文章は絶妙なのだが――『白夜を旅する人々』

これはまず、文章表現を味わうべき本だ。文庫で573頁、その間、一点の緩みもない。
たとえば、清吾が「できもの」の治療に、温泉に通うところ。

「根太〔=腫物〕は、ちょうど緩慢な噴火を繰り返しているうちに山裾まで噴火口と化してしまった火山のように、十日もすると、頂に出来た破れ目が腫物事態とほとんどおなじ大きさにひろがって、なかに隠れていた溶岩のような膿の塊がむき出しになった。」
たかが「できもの」の描写に、これだけ神経を注ぐことができるというのは、尋常ではない。
 
女三人、男三人の兄弟姉妹のうち、次女は青函連絡船から身を投げ、長男は行方知れず、長女は睡眠薬を飲んで自殺する。三浦哲郎は、六人兄弟の末っ子として、この滅びゆく家族を、描かなくてはならなかった。

「れん〔=次女の名〕は、いずれ自分たち一家が崩壊の危機に見舞われることを予感していて、それで座敷童子のようなものにまで恃む気持を抱いているのではなかろうか。」

最初のところから、すでに崩壊は予期されているが、しかし著者は焦ることなく、その過程を丹念に描いてゆく。

「解説」で、川村二郎はこんなふうに書いている。
「『白夜を旅する人々』の成功は、このモチーフを、自己の経験に即した私小説の定式を越えて、ある時代の一家の、ゆったりとして幅広い年代記風な物語の流れの中に、そっとくるみこんでいる所にかかっている。モチーフの直截な表出だけでは息苦しくて応対し切れぬかもしれず、物語の流れだけでは遠々しく気疎い昔話にとどまるかもしれない。くるみこまれたモチーフが、流れに委ねられながら、しかも流れを先に推し進める活力と化して、双方がたがいに生かし合い、作品全体を生動する有機的な統一体たらしめるべく協同作業にいそしんでいる。」
 
さすがにうまいことを言うものだ。私小説でありながら、ある一家の年代記ふうなところもあり、それが相乗効果をもって、独特の小説世界を形作っている。
 
しかし、にもかかわらず、僕にはこの小説は、やや古臭い感じがした。
きょうだいのうち、長女と三女が「しらこ」、つまりアルビノだったということは、特に地方では、ある時期までは、宿命的に呪われた一家だと思われたかもしれない。しかし、現代ではどうだろうか。

というよりも、自殺する次女のれんや長女のるいにしても、失踪する長男の清吾にしても、あまりにも従容として運命を受け入れるばかりで、それに抵抗するところがまったくない。

三浦哲郎にとっては、血を分けた兄弟姉妹であり、自らの運命を受け入れるべき人々だったかもしれないが、他人が言うのは酷だけれど、僕には不満だ。文章が、これ以上はないくらい絶妙なのだから、内容に対する不満は、実にはっきりしている。

(『白夜を旅する人々』
三浦哲郎、新潮文庫、1989年4月25日初刷、2010年9月15日第10刷)

低く抑えたところはいいのだが――『掏摸(スリ)』

これは『「文藝」戦後文学史』に、綿谷りさ『蹴りたい背中』などと並んで、大書して取り上げられている。中村文則は『土の中の子供』で芥川賞を受賞した際に、読もうと思った。でも、しばらく読んでいくうちに、いきが上がらないというか、読み手である僕の呼吸が、どうにもテキストとちぐはぐな感じがして、止めた記憶がある。

『掏摸』の方は、こんなふうに紹介されている。
「ゼロ年代以降の『文藝』に掲載された作品ではほかに、中村文則『掏摸』(二〇〇九年夏号)を挙げておきたい。スリを生業とする男の低く抑えた一人称で語られるこの作品は二〇〇六年に創設された大江健三郎賞(二〇一四年に終了)を受賞。副賞として英語に翻訳、出版され、『ウォール・ストリート・ジャーナル』の『2012年のベスト10小説』などにも選ばれた。」
 
