や、ティファニーへ行って、朝食を摂れるかどうかを確認した龍口直太郎は、翻訳者の鏡ではないか、と斎藤美奈子は言う。ちなみに、ティファニーで朝食は摂れないようだ(あたりまえか)。
外国文学では、『ロング・グッドバイ』『グレート・ギャツビー』『白鯨』の三点を、「ホモエロティシズム」の概念で串刺しにする。
「『ホモエロティシズム』は、ホモソーシャルとホモセクシュアルの中間に位置するエロティックな関係を指す(同性愛にも多様な段階があることは異性愛と変わりがない)。この概念を手に『グレート・ギャツビー』『ロング・グッドバイ』を読むと、ニック・キャラウェイがギャツビーに抱くのも、フィリップ・マーロウがテリー・レノックスに抱くのも、嫌悪と憧憬の間を揺れ動く、屈折した恋愛感情=ホモエロティシズムにほかならない。」
新訳が出るまでは、そういうことは全然分からなかった。それでも、なんとなく有り難がって、読んだものだ。それを思うと、なんというか、そのころの僕がいじらしくなる。とはいえ、かつての訳では、『ロング・グッドバイ』も『グレート・ギャツビー』も『白鯨』も、隔靴掻痒、よく分かんなかったなあ。
「光太郎と出会う前の長沼智恵子は絵で身を立てたいという希望を持ち、平塚らいてうのテニス仲間として『青鞜』の表紙の絵を描くなどの「新しい女」だった。そんな智恵子の人生を狂わせたのは誰だったのだろうか。」もちろん高村光太郎。
僕は、詩人と絵描きがくっつき、芸術を媒介にして美しい関係を結ぶと見せて、その内実は男が女を支配し、やがて滅ぼすに至る典型的な例ではないかと思ってきた。
角川文庫の『校本 智恵子抄』の解説で、中村稔がそれを丹念に追っている、と斎藤美奈子は言う。
「〈壮麗な理想ないし夢想の実験〉だった二人の生活が、幻滅に変わり、地獄絵図と化し、智恵子の「聖女化」へと向かう過程を追ったこの解説は、すでに優れた一遍の『智恵子抄』論だ。」
それでも、永遠の〈愛の詩集〉という位置は不動なんだと。ふーん。
それから、『悲しみよ、こんにちは』と『ティファニーで朝食を』の新訳の話が出てくる。それに合わせて文庫解説も、新しいのが出ているが、旧版が無くなるのは寂しい、実際にサガンを訪問した朝吹登美子や、ティファニーへ行って、朝食を摂れるかどうかを確認した龍口直太郎は、翻訳者の鏡ではないか、と斎藤美奈子は言う。ちなみに、ティファニーで朝食は摂れないようだ(あたりまえか)。
外国文学では、『ロング・グッドバイ』『グレート・ギャツビー』『白鯨』の三点を、「ホモエロティシズム」の概念で串刺しにする。
「『ホモエロティシズム』は、ホモソーシャルとホモセクシュアルの中間に位置するエロティックな関係を指す(同性愛にも多様な段階があることは異性愛と変わりがない)。この概念を手に『グレート・ギャツビー』『ロング・グッドバイ』を読むと、ニック・キャラウェイがギャツビーに抱くのも、フィリップ・マーロウがテリー・レノックスに抱くのも、嫌悪と憧憬の間を揺れ動く、屈折した恋愛感情=ホモエロティシズムにほかならない。」
新訳が出るまでは、そういうことは全然分からなかった。それでも、なんとなく有り難がって、読んだものだ。それを思うと、なんというか、そのころの僕がいじらしくなる。とはいえ、かつての訳では、『ロング・グッドバイ』も『グレート・ギャツビー』も『白鯨』も、隔靴掻痒、よく分かんなかったなあ。
ご存じ・・・!――『文庫解説ワンダーランド』(2)
次の『走れメロス』は、太宰治の師匠筋の井伏鱒二が、これでも解説か、という抱腹絶倒の滅茶苦茶さを見せる。
井伏の岩波文庫版『走れメロス』の「あとがき」は、こうだ。まず収録された十の短篇の初出誌を列挙する。しかしそのあとは、もういけない。
「辛うじて解説と呼べるのはそこまでだ。
このあと井伏は〈ただし、いま「あとがき」を書く私は、作品鑑賞の自由を読者に一任して、太宰君自体について書いてみたい〉とうそぶき、次の行は〈私が初めて太宰君に会ったのは、昭和五年の春、太宰君が大学生として東京に出て来た翌月であった〉。あとはただただ太宰との交友録が続くのみ。」
いやあ、さすがは井伏先生。「いま「あとがき」を書く私は、作品鑑賞の自由を読者に一任して、」というところが、なんとも言えずいい(と思いませんか)。
