新しい視点で――『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(2)

しかし、その「下」から異議を申し立てる仕方が、日本の場合は、どうにも歯がゆいと著者は言う。

「日本の生活困窮者はひっそりと静かで、今にも消え入りそうな印象だった。彼らはサバイバルするために全身の毛を逆立てて戦闘している感じではない。日本の彼らはもう、折れてしまっている印象なのだ。だが彼らはなぜこんなにも力なく折れてしまうのだろう。」
 
そう考え詰めていった果てに、著者は一つの回答を得る。
日本の貧困者があんなふうに、折れてしまうのは、「それは結局、欧州のように、『人間はみな生まれながらにして等しく厳かなものを持っており、それを冒されない権利を持っている』というヒューマニティの形を取ることはなかった」からではないか。

著者は、そこからさらに考えを進める。日本では、権利は義務と一緒に考えられていて、義務を果たしてこそ、権利を主張することができるのだろう。

これは日本人の権利観の、最も根幹の部分である。なぜ自民党の憲法改正試案がしっちゃかめっちゃかなのか、そしてそれにもかかわらず、大声で文句が出ないのか。権利と義務の関係が、日本人とヨーロツパの人間とでは、違うのではないか。

「例えば英国では『権利』といえば普通は国民の側にあるものを指し、『義務』は国家が持つものだが、日本ではその両方を持つのは国民で、国家と国民の役割分担がなされていない。」
 
これは非常に厄介なことだ。自民党と同じく、日本人の大半、正確には三分の二以上の成人が、権利と義務の関係を、そのように考えていると、本当に厄介なことになる。途方に暮れざるを得なくなる。
 
著者はもう一つ、「反緊縮財政政策」ということを非常に強く主張する。これも日本から見れば、最初は何言ってんの、という感じなのだが、よく読んでみると奥が深い。結局、英国がEU離脱を推し進めたのも、サッチャーにはじまる「緊縮財政政策」に、ここにきて反旗を翻したからだ。
 
この最後の部分については、次に書評する、おなじ著者の『ヨーロッパ・コーリング』に詳しい。

(『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』
 ブレイディみかこ、大田出版、2016年8月25日初刷)

新しい視点で――『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(1)

Yahoo!ニュースで話題の英国保育士、ブレイディみかこの書き下ろしである。
 
とはいえ、著者が身体を張って経験したところは、あまりよくない。第一章の、著者が日本で二十年前にやっていた水商売と、二十年後、英国から帰った後の水商売を比較する話(もちろん二十年後は見ているだけ)は、うーん、どんなもんだろう。

著者がホステスをやってた頃は、人情味に溢れた業界であったのに対し、二十年後の水商売は、それはもう陰惨を極めている。

そりゃあ点と点とを比較すれば、そういうこともあるだろう。しかし二十年前にも、陰惨を極めたところはあったにちがいない。自分の体験をもって、こういうのを測るのは、あまり説得力がない。
 
第三章の「保育園から反緊縮運動をはじめよう」もそうだ。英国で保育士の資格を取ったブレイディみかこは、日本とイギリスの保育園をさまざまに比較する。それは従来なかったことで、なかなか面白い。しかし次の一節は、どうだろうか。

「ブラック企業や非正規雇用の問題が取り沙汰され、正社員も明日の我が身を心配して委縮し、雇用主の立場が強くなりすぎていると言われる日本の労働市場の現状は、高架下や廃棄物置き場や瓦礫の裏の保育園や病児保育と直結している。」
 
これはまあ、直結しているところも、あるかもしれない。
でも、その先へ行くと、どうだろう。

「親の労働状況が改善されないことには、子供たちの状況も改善されない。そして恐ろしいことには、過酷な労働条件に慣れきっている親たちは、自分たちの子供を取り巻く環境が劣化しても、そのことに気づかないだろう。20世紀初めの英国の労働者階級の親たちが、幼い子供たちを工場や炭鉱で働かせて危険な環境に晒しても何の罪悪感も感じなくなっていたのと同じだ。」
 
これは違うと思うよ。それに環境劣悪な保育園は、そういうところしか空いてないから、泣く泣く子供を預けているんで、親も分かっていて、ギリギリの選択を強いられてるんじゃないか。
 