これは読まねばなるまい。とくに「スリを生業とする男の低く抑えた一人称」というところが、何とも言えずそそられる。
 
というわけで、読んでみたのだが、うーん、これはどういうもんだろうか。

例えば、こういうところはいい。
「緊張している自分の奥に、うずくような、暖かさを感じた。その温度は僕の中に確かにあり、自分の意識は、やがてそれだけを感じ始めるのだろうと思った。目の前に塔を見た時、汚れた黒のビニールが、暗がりの中で輪郭を持ち浮かび上がった。僕はその惨めな肉片のようなゴミを、見続けていた。」
こういうところは、文章によって書かれる以外に、顕われようがない。うまいものだ。
 
しかし、たとえばこういうところ。
「――・・・・・・そんなに深刻に考えるな。これまでに、歴史上何百億人という人間が死んでる。お前はその中の一人になるだけだ。全ては遊びだよ。人生を深刻に考えるな。」
このセリフを言うのが、闇にうごめいて、主人公の運命を握るらしい、「木崎」という男だ。

こういうのは難しい。上滑りにならずに、これだけのセリフを登場人物に言わせるのは、なかなか骨だ。
 
あるいは、こういうところ。
「残念ながら、お前は、これから面白くなる世界を見ることができない。・・・・・・これからこの国は面白くなるぞ。利権にボケた権力者の構造が、大きく変わる。劇的に! 庶民にも凄まじい影響が出る。世界はこれから、沸騰していくのだよ。・・・・・・」
これはよほど、この前後を詰めて用意しておかないと、まったく浮き上がってしまう。

「スリを生業とする男の低く抑えた一人称で語られるこの作品」は、そのまま何も起こらずに、ということは、一介の孤独なスリのままで、全編を通せばよかったのに、と思わずにはおられない。

(『掏摸(スリ)』
中村文則、河出文庫、2013年4月20日初刷、2015年10月29日第33刷)

女と男の行く先は――『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』(5)

見ようによっては、限りなく愚かしい男女の道行きを、しかし梯久美子はどこまでも張りのある文体で描いた。梯久美子に、このようなことを可能にしたものは何か。全編を読み終わって、私にはそれが最も気にかかった。

「謝辞」を見れば、長男である島尾伸三氏に感謝の言葉を申し述べている。伸三氏は「では書いてください。ただ、きれいごとにはしないでくださいね」といったと言う。こんな申し出は初めてである、と著者は言う。普通は逆であろう。いったん言葉に定着してしまえば、それを覆すのは難しいからだ。
 
しかしそれゆえに、書き手としては、かえって構えるところがあったのではないか。限りなく愚かしい男女の振る舞い、作家とその妻の「共狂い」にも似た創作への努力も、それを丹念に、具体的には描けても、たとえば愚かしいと結論付けることは、難しくなる。
 
それはそうなのだが、しかし著者の、全編を覆う張りのある、緊張感のある文体は、そういうこととは、違っているのではないか。
 
考えてみれば、男と女の恋物語は、それが醒めやらぬ恋であるかぎりは、ただ行き着くところまで行き着くしか、ないではないか。男女が、あるいはそれを、錯覚であると無意識に思っていたとしても、もうどうしようもなく、ただ男と女の絡み合う果てまで、行くしかないではないか。
 
私の空想は、果てもなく、さらにその先まで行く。ミホと敏雄の、一生を賭けることになった恋を、つややかな文章で描いた著者は、その奥に、書かれることのなかった、自らの恋を秘めたのではないか。
私の空想は、全編を読み終わった後も、ながくそこを彷徨って、出られなかったのである。

(『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』
  梯久美子、新潮社、2016年10月30日初刷、11月30日第二刷)

女と男の行く先は――『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』(4)

島尾敏雄とミホは、病院を出た後すぐに奄美に帰る。ミホは故郷の荒れ果てた様を見たとき、彼女にとっての戦後が終わり、それとともに、ようやく狂気の「発作」も収まってゆく。しかし島尾の、ミホに対する従順の意志は徹底していて、終生変わらなかった。
 
『死の棘』では「書かれる女」だったミホは、奄美に移ってからは「書く女」に転じる。ミホには、『海辺の生と死』と『祭り裏』の二冊の創作集がある。はじめの『海辺の生と死』は、田村俊子賞を受賞しているが、これは幼年期の回想と、島尾との恋物語で、一見すると、いかにも作家の妻にふさわしい本だ。
 