斎藤美奈子は、「表題作への言及は一切なし。最後は太宰の私信を(勝手に?)引用して終わりって、ふざけてんの?」と啖呵を切るけども。
まあ、そういう気持もわからないではない。でも、井伏先生だから、いいとしよう。
しかし問題は、『走れメロス』である。
「友情、正義、信頼、純潔。みなさま、ほんとにこんなことを思っているのだろうか。」
そもそもこれは、シラーの詩を下敷きにしたパロディなのだ。
「毒の入らないパロディを太宰がわざわざ書くだろうか。まして発表されたのは一九四〇年。皇紀二六〇〇年で世間が沸き、大政翼賛会が発足した年である。」
『走れメロス』の文庫化を予定しているところがあれば、ぜひ解説は、斎藤美奈子にお願いしよう。茶化しじゃなくて、本当に素晴らしいものになるはずだ。
次の林芙美子『放浪記』は、ちょっと読んでみたくなった。いくつものテキストが錯綜し、僕には、一度読んだだけでは、何がどうなっているのか分からない。
「しょうがないのよ『放浪記』は。だってこのテキストは、身辺雑記をつなぎ合わせたブログみたいなものなんだから。」
しかも林芙美子は、ここが大事なところだが、違う版元から出るたびに改稿を重ねてゆく。
「『放浪記』はおそらく日本の近代文学史上、もっとも込みいった成立史を持つテキストだろう。もとは若い女性のブログみたいなものなのに。作家の執念おそるべし、である。」
これは読みたくなるでしょう。と同時に、「文庫解説」のこと、はすっかり忘れてしまう。最初に、この岩波新書はどうなのかと言ったのは、その意味である(でもまあ、面白ければ何でもいいという見方に、結局はなるけど)。
井伏の岩波文庫版『走れメロス』の「あとがき」は、こうだ。まず収録された十の短篇の初出誌を列挙する。しかしそのあとは、もういけない。
「辛うじて解説と呼べるのはそこまでだ。
このあと井伏は〈ただし、いま「あとがき」を書く私は、作品鑑賞の自由を読者に一任して、太宰君自体について書いてみたい〉とうそぶき、次の行は〈私が初めて太宰君に会ったのは、昭和五年の春、太宰君が大学生として東京に出て来た翌月であった〉。あとはただただ太宰との交友録が続くのみ。」
いやあ、さすがは井伏先生。「いま「あとがき」を書く私は、作品鑑賞の自由を読者に一任して、」というところが、なんとも言えずいい(と思いませんか)。
斎藤美奈子は、「表題作への言及は一切なし。最後は太宰の私信を(勝手に?)引用して終わりって、ふざけてんの?」と啖呵を切るけども。
まあ、そういう気持もわからないではない。でも、井伏先生だから、いいとしよう。
しかし問題は、『走れメロス』である。
「友情、正義、信頼、純潔。みなさま、ほんとにこんなことを思っているのだろうか。」
そもそもこれは、シラーの詩を下敷きにしたパロディなのだ。
「毒の入らないパロディを太宰がわざわざ書くだろうか。まして発表されたのは一九四〇年。皇紀二六〇〇年で世間が沸き、大政翼賛会が発足した年である。」
『走れメロス』の文庫化を予定しているところがあれば、ぜひ解説は、斎藤美奈子にお願いしよう。茶化しじゃなくて、本当に素晴らしいものになるはずだ。
次の林芙美子『放浪記』は、ちょっと読んでみたくなった。いくつものテキストが錯綜し、僕には、一度読んだだけでは、何がどうなっているのか分からない。
「しょうがないのよ『放浪記』は。だってこのテキストは、身辺雑記をつなぎ合わせたブログみたいなものなんだから。」
しかも林芙美子は、ここが大事なところだが、違う版元から出るたびに改稿を重ねてゆく。
「『放浪記』はおそらく日本の近代文学史上、もっとも込みいった成立史を持つテキストだろう。もとは若い女性のブログみたいなものなのに。作家の執念おそるべし、である。」
これは読みたくなるでしょう。と同時に、「文庫解説」のこと、はすっかり忘れてしまう。最初に、この岩波新書はどうなのかと言ったのは、その意味である(でもまあ、面白ければ何でもいいという見方に、結局はなるけど)。
ご存じ・・・!――『文庫解説ワンダーランド』(1)
ご存じ斎藤美奈子が、「文庫解説」という盲点を突き、縦横に攻めまくる。こりゃあ面白いぞ、と誰でもが思うけど、でも、うーん、これはどうなんだろうねえ。
まあとにかく、読んでみよう。