しかし、著者の実地の体験に根差した、迷走している二点を除けば、ほかは素晴らしいのだ。
たとえば、日本に独特な「中流」という層。この層をどう見るか。

「貧困支援に携わってきた藤田〔孝典〕さんも、日本には下層意識が根付かないと言っていた。
『内閣府の調査で、いまだに日本人の9割が中流意識を持っているんですよ。「中の上」、「中の中」、「中の下」っていう政府の統計の取り方自体にもう、問題があります。じゃあ「中の下ぐらいかな」っていうところも含めると9割が自分は中流だっていうんですよ。』
 
これは面白くて、しかしぞっとする話だ。中流という「まさに岩盤のイズム」。中間層は、真ん中に膨らんで、自分はその中にいると思っていた。が、じつはその全体が、急激に落下していたとするなら・・・・・・。「中の下」あるいは「中の下の下」くらいは、よく考えた方がいい(って、僕のことじゃないかな)。
 
すると、どういうことになるのか。
「新自由主義とグローバル資本主義の結果として、もはや世界は『右』と『左』ではなく、『上』と『下』に分かれてしまった。」
 
日本をそういうふうに見ること、そして世界をそういうふうに見ることは、まったく新しい視点を手に入れることだ。

どうしようもないこと――『山口昌男の手紙―文化人類学者と編集者の四十年―』(2)

後半の山、というよりも末尾に近く、大塚さんと山口さんは、徐々に歩む道を変えてゆく。大塚さんの弁を聞いてみよう。

「氏は論壇の寵児となっていた。誰も、賞讃こそすれ、氏の仕事に対して注文を出す人は全くいなかった。私は、山口氏に最も近い編集者だと自ら認じていた。一人ぐらい氏の仕事の方向に厳しい目を向けている編集者がいてもよいではないか。その厳しい目こそ、本当に氏と親しいことの何よりの証拠ではないか」。
 
山口昌男さんはといえば、眼を国内に向け、『「挫折」の昭和史』、『「敗者」の精神史』を書き、『「敗者」の精神史』では大佛次郎賞を受賞する。
 
僕は初めに大塚さんから、山口さんの話を伺ったとき、『「挫折」の昭和史』と『「敗者」の精神史』は、およそ認められない、という話を聞いて、ほとんど信じられない思いをしたものだ。そんなふうに思っているのは、たぶん大塚さん一人だけだろう。

『「挫折」の昭和史』と『「敗者」の精神史』は、『へるめす』が生んだ中でも、かなりの傑作だと思う。『へるめす』の育ての親が、真っ向から、その作品を否定しているのだ。僕は感動した。著者が功成り名を遂げたとしても、そんなことは何の関係もない。私の「山口昌男」は、そんなところに安住していてはだめなんだ、世界を駆け巡り、時に飛翔せねば。
 
僕が、大塚さんに感じたのは、岩波の社長である前に、著者の山口さんに最高の仕事をしてほしいという、一人の純粋な編集者の思いだった。
 
本ができてから、大塚さんと一緒に、山口さんのお宅に伺った。山口さんは病気のせいで、少し体が不自由そうだった。でも満面の笑みで歓迎してくださった。おもに大塚さんが話したけれど、山口さんは、みんな分かっているというふうに、頷いておられた。

(『山口昌男の手紙―文化人類学者と編集者の四十年―』
大塚信一、トランスビュー、2007年8月30日初版)

どうしようもないこと――『山口昌男の手紙―文化人類学者と編集者の四十年―』(1)

これは僕の作った本。去年の秋ごろ朗読をしたけれど、まだほとんど頭に入らなかった。だから、これを朗読するのは、二度目になる。
 
さすがに今度は、よくわかる。そして中身が分かってくると、今度はいちいち事柄に圧倒されそうになる。僕が作ったんだから、そのことはもう分かっているのに、やっぱりそうなる。
 
著者は元岩波書店社長の大塚信一さん、『理想の出版を求めて』の次に出した本である。この本については、せっせと原稿をもらっただけで、僕はほとんど何の助言もしていない。出来てくる原稿が、ただ面白かった記憶がある。

この本は前半と後半に、それぞれ山がある。
前半は、世界各地から出される、山口さんの手紙の面白さである。ある時はナイジェリアから、またある時はパリから、そしてある時は南米から、などなど、山口さんは地球上を駆け回って、手紙を出す。