二冊目は、これに目をつけた辣腕の編集者がいた。
「ミホに小説を書くよう強く勧めたのは、文芸誌『海』で島尾の担当編集者だった安原顕である。ミホによれば、単行本として刊行された『海辺の生と死』を読んだ安原が「あなたは天才です」と言って、『海』への寄稿を依頼してきたという。」
 
これは本格的な創作集で、第二十七回女流文学賞の候補になっている。ちなみに、このとき候補になったのは、塩野七生『わが友マキアヴェッリ』、金井美恵子『タマや』、岩橋邦枝『迷鳥』で、塩野七生と金井美恵子の二人が受賞している。
 
ところが島尾敏雄が死んでしまうと、やがてミホの姿は、二つに引き裂かれてしまう。
「『愛された妻』として文学史に残りたいという欲望と、本当のことを書きたいという欲望の両方をミホは持っていた。それは、妻から見た『死の棘』を書こうとしたときにミホを引き裂くことになる・・・・・・。」
結局のところ、ミホは「書く女」ではなく、「書かれる女」として残ることを決意する。
 
それにしても島尾敏雄とミホとは、結局どういう関係だったのだろうか。
「ミホに日記を見られたころの島尾は自分の『業の浅さ』に小説家としてコンプレックスを抱き、生々しい手応えのある悲劇を家庭内に求めていたが、ミホにとっても、自分が狂うことは状況を打開するほとんど唯一の道だった。あのとき起きたのは、それぞれにとって必要な出来事だったのだ。」
 
そう、何度も言うように、島尾敏雄とミホは、絶妙の組み合わせだった。
「島尾が機会を提供し、ミホはそれを逃さなかった。二人は凹凸が嚙み合うように、みごとに呼吸のあった夫婦だったといえる。そしてミホは何をしても許される生来の地位を取り戻し、島尾は家庭内にこれ以上ない小説の素材を手に入れた。」
 
けれども、意外なところに反逆者がいたのだ。島尾とミホの、言葉による絶妙の組み合わせをあざ笑うかのように、いや、もっと強烈に、身内でありながら、子供の段階から言葉を失っていった者がいたのである。
「『少しも手のかからない子供』だったマヤは、小学校三年生のころから言葉を発しなくなった。言葉によって結ばれ、言葉をめぐって闘争を繰り広げた夫婦の娘は、長ずるにつれて言葉を失っていったのである。」

ミホと敏雄にとって、このくらい強烈な批判はないだろう。二人とも、そのことはよく分かっていた。だからといって、どうにもできるわけではなかったが。

『死の棘』の事件が起こったとき、マヤは4歳、伸三は6歳である。その伸三の学齢期前の言葉を挙げておく。
「もう見てしまったから仕方がない、生きていたって仕様がないから、おかあさんの言う通りになる、お母さんが死のうと言えば一緒に死ぬよ」〔原文のカタカナは平仮名に直した〕

女と男の行く先は――『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』(3)

じつは、ミホはある「女性像」を演じながら、それが自分自身であると信じ込むようになるのは、たやすいことだった。

「だからこそあのような壮絶な狂い方をし、献身する妻から狂気によって夫を支配する妻へとあざやかに変身を遂げることができたのである。」
つまりこれは、意識下であったにせよ、夫婦合作の「共狂い」だった。
 
ちなみに初期の代表作である「出孤島記」では、ミホをモデルにしたNという女の中に、島尾は狂気の萌芽を見ている。「出孤島記」は、『死の棘』の事件が起こる五年前だが、「『死の棘』に頻出する「発作」という言葉がすでに使われていることにも驚かされる。」
 
一方、島尾には島尾の事情があった。
かつて戦争末期に隊長として、加計呂麻島の島民すべてに慕われた島尾は、決戦になれば、躊躇なく島民を自決させたろう。それが、隊長として取るべき唯一の道だった。島尾は戦後、そのことを悔いてやまない。

