最晩年は人それぞれ――『死を迎える心構え』(2)

そういう心構えで「第1章 死なない生物と死ぬ生物」から順に読んでいく。

続いて「第2章 ほんとうに私は一人しかいないか」「第3章 現代哲学としての仏教――どうしたら本当に死ねるか」「第4章 鬼神論と現代」「第5章 霊魂の離在、アリストテレスからベルクソンまで」「第6章 私をだましてください」「第7章 他人の死と自分の死」と読み進む。

そして「第8章 人生は長すぎるか、短すぎるか」「第9章 世俗的来世の展望」「第10章 どこから死が始まるか」「第11章 人生の終わりの日々」「第12章 胃瘻についての決断」「第13章 往生伝と妙好人伝」「第14章 宗教と芸術」「第15章 人生の意味のまとめ」で終わる。
 
目次は非常に魅力的だが、それに反して、何となくどこかで聞いた話が多い。考えてみれば、「死について、確実に語りうることを、今の時点で集約しておきたい」と考えたのだから、当たり前といえば当たり前である。
 
ところが「第11章 人生の終わりの日々」だけは違っている。これは徹底して自分のことだから。だから、人生の最終晩を迎えて、なるほどというところと、ウーンと首を捻らざるを得ない箇所とが、入り混じっている。読んでいて、それが実に面白い。例えばこんなところ。

「若者をだます張り合いで生きている。だまされたフリをするのもうまい。」
 
加藤先生の知られざる一面である。いやあ、びっくりしたなあ。

「そつなく挨拶を欠かさないようにする。挨拶とは他人との扉を開くことだということがよくわかっているそぶりをして、挨拶さえしていれば他人はだまされる。私が私を介護する人々に協力的だと思わせることができる。好々爺ぶって芝居をする。」

先生、何となく「意地悪ばあさん」かと思わせる。

「健康のためにもっと歩いてください。はいはい。
 爽快のためにもっと野菜を食べてください。はいはい。
 他人のために大きな声は出さないでください。はいはい。
 他人に迷惑をかけないように、できることは自分でしてください。はいはい。
 こういう態度を『おとぼけ物語の時代』と名付けてもいい。」
 
これはかなりユニークな最晩年だと思うよ。