初めの頃の、大塚さんと山口さんの関係は、次のようなものだ。
「遠くアフリカの地でどうしようもなく立ちすくんでいる氏の孤影が頭をよぎる。学校を出てから数年しか経っていない当時の私に、果たして氏の孤立感をどれだけ理解できたか疑問であるが、山口氏はそのような頼りない私にしか同感を求められなかったことを思うと、表現しようのない複雑な感情にとらわれる。」
 
大塚さんにしてみれば、そういうふうに言わざるを得なかったろうが、山口さんから見れば、大塚さんは芯の通った、一本のまぎれもない命綱だったと思うのだ。
 
その命綱を通して、山口さんは世に出る。それは誰も見たことのないほど、鮮やかな飛翔だった。日本の寵児は、パリにあっては、クロード・レヴィ=ストロースと互角に渡り合い、南米ではオクタヴィオ・パスに会い、またカルロス・フエンテスと対談をする。
 
国内では、大塚さんの作った『季刊へるめす』を頂点として、きらびやかな山口さんの本の世界が、繰り広げられる。

けれども、頂点はまた、そこから進めば、陰りも見えてくるのだ。

ジャーナリズムが壊れる前に――『放送法と権力』

山田健太さんは田畑書店から、『見張塔からずっと』と並んで、『放送法と権力』を出している。前者が、この8年の通時的なコラムだとすると、後者はテレビとジャーナリズムに的を絞って論じている。
 
これは今年2月に、高市早苗総務大臣が、法に基づき電波停止はあり得る、と国会答弁したことで、一挙に緊張が走った。政治家が「放送法」に基づき、テレビやラジオの番組を、取り止めることができるのだ。
 
著者は言う。「巧妙にそして着実に『放送の自由』は剝ぎ取られつつある。すでに手遅れかもしれないが、否、だからこそ、いまからでも異を唱えることで、視聴者のテレビやラジオを見る目を変えることから、まず始めることが必要だ。」
そこで、それを書きとめようとする努力が始まる。
 
2015年に開かれた、自民党若手の文化芸術懇話会で、「(自民党に)批判的なメディアは広告主に圧力をかけて懲らしめればよい」という意見が出る。また「沖縄の新聞はつぶさなくてはいけない」、との発言も出る。これはもちろん、言論弾圧の最たるものだから、発言が外部へ出た途端、責任者は交代させられる。しかしそれも形だけのことだ。安倍首相にとっては、むしろ良く言った、というくらいのつもりだろう(「第一章 報道圧力」)。
 
以下、「第二章 言論の不自由」では、あの絶望的に暗い「特定秘密保護法」が扱われ、「第三章 放送の自由」では、危機に立つNHKの公共性が問題になる。

「第四章 政治的公平の意味」は、メデイアにおける「公平公正」とはどういうことかを論じ、「第五章 デジタル時代のメディア」では、全世界の本をデジタル化して、それをネット上にアーカイブするという、一連のグーグル騒動が扱われる。
 
そして「終章 市民力が社会を変える」では、ヘイトスピーチとどう向き合うか、が論じられる。

『放送法と権力』は、『見張塔からずっと』に比べると、少し専門性が高い。しかしどの章も、じっくり読めば非常によくわかる。なによりも山田健太さんの情熱が、読み手をつかんで離さない。

(『放送法と権力』山田健太、田畑書店、2016年10月31日初刷)

透徹した眼で――『見張塔からずっと―政権とメディアの8年―』(3)

2013年にはまた、「秘密保護法案」(9・14)がせり出してくる。
新聞や雑誌、テレビの記者が、公務員と接触し、知り得た秘密を聞きだすのは、当たり前の取材行為である。それは形式的には犯罪行為だが、法律違反には問わない。これが、知る権利に基づく、取材・報道の自由ということである。
 
けれどもここに、一つの落とし穴がある。その「正当な取材行為」を判断するのは、検察または裁判所なのである。だから沖縄密約漏洩事件では、新聞記者は、倫理違反を理由に、有罪判決を受けた。
 
これはどんなことであれ、秘密を洩らした者と、漏らされた者とが、同時に罰を受けることになってしまう。著者も言うように、これは恐ろしいことだ。
 
2014には朝日新聞が、従軍慰安婦の捏造記事と、吉田所長の福島第一原発調書(正式には聴取結果書)をめぐって、袋叩きに会う。保守系の面々が、ここを先途とばかりに、朝日新聞の廃刊を言い立てたのである。そのときの依って来たる基盤は、ずばり「国益」である。つまり、おぞましいことに、一挙に70年に前に戻ったのである。
 