「もしも島尾が、ミホが日記を見るよう仕向けたのだとすれば、それは一方では小説のためであり、もう一方では、意識下にあった『自分は審かれるべき存在だ』という考えを現実化するためだったろう。」
 
しかし実際には島尾は、部下を戦死させることもなく、また一人の島民も死なせることはなかった。
そういうことを考えると、「島尾の罪悪感は大きすぎるようにも思えるが、おそらく島尾の資質の中に審きを希求するものがあったのではないだろうか。」

なお『死の棘』において、愛人、ミホ、島尾が一堂に会するところは、ただ一か所しかない。ミホが愛人と、くんずほぐれつ取っ組み合い、あげくのはてに、「そうだ、こいつのスカートもパンティーもみんなぬがしてしまおう。トシオ、はやく、はやく」という有名な場面だ。
その直前に、愛人が叫ぶように言う。

「そのとき彼女が放った言葉は、『死の棘』全篇に響きわたる、島尾への審きの言葉である。
『Sさんがこうしたのよ。よく見てちょうだい。あなたはふたりの女を見殺しにするつもりなのね』
 ここで読者は初めて、リアルな『あいつ』の声を聞く。どのような女性なのか一向にわからなかった愛人の姿が焦点を結ぶただ一度の場面である。男の妻にひどい辱めを受けながら、この男はいま、自分だけではなく妻をも見殺しにしているのだと喝破し、それを言葉にできる女――人間を見る醒めた目と知性をそなえた女であることがわかる。」

女の下着を脱がそうと言う場面も含めて、小説に書かれてあることは、まず本当にあったことだ。島尾はそういうふうにして、小説を作っていった。あるいは、そういうふうにしなければ、小説はできなかった。

女と男の行く先は――『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』(2)

とは言っても、ミホが島尾を追って、加計呂麻島から鹿児島まで行くのも、大ごとだった。連絡船のない時代は、「闇船」に頼るよりほかはなかった。先に神戸に帰っていた島尾敏雄を追って、ミホが単身、加計呂麻島を出たのは、昭和20年11月下旬である。

「闇船での航海は、昼間は洋上に浮かぶ島々の陰にひそみ、夜間のみ航行するというものだった。嵐に遭ってエンジンが故障し、修理のために喜界島に避難するなど船旅は難航し、鹿児島港にたどり着いたときは十二月の下旬になっていた。」
 
こうして紆余曲折を経て、ミホは敏雄と結婚する。しかし神戸では、奄美の出身というだけで、いわれのない差別を受けたという。

「故郷を侮辱されることは、ミホにとって両親を侮辱されることでもあった。のちに『死の棘』に描かれることになるミホの狂乱は、結婚以来プライドを踏みにじられてきたことへの怒りと悲しみの噴出でもあったのである。」
 
そもそも二人は、互いにズレたところから、結婚生活をはじめている。結婚してすぐに、島尾は梅毒に感染しているので、ミホも治療を受けるようにいう。このへんから、実はもうやや狂気が入っている。新婚まもないのに、性病の治療を、夫婦二人で受けに行くカップルがどこにいるか。
 
そのうちミホは妊娠するが、敏雄は女と遊び歩き、しかも日記にそのことを、これ見よがしに書くので、だんだん体調は悪化し、このときは出産を諦めざるを得なくなる。
それでも昭和23年には伸三が生まれ、25年にはマヤが生まれた。
 
昭和27年、一家は東京に移る。そして島尾の愛人が現れ、『死の棘』の世界が始まる。

『死の棘』は、夫の日記を読んだ妻が、「発作」を起こしたところから始まる。それはミホが直接、著者の梯久美子に語ったことでもある。

「『そのとき私は、けものになりました』
 まるで歌うように島尾ミホは言った。細いがよく通る、やや甲高い声。
『ゥワァァーーッと、お腹の底からライオンのような声が出ましてね。そのまま畳にはいつくばって、よつんばいで部屋を駆け歩きました。そして、ハァーッと言って倒れたんです』」
 
しかし、このとき日記に書きこまれていた「十七文字」が、どんなものであるかは、遂に明かされることがない。また島尾の日記は、わざと目につくところに、置かれていた可能性があるという。島尾はそれまで、しばしばそういうことをしておいて、ミホの反応を見て、それを小説に書いた。
 
