女と男の行く先は――『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』(3)

じつは、ミホはある「女性像」を演じながら、それが自分自身であると信じ込むようになるのは、たやすいことだった。

「だからこそあのような壮絶な狂い方をし、献身する妻から狂気によって夫を支配する妻へとあざやかに変身を遂げることができたのである。」
つまりこれは、意識下であったにせよ、夫婦合作の「共狂い」だった。
 
ちなみに初期の代表作である「出孤島記」では、ミホをモデルにしたNという女の中に、島尾は狂気の萌芽を見ている。「出孤島記」は、『死の棘』の事件が起こる五年前だが、「『死の棘』に頻出する「発作」という言葉がすでに使われていることにも驚かされる。」
 
一方、島尾には島尾の事情があった。
かつて戦争末期に隊長として、加計呂麻島の島民すべてに慕われた島尾は、決戦になれば、躊躇なく島民を自決させたろう。それが、隊長として取るべき唯一の道だった。島尾は戦後、そのことを悔いてやまない。

「もしも島尾が、ミホが日記を見るよう仕向けたのだとすれば、それは一方では小説のためであり、もう一方では、意識下にあった『自分は審かれるべき存在だ』という考えを現実化するためだったろう。」
 
しかし実際には島尾は、部下を戦死させることもなく、また一人の島民も死なせることはなかった。
そういうことを考えると、「島尾の罪悪感は大きすぎるようにも思えるが、おそらく島尾の資質の中に審きを希求するものがあったのではないだろうか。」

なお『死の棘』において、愛人、ミホ、島尾が一堂に会するところは、ただ一か所しかない。ミホが愛人と、くんずほぐれつ取っ組み合い、あげくのはてに、「そうだ、こいつのスカートもパンティーもみんなぬがしてしまおう。トシオ、はやく、はやく」という有名な場面だ。
その直前に、愛人が叫ぶように言う。

「そのとき彼女が放った言葉は、『死の棘』全篇に響きわたる、島尾への審きの言葉である。
『Sさんがこうしたのよ。よく見てちょうだい。あなたはふたりの女を見殺しにするつもりなのね』
 ここで読者は初めて、リアルな『あいつ』の声を聞く。どのような女性なのか一向にわからなかった愛人の姿が焦点を結ぶただ一度の場面である。男の妻にひどい辱めを受けながら、この男はいま、自分だけではなく妻をも見殺しにしているのだと喝破し、それを言葉にできる女――人間を見る醒めた目と知性をそなえた女であることがわかる。」

女の下着を脱がそうと言う場面も含めて、小説に書かれてあることは、まず本当にあったことだ。島尾はそういうふうにして、小説を作っていった。あるいは、そういうふうにしなければ、小説はできなかった。