2015年になると、著者の憂いはますます濃くなる。そのことは見出しの内容が、一段と深く、広く、深刻になったことで分かる。「編集と経営の分離」(1・10)、「ジャーナリズムの任務」(2・14)、「公権力とテレビ」(4・11)、「報道の外部検証」(5・09)、「世論調査の意味」(8・08)など。
こう見てくると、日本の民主主義は、風前の灯火であることが、嫌というほどよく分かる。いや、もうだめかも。
 
そして2016年。今年2月に、高市早苗総務大臣が、「法に基づき電波停止はあり得る」と、国会で電波停止に言及した(「政府言論とメデイア」2・13)。もはやテレビにおいては、「表現の自由」は息の根を止められ、死んだのだ。
 
そして、報道ステーション、NEWS23、クローズアップ現代のキャスターが、そろって交代し、また参院選で、改憲勢力が3分の2を占めた。
 
以上が、ここ数年に起こったことの、ほんのあらましである。安倍政権は、これからも続いて行きそうだから、もっと悪いことが起こるだろう。今はそれを、ただ記憶するしかない。
 
なおこの本は、各コラムの末に、それと関連するコラムが載っている。例えば、今年で言えば「政府言論とメデイア」(2・13)の最後に、〔参照:12年1月/14年11月/15年2月〕というふうである。これは大変便利だが、付ける方は死ぬ思いをしただろう。しかしお陰で大助かりである。
また各年の初めに、簡単な年表がついている。これも実に役に立つ。
 
こういう工夫のすべてが、「この近過去だけは/絶対に忘れない!」という帯の文句を、そのまま実現している。
しかし山田健太先生の執念は、これだけでは終わらなかった。

(『見張塔からずっと―政権とメディアの8年―』
山田健太、田畑書店、2016年10月31日初刷)

透徹した眼で――『見張塔からずっと―政権とメディアの8年―』(2)

2011年3月11日には、東日本大震災が起こり、続いて福島第一原発で国内初の炉心溶融が起こった。
「被災 誰に何を伝えるか」(5・04)にはこんな一節がある。

「被災メデイアの一つに夕刊紙・石巻日日新聞がある。同市を本拠とする来年100周年の歴史を持つ地域紙で、震災直後に手書きの『壁新聞』を発行し避難所に掲示したことで、一躍有名になった新聞でもある。もちろん、発効を絶やしたくないという執念は見事なもので、それ自体がニュースであることに違いはないが、むしろその根底になる編集方針を、今日のデジタル時代におけるジャーナリズムを考える素材として紹介しておきたい。」

そうして悲劇や美談は扱わず、徹底して被災状況と生活情報に絞ることになった。すべてのメデイアがストップした時、石巻日日新聞は壁新聞として唯一、人々の役に立ったのである。

この歳にはまた、大阪府で、「君が代」を歌う時には、起立せよということが決まった(国歌斉唱起立条例)。「君が代・日の丸合憲判決」(6・11)のコラムでは、「制定時の政府見解は、『国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません』(小渕恵三首相)、『式典において、起立する自由、起立しない自由、歌う自由、歌わない自由がある』(野中広務官房長官)であった。」

これは、それほど昔じゃないから、と言うか、みんな覚えていることだから、「君が代」を歌う時の態度をここまで、捻じ曲げるのは、開いた口が塞がらない。

2012年には、自民党が憲法の改正草案を発表している。
僕の見るところ、憲法を守るのは天皇・国会議員・公務員のみで、一般の国民は関係ない、という頭が抜けているために、自民党の憲法改正草案は、およそ頓珍漢なものだ。「改憲で進む権利制限」(5・12)を読むと、本当にひどい。まったく噴飯ものだが、しかし無知が大勢を占めていると、どうなるかわからない。あー、やだやだ、ではすまないから恐ろしい。

そして年末には、自民党の第二次安倍晋三内閣が成立する。2013年の年初の「安倍政権と報道の自由」(1・12)を読むと、メデイアの規制や、放送の自由への介入など、悪夢と見まごうばかりの光景を、覚悟しておいた方がいいと指摘する。

またこのころから、メデイア企業のコンプライアンス上の問題が、多く発生する。有名な例では、講談社の少年供述調書掲載事件や、関西デレビの番組捏造事件がある。この問題は、第三者機関の介入を待つにせよ、厄介である。
著者はそこでは、こんなふうに指摘する。