最初の『坊っちゃん』は、痛快活劇と見せて、じつは悲劇の主人公という、もう、ちょっと手垢にまみれた題材だ。でも、『漱石全集』が表看板の岩波書店の新書だから、まあいいとしよう。
その次は、『伊豆の踊子』と『雪国』。これは集英社文庫版『伊豆の踊子』の、橋本治の「鑑賞」が読ませる。
「『私』と踊子の間には超えがたい『身分の差』が横たわっている。当時は売買春も当たり前で、踊子もその含みをもっていた。〈「それならいけるか」と思った“私”〉は一座についていくが、むろんそんな欲望は表に出せず悶々としている。」
そしてついに、別れの時が来る。
「橋本の解説は明言しないが、それは『私』が自分の中に残っていた(恋愛を阻む)差別心に気づいた瞬間だったともいえる。だから彼は〈なんの身分の差もない、やがて自分と同じような一高生になるはずの少年のマントに包まれて〉泣くのである。」
なるほど、最後の場面の、「一高生になるはずの少年のマントに包まれて」さめざめと泣くというのが、どうしても分からなかったのだが、これでなんとなく分かったような気がする。
あらためて考えると、と斎藤は言う、『伊豆の踊子』と『雪国』は好一対になっている。
「『伊豆の踊子』が一線を越えずに終わった恋愛未満の物語なら、『雪国』は一線を越えたことで恋愛の不可能性に気づいてしまった男女の物語だった。」
うーん、鮮やかなものですね。
でも僕は、そもそも川端康成なんていう小粒で、ちょっと卑俗がかった作家は、どうでもいい。だいたいそういうふうに遇されていたはずなのに、ノーベル賞がその評価を狂わせちまった。まったく罪なことをするもんだよ、ノーベル賞。
でもこれは、考えてみれば、文庫解説に直接の関係はないですね。
まあとにかく、読んでみよう。
最初の『坊っちゃん』は、痛快活劇と見せて、じつは悲劇の主人公という、もう、ちょっと手垢にまみれた題材だ。でも、『漱石全集』が表看板の岩波書店の新書だから、まあいいとしよう。
その次は、『伊豆の踊子』と『雪国』。これは集英社文庫版『伊豆の踊子』の、橋本治の「鑑賞」が読ませる。
「『私』と踊子の間には超えがたい『身分の差』が横たわっている。当時は売買春も当たり前で、踊子もその含みをもっていた。〈「それならいけるか」と思った“私”〉は一座についていくが、むろんそんな欲望は表に出せず悶々としている。」
そしてついに、別れの時が来る。
「橋本の解説は明言しないが、それは『私』が自分の中に残っていた(恋愛を阻む)差別心に気づいた瞬間だったともいえる。だから彼は〈なんの身分の差もない、やがて自分と同じような一高生になるはずの少年のマントに包まれて〉泣くのである。」
なるほど、最後の場面の、「一高生になるはずの少年のマントに包まれて」さめざめと泣くというのが、どうしても分からなかったのだが、これでなんとなく分かったような気がする。
あらためて考えると、と斎藤は言う、『伊豆の踊子』と『雪国』は好一対になっている。
「『伊豆の踊子』が一線を越えずに終わった恋愛未満の物語なら、『雪国』は一線を越えたことで恋愛の不可能性に気づいてしまった男女の物語だった。」
うーん、鮮やかなものですね。
でも僕は、そもそも川端康成なんていう小粒で、ちょっと卑俗がかった作家は、どうでもいい。だいたいそういうふうに遇されていたはずなのに、ノーベル賞がその評価を狂わせちまった。まったく罪なことをするもんだよ、ノーベル賞。
でもこれは、考えてみれば、文庫解説に直接の関係はないですね。
もっと突き進めれば――『人口と日本経済―長寿、イノベーション、経済成長―』(3)
ここから先は『人口と日本経済』を離れるが、いま日本の人口問題で進行している事態は、よくよく考えてみなければならない。
65歳以上が三分の一弱になり、女性の90歳以上の割合が、二人に一人であるという。こういうことは、しかし外から見ていても、社会的費用を計算する人を除けば、それがどうしたという程度だ。つまり年寄りを見る、それ以外の世代は、どうも年寄りが多くて困ったものだ、という以外に特に感慨はない。
しかし、これを年寄りから見れば、また違った光景が見える。そしてその光景は、今のところまだ、当の年寄りを除いては、いや当の年寄りにも、よく分かってはいない。