しかし、このときは違った。ミホは激しい発作を起こし、島尾はうろたえて、ミホの言いつけを死ぬまで守ることを誓った。
 
でも、と僕は思う。こんなことが、きつい言い方をすれば、「都合よく」起こるんだろうか。
ちなみに、このとき日記に書きこまれていた「十七文字」については、ついに分からない。また島尾の、これまでさんざんミホを苦しめてきた「女癖」の悪さも、突然跡形もなく治る。
 
ミホが、千葉県市川市の国府台病院の、精神科に入院していた昭和30年8月19日、島尾敏雄が書いた血判入りの誓約書がある。この病院には、敏雄も一緒に入院している。
「至上命令  敏雄は事の如何を問わずミホの命令に一生涯服従す」
こういうことを、どう考えればいいんだろうか。

ミホが亡くなった後、著者は遺品の中に、古い原稿用紙の束を見つける。それは島尾の原稿の書き損じだったが、ふと裏を見返すと、ミホの文字がある。

「『ミホ、僕とお前はひとつなのだ、僕が苦しむ時はお前だって苦しむのは当り前だ、「カサイゼンゾウ」だって、「カムライソタ」だって、みんな芸術のためには戦場にしたんだ。芸術をするものは安楽になんて暮せないんだ。岩の上でも、地獄の果てまでも、お前と子供は僕と一緒なんだ、芸術の女神はしっと深いからね』
 こういっていた夫の言葉をそのまゝに信じ、務めなら私はよろこんでそうしよう、それはむしろ妻の誇りとさえ思えたのです。」
 
夫の投げた直球は、妻の、あまりにも正面に、音を立ててやって来たのだ。

「実際には一年に満たない期間に起った出来事を、足かけ十七年にわたって書き続けた持続性は、島尾敏雄という作家の粘り強さとテーマに対する誠実さの証しとして好意的に評価されてきた。」
 
しかしもちろん、そういうことではない。作家が全力投球した球を、妻もまた17年にわたって打ち返し続けたのだ。
「島尾は今度こそ、なまなましい手応えのある悲劇を手に入れることができた。ミホはみずからの正気を犠牲として差し出すことで、島尾が求めた以上のものを提供したのである。」

女と男の行く先は――『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』(1)

これは様々な意味で、読者に覚悟を要求する本だ。650頁余という本の厚さもあるが、読み出すと、もはや引き返せなくなる本だ。

もちろん文体の問題は大きい。梯久美子は、島尾ミホ・島尾敏雄という書くべき対象と四つに組んで、まったく引けを取っていない。

『死の棘』は単行本の部数が30万部を超え、純文学では異例のベストセラーになった。出てすぐに奥野健男や吉本隆明が絶賛し、文庫版『死の棘』に、山本健吉が解説による讃を寄せている。平成2年には小栗康平が映画化し、カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞している。

こうして島尾敏雄・ミホは、文学史に残る伝説的カップルになった。著者は、その「虚像」を、一歩一歩事実を積み上げて、突き崩していく。
 
特攻隊長の島尾敏雄と、女教師のミホは、奄美群島の加計呂麻島で、戦争も押し詰まった時期に出逢い、恋に落ちる。そして昭和20年8月13日、敏雄が特攻隊として出撃する夜に、ミホも命果てんとする。

「死の前提のもとで、言葉、それも『書かれた言葉』によって恋愛を盛り上げることにおいて、島尾とミホは共犯関係にあった。そのことは、敗色が濃くなり、死がいよいよ近づいてくる中で書かれたこのあとの手紙を読めばさらによくわかる。二人の関係は最初から、恋と死と文学が絡みあったところで初めて成立するものだったのである。」