「誤解を恐れずにいえば、法を破ることこそが取材の真髄であるし、報道の常道であるからだ。例えば、隠された政府内の情報を入手するために、公務員に接触して内部情報を入手することは一般的だ。それなしには、沖縄密約や原発事故の真相は闇の中に埋もれてしまうだろう。まさに、公務員法で定められた守秘義務を破って、情報を漏らしてもらうことをそそのかす行為を、記者は日常的にしているわけだ。」
 
これを著者の言うように、読者に十全に説明することは、第三者機関を入れても、きわめて難しいのではないか、と僕は思う。しかし、国家の介入を受けないためにも、第三者機関を入れても、メデイアの信頼性回復が、最も緊急、重要な課題だという。

透徹した眼で――『見張塔からずっと―政権とメディアの8年―』(1)

この8年、「琉球新報」に掲載された山田健太氏の、「メデイア時評」100回分と特別寄稿二回分をまとめたもの。タイトルは、ボブ・ディランのAll Along the Watchtowerから取られた。アメリカの堕落と商業主義を批判した歌だ。
 
もちろんこれは、日本にも当てはまる。なにしろ報道の自由度調査で、国際民間団体から世界で72位という、低い評価を受けているのだから。
 
サブタイトルに「政権とメディアの8年」とある。たしかに、この数年間は忘れることができないほど、新聞・出版・テレビは、退却につぐ退却を強いられた。ジャーナリストは孤立し、ほとんど精神的に崩壊しかけている。

新聞労連の調査によれば、新聞社に務める半数以上は辞めたいと考え、また1割以上が死にたいと思っているという。
 
出版社も同様だろう。今は亡き評論家の鷲尾賢也氏が、出版界は、業界ごと会社更生法を適応してもらったらどうか、とWEBRONZAに書いたのは、4年前のことだ。
今から、この8年をざっと見て行くことにしよう。

「要するに紙の新聞を発行するというビジネスモデルはすでに崩壊しているというのだ。・・・・・・目を世界に移すと確かに、米国では新聞社の身売りが続いているし、紙の発行を停止し、オンラインだけにした新聞も出てきている。」(「紙の新聞の大切さ」2009・3・15)
 
しかしもちろん、日本の場合、共通の言論公共空間は、全世帯メディアである新聞をおいて他にはない。だから一部地域の夕刊の廃止は、きわめて深刻な事態なのだ。

また、「いま、雑誌ジャーナリズムが危機に瀕している。というより、「死に体」といってもよいかもしれない。・・・・・・一時は十六億部近くあったコミック誌も2007年には半分以下の7億部余となり、『週刊ヤングサンデー』(小学館)や『月刊少年ジャンプ』(集英社)など、休刊が相次いだ。同様に08年以降、月刊誌の休刊も続いており、『月刊プレイボーイ』(集英社)、『論座』(朝日新聞社)、『月刊現代』(講談社)に続き、『諸君!』(文藝春秋社)もまた消える運命にある。」

一方、雑誌にたいする司法の判断も、厳しいものがあり、名誉棄損の額は、約十倍にはねあがっている(「瀕死の雑誌ジャーナリズム」2009・3・15)。

これは今から見れば、代表的な論壇誌が、音を立てて消えていく、最初の大きな地滑りであり、この傾向がやむことはなかった。

気がつけば、二年前から「死の商人」――『武器輸出と日本企業』(4)

夕方、仕事から帰って、犬の散歩に出かけたり、買い物に出かけたりするなら、仕事の方も、無人機を操縦して大量に人を殺すのはやめにして、ちゃんとまっとうな職業を選びなさいよ。あなたが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になるのは、まだ人として、まっとうなところが残っているからだよ。心的外傷後ストレス障害もなくなれば、もう完璧に殺人機械だよ。

本当のところ、こういう本は、僕は好きではない。しかし、誰かが書かなければいけない本だ。日本の軍事企業と大学・研究機関が、安倍内閣の方針転換にともなって、徐々に武器輸出の態勢を整えている。たぶん遠からぬうちに、世界で一、二の「死の商人」になるだろう。日本人は、限られたレースの中では、かなり優秀だ。ナチスに勝るとも劣らない。

