女と男の行く先は――『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』(5)

見ようによっては、限りなく愚かしい男女の道行きを、しかし梯久美子はどこまでも張りのある文体で描いた。梯久美子に、このようなことを可能にしたものは何か。全編を読み終わって、私にはそれが最も気にかかった。

「謝辞」を見れば、長男である島尾伸三氏に感謝の言葉を申し述べている。伸三氏は「では書いてください。ただ、きれいごとにはしないでくださいね」といったと言う。こんな申し出は初めてである、と著者は言う。普通は逆であろう。いったん言葉に定着してしまえば、それを覆すのは難しいからだ。
 
しかしそれゆえに、書き手としては、かえって構えるところがあったのではないか。限りなく愚かしい男女の振る舞い、作家とその妻の「共狂い」にも似た創作への努力も、それを丹念に、具体的には描けても、たとえば愚かしいと結論付けることは、難しくなる。
 
それはそうなのだが、しかし著者の、全編を覆う張りのある、緊張感のある文体は、そういうこととは、違っているのではないか。
 
考えてみれば、男と女の恋物語は、それが醒めやらぬ恋であるかぎりは、ただ行き着くところまで行き着くしか、ないではないか。男女が、あるいはそれを、錯覚であると無意識に思っていたとしても、もうどうしようもなく、ただ男と女の絡み合う果てまで、行くしかないではないか。
 
私の空想は、果てもなく、さらにその先まで行く。ミホと敏雄の、一生を賭けることになった恋を、つややかな文章で描いた著者は、その奥に、書かれることのなかった、自らの恋を秘めたのではないか。
私の空想は、全編を読み終わった後も、ながくそこを彷徨って、出られなかったのである。

(『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』
  梯久美子、新潮社、2016年10月30日初刷、11月30日第二刷)