しかし出撃命令は、ついに訪れなかった。

なお島尾には、ミホとの非常時の恋は、結構つらい面もあったようだ。何度も訓練を終えて、夜中に逢引を重ねると、確かにだんだん辛くなるだろう。

「大規模な空襲や出撃命令がいつあってもおかしくない中、深夜に部隊を抜け出して女に会いに行く生活は、このころになるともう限界に近かったのだろう。」
 
けれども、島尾隊長にしてみれば、「戦時中は出撃してしまえばすべてから逃れられるという気分があったことは否め」ない。

『死の棘』の批評のことで言えば、ミホを「島長の娘」や「南島の巫女」と呼び、「島尾=近代的インテリ、ミホ=古代そのままの自然人」とする構図が、広く流布しているが、著者はこの憶測を、完膚なきまでに打ち壊す。
 
ミホは東京の高等女学校を出ているし、また結婚の約束をする昭和20年には26歳で、島尾の父などは、少し年がいっていると渋面をつくっている。
 
いずれにしても、戦時下の非常の恋はここで終わり、以後、これとは別の日常が始まる。

翻訳は難しい――『トランペット』(2)

けれども、とここから先は、僕が読んだ感想である。この小説を読むと、なんだかいかにも翻訳小説を読んでいる、という感が強い。

もちろん訳者は、ひどく苦労している。
「原文で読めば即座に笑ったり感覚的に理解したりできる掛け言葉や連想を、翻訳に反映させるのはなかなかむずかしい。」
 
その結果、個々の章で主役を務める面々、すなわち「妻のミリー、息子のコールマン、バンドのドラマー、医者や葬儀屋、役所の登録係、著名人のスキャンダルでひと儲けをたくらむジャーナリスト、昔の同級生、老いた母」等々が、どうにも落ち着きが悪くて、十全に活躍できていない。というか読んでいて、言葉はハジケてるのに、ときどきひどく退屈してしまう。
 
もちろんこれは、訳文の問題ではなく、僕のほうの問題かもしれない。

「スコットランドの言葉、変わりやすい気候や荒い波の打ちつける海岸の風景、長年グラスゴー市民に親しまれてきたデートスポット、伝統的な食べ物や駄菓子の名前など、生活の具体的な細部の描写を通じて、スコットランドという土地の空気を地元民の感覚で味わう楽しみがある。」
 
僕が「地元民の感覚」で、スコットランドをそんなふうに味わうことは無理だ。

こういうのは、難しいものだと思う。かりに僕が編集を担当して、これだけの原稿が入れば、もう本当に有頂天で、本になる直前はドキドキである。
 
でもそれは、翻訳書でそういうのを読んだことのある人たちを、相手にしているだけで、きつい言い方をするなら、広い意味での「一般読者」を、相手にしていないんだと思う。
 
でも、じゃあ、こういう本は出さなければいいのか、というと、それは全然違う。ぜんぜん違うんだけども、しかし、ではほかにどんな手を打てるかというと、ちょっと考えあぐねてしまう。

名前のある作家や脚本家に、帯を書いてもらう。PR誌があるのであれば、宝塚の明日海りおに、「男」として生きたジョスの役をやりたいと書いてもらう。あるいは書評を、小泉今日子さんにやってもらうのもいい。

でも結局は、そういうことと同時に、訳文を練り上げるよりほかにないのだろう。

じつは『トランペット』は、現役編集者のOさんが、個人的には去年のミステリーのベストワンだといって、推薦してくれたものだ。その気持ちはよく分かる。Oさんは僕を、病気したとはいえ、現役と変わらぬものと認めて、これを推薦してくれたに違いない。

でももう僕は、こういう原稿にドキドキするような臨場感は、遠いところに忘れてきてしまった。そのかわり、いっそう貪欲な読者として、新刊を含めた本に向かっていこう、とは思っているけれど。

(『トランペット』ジャッキー・ケイ、中村和恵訳、岩波書店、2016年10月28日初刷)

翻訳は難しい――『トランペット』(1)

これは面白い小説だ。伝説のジャズ・トランぺッター、ジョス・ムーディは、徹底した医者嫌いで、それに罹ることのないまま、急死する。ジョスには、医者に罹れない理由があったのだ。
 
妻のミリーはその結果、夫のことでひたすら秘匿していたことを、明かさなくてはいけなくなる。ミリーとジョスの養子であるコールマンでさえも、その秘密は知らされていなかったのだ。
 
それは、ジョス・ムーディが「女」だったということである。体中にきつく包帯を巻き、どこから見ても男であったジョスを、ミリーはまったくの「男」として遇したのだけれど。
 