こういう話は、僕が聞いても聞かなくても、同じことだ。どうせ歯止めは掛けられない。菅野完氏の『日本会議の研究』と同じことで、僕が読んでも、どうしようもない。

けれども、読まずにはいられない。困ったことだ。

しょうがないので、少しずつ考えてみる。まず日本は、武器輸出以前に、どういう国家として生きたいのか。「死の商人」でもなんでも、とにかくGDP命!、経済成長こそ生きがい、として生きてゆくのか。それとも、国々の中では中の下くらいだけれども、後ろ指はできるだけ刺されずに、生きたいのか。

けれども、たとえば日本が、いま国連の常任理事国入りを目指したりすれば、その時は、国連軍に軍隊を出さざるを得なくなる。そういうことを、どういうふうに考えるか。

結局、日本という国の中身をめぐって、今の自民党政府とは、ともに天を戴かず、ということなんだな。
しかし、それで済ましているわけにはゆかない。

何年か後に、日本製の無人機の誤爆で、両親を殺された青年が、中東の国からこっそり日本に入ってくる。外国人も大勢見物にでている祭りで、またはきらびやかなイヴェントで、巨大な爆発が起こる。両親を殺された青年は、子供のときからの恨みを、ついに晴らしたのだ。メイド・イン・ジャパンの武器が、有名になればなるほど、その確率は高まる。

最後に「あとかぎ」で、著者の望月衣塑子さんは、子ども二人への感謝を述べている。幼い子どもが二人いると思えば、この取材は大変を超えて、想像を絶するものだっただろう。全然知らない著者だけど、本当に、言葉がないくらい感動し、頭が下がった。

(『武器輸出と日本企業』望月衣塑子、角川新書、2016年7月10日初刷、9月5日2刷)

気がつけば、二年前から「死の商人」――『武器輸出と日本企業』(3)

最後の二章は、まさに取材の核心である、「デュアルユースの罠」と「進む無人機の開発」である。

「デュアルユースの罠」では、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の田口秀之研究員が、「マッハ5の極超音速エンジン旅客機の開発」で、防衛省の資金制度にエントリーし、採用された。

著者が、これは旅客機の開発に関するものだが、戦闘機に使われる可能性についてはどう思うか、と田口研究員に聞く。

すると田口氏は、「一般論として技術に色はないと考えます。・・・・・・民間としても未踏の領域、防衛としても未踏の領域です。私のプランも三菱重工のプランも、防衛省にとって開発に値する技術だということでしょう。・・・・・・/我々はマッハ5で飛ぶ技術を開発します。それを民間、防衛省が活用したいということであれば使ってほしいと思います」。

この答えを聞いて、「私はあまりの割り切りのよさにショックを覚えた。」

この他に、いくつかの取材をしたのち、著者は「研究者が研究開発の刺激にのみ左右され、軍事研究に傾倒していくことがないよう新たな規範や枠組みを築いていく必要があるのではないか」と述べる。しかし、こういうことになる見込みはなさそうだ。たぶん、もうどうしようもない。

終章の「進む無人機の開発」は、もっと絶望的だ。
無人戦闘機は、兵士を一人も乗せることなく、安全性なオペレーションルームから、攻撃を行うことができる。アメリカでは、2001年の同時多発テロ以後、アフガニスタンでミサイルを搭載して、偵察したのが最初だ。

ブッシュのときに始まった無人機攻撃は、オバマ政権で一挙に拡大した。「報告書によると、12年5月~9月の間に200人以上の人命が失われ、うちアメリカ軍が標的とした人物はわずか33人で、殺害された人の約9割が別人だったと指摘する。」

ミサイルを発射するのは無人戦闘機で、しかもなんと、その9割が誤爆だという。もちろん軍内部では、テロリストでないと分かっても、敵として報告していた。

これはじつは、アメリカ人も、「狂気」に追いこむことになる。
「(無人攻撃機の)操縦室での殺りくに加わった〝パイロット〟は、仕事が終われば自宅に帰って犬を散歩させたり、買い物に行ったりなどの普段通りの暮らしに戻るという。そういった兵士たちの心的外傷後ストレス障害(PTSD)発症率は高い。」
当たり前だ。
 
この無人攻撃機の行き着く先は、目標決定から攻撃までを、全部自分でコントロールできる、人工知能型の武器だろう。
「その兵器が開発されたとき、無人戦闘機内に組み込まれた人工知能が、人知を超えて戦争の可否を判断し、人々を殺傷していく。人類は、ロボットが自立的に判断する戦争に身を任せていく運命にあるのだろうか。」

まるで「ターミネーター」だな。
でもそこまで、ほんのあと一歩だ。