2012年、佐野眞一は『週刊朝日』で、大阪市長だった橋下徹の人物論の連載を始めたが、それが差別問題に触れることになり、筆を折った。ちなみに、当時の『週刊朝日』の編集長も更迭されている。
これは、佐野の再起第一作なのだ。だから読む方も、そのあたりを意識しながら読み続けることになる。
佐野はプロローグで書いている。
「心無い中傷で人生のどん底に突き落とされながら、愚痴一つ言わず生き抜いた唐牛の強靭な精神は、私をどれだけ勇気づけてくれたかわからない。それが私を失意から立ち直らせ、これを書かせる原動力になった。」
唐牛健太郎は、1959年6月に全学連委員長に就任し、61年7月に辞任した。この間、安保闘争にかかわって、公務執行妨害などで三度逮捕された。唐牛は懲役10カ月の実刑判決を受け、63年7月まで宇都宮刑務所に服役した。これが60年安保闘争の、唐牛に関する全記録である。
63年2月26日には、TBSラジオで「ゆがんだ青春―全学連闘士のその後」が放送された。全学連闘士が、その後右翼と結びついて、金をもらっていたこともあって、大きな衝撃を与えた。佐野は言う。「山口組+全学連vs児玉誉士夫+右翼という構図は、聞く者を興奮させずにはおかない。」
そうだろうか。僕は興奮しない。学生の言う「革命」の内実は、もし内実というものがあるとして、世間一般でおおむね真面目に暮らしている人たちに比較すれば、ほとんど噴飯もの、というにも値しないものだ。
そんなことよりも、唐牛がその後、様々な職業を模索していたところに、興味とある種の痛ましさを感じる。佐野は的確に、そこを突く。唐牛の「この乱雑過ぎる好奇心のベクトルは、〝山ッ家〟や〝気の多さ〟だけでは済まないアブノーマルなまでの社会への甘えを感じさせる」。
「アブノーマルなまでの社会への甘え」という的確きわまる書き方に、佐野眞一に対する信頼感があるのだ。