その秘密は、物語の早い段階で明らかになる。というよりも、帯の文句が、「おれのお父さんは/あなたの/娘だったんです」とあるから、ページをめくる前に、ネタ割れしている。

「むしろ死後にジョスと出会う、あるいは彼を再発見する人々こそが、この小説の驚嘆すべき主人公たちなのだ。妻のミリー、息子のコールマン、バンドのドラマー、医者や葬儀屋、役所の登録係、著名人のスキャンダルでひと儲けをたくらむジャーナリスト、昔の同級生、老いた母。多くは世間的に無名の、普通の、働き、愛し、過ちを犯し、誤解したりされたりする人たちが、それぞれの人生で培ってきた考えや感情を胸に、ジョス・ムーディを見つめる。かれらがいかにジョス・ムーディを理解するか、その過程がまさにこの小説のプロットなのだともいえる。」(「訳者解説」より)
 
つまりここでは、ジョス・ムーディが女であることは全体の枠組みであり、本当の主役は、個々の章で出てくる、いろいろな人々であるというわけだ。

作者のジャッキー・ケイは、ナイジェリア人の父と、スコットランド人の母の間に生まれた。けれども赤ん坊のときに、スコットランド人の夫婦の養子にもらわれ、スコットランドで暮らした。

だから、「彼女をアフリカ系イギリス人、あるいはブラック・ブリティッシュ詩人・作家と呼ぶことも正しいし、現代スコットランド詩人・作家と呼ぶこともまた、正しい。」
うーん、ちょっとややっこしい。

しかもジャッキー・ケイは、人種だけでなく、セクシュアリティの上でもマイノリティの位置を占めている。ケイは長じて女性のパートーナーと暮らし、その家庭で母として子育てまでしている。

だからさきほど述べた、ジョス・ムーディが女であることは全体の枠組みであり、背景である、というのは最後のほうになって、じつは背景でなく、前面にせり出してくるのだ。

「荒い波風に大揺れはしてもけっして切れない家族の絆は、むしろ多くの方の心に親近感や共感を呼び起こすだろう。」
 
だから終わりまで読むと、ある大きな感動は得られる。

文学の現場――『「文藝」戦後文学史』(4)

河出の第二次倒産に至る経緯や、寺田博の延べ十年ちょっとに及ぶ編集長時代については、本文を読まれたい。本当は、ここからが醍醐味である。
 
通史の要約は難しい。しかも書かれた材料の何倍かが、やむなく捨てられ、足元に踏み固められている。著者の文体の緊張感は、そんなところにも由来している。
 
私が河出に関する本を読んだのは、田邊園子『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』(作品社)、寺田博『昼間の酒宴』(小沢書店)・『文芸誌編集実記』(河出書房新社)、小池三子男「河出書房風雲録・抄」(『エディターシツプ』№2)くらいのものだ。

それでも河出の人たちの魅力は、十分に伝わってくる。いずれも、とても面白い本だった。坂本さんや寺田さんだけではなく、「河出書房風雲録・抄」をよむと、河出にはとてつもなく面白い人が、いっぱいいることがわかる。
 
同じ会社でないということは、必然的に酒場で会う以外に、会いようはないわけだけれど、でも呑み屋で会うと、会社の違いを忘れた。それほど魅力的な人が多かった。金田太郎さん、飯田貴司さん、岡村貴千次郎さん、長田洋一さん、みな懐かしい。みんな、会社の人間である前に、一人の個人だった。
 
佐久間文子『「文藝」戦後文学史』について書いたのは、要約でもなければ、論評でもない。緊張感ある通史の要約はできないし、これだけの労作を論評することも、私にはできない。

「本文でも引用している、古山高麗雄さんが『文藝』のことを評した、〈転変の激しい文芸雑誌である。なにか、本流に揉まれながら泳ぎ抜き、生き抜いてきたといったような雑誌である〉という、その表現がとても好きである。」
こういう表現に限りなく共感したので、ただ思いのままを綴ってみた。

(『「文藝」戦後文学史』佐久間文子、河出書房新社、2016年9月30日初刷)