僕は61歳のとき脳出血になり、それまでの仕事は突然断ち切られた。あとは言ってみれば、「余生」と言うわけである。でも60歳から、場合によっては90歳まで生きるということは、余生には長すぎる。ほとんど人生が、もう一回あるようなものである。
そういうことに、僕は全然気づかなかった。社長である以上、いつまでも辞めずにすむわけだし、また小さな出版社の社長で、僕より10歳も上の人が、元気にやっているのも見ていた。
でも僕は、もう出版社の社長はできない。そんなわけで突然、僕は「余生」を送ることになった。ところが、その「余生」の送り方が、よくわからない。
たとえば『へろへろ―雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々―』という本がある。これは「お金も権力もない/老人介護施設「よりあい」の/人々が、森のような場所に/出会い、土地を手に入れ、/必死でお金を集めながら/特別養護老人ホーム/づくりに挑む!」という内容で、書評もずいぶん出た。
でもじつは、この本を書いている方も、書評している方も、肝心の老人のことは忘れている。とくに書評している方は、ふだん老人が視野に入ってこないものだから、老人ホームを一から作るのを絶賛するのはいいんだけど、肝心の老人にしてみれば、何か遠いところで拍手が聞こえるばかりだ。実際、この本には、具体的な老人の話は出てこない。
考えてみれば、戦後70年余で、寿命は30数年伸びている。毎年毎年、半年ずつ余命は伸びていったわけだ。しかも老人は、それこそ肉体的にも精神的にも、千差万別である。そんな中で、これといった大きな指針が出てくるわけがない。
もちろん僕が、そういうものを示せるわけはないのだが、しかし少なくとも、「余生」というような考え方だけは、するまいと思っている。
(『人口と日本経済―長寿、イノベーション、経済成長―』
吉川洋、中公新書、2016年8月25日初刷)
65歳以上が三分の一弱になり、女性の90歳以上の割合が、二人に一人であるという。こういうことは、しかし外から見ていても、社会的費用を計算する人を除けば、それがどうしたという程度だ。つまり年寄りを見る、それ以外の世代は、どうも年寄りが多くて困ったものだ、という以外に特に感慨はない。
しかし、これを年寄りから見れば、また違った光景が見える。そしてその光景は、今のところまだ、当の年寄りを除いては、いや当の年寄りにも、よく分かってはいない。
僕は61歳のとき脳出血になり、それまでの仕事は突然断ち切られた。あとは言ってみれば、「余生」と言うわけである。でも60歳から、場合によっては90歳まで生きるということは、余生には長すぎる。ほとんど人生が、もう一回あるようなものである。
そういうことに、僕は全然気づかなかった。社長である以上、いつまでも辞めずにすむわけだし、また小さな出版社の社長で、僕より10歳も上の人が、元気にやっているのも見ていた。
でも僕は、もう出版社の社長はできない。そんなわけで突然、僕は「余生」を送ることになった。ところが、その「余生」の送り方が、よくわからない。
たとえば『へろへろ―雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々―』という本がある。これは「お金も権力もない/老人介護施設「よりあい」の/人々が、森のような場所に/出会い、土地を手に入れ、/必死でお金を集めながら/特別養護老人ホーム/づくりに挑む!」という内容で、書評もずいぶん出た。
でもじつは、この本を書いている方も、書評している方も、肝心の老人のことは忘れている。とくに書評している方は、ふだん老人が視野に入ってこないものだから、老人ホームを一から作るのを絶賛するのはいいんだけど、肝心の老人にしてみれば、何か遠いところで拍手が聞こえるばかりだ。実際、この本には、具体的な老人の話は出てこない。
考えてみれば、戦後70年余で、寿命は30数年伸びている。毎年毎年、半年ずつ余命は伸びていったわけだ。しかも老人は、それこそ肉体的にも精神的にも、千差万別である。そんな中で、これといった大きな指針が出てくるわけがない。
もちろん僕が、そういうものを示せるわけはないのだが、しかし少なくとも、「余生」というような考え方だけは、するまいと思っている。
(『人口と日本経済―長寿、イノベーション、経済成長―』
吉川洋、中公新書、2016年8月25日初刷)