最晩年は人それぞれ――『死を迎える心構え』(1)

加藤尚武さんが、「死について、文理融合、東西融合、古今融合という三融合の書を書きたい」、ということで始められた本。
 
まず「文理融合」とは、生物学・生理学の最先端と、哲学・法律・宗教の知恵を比較する。「東西融合」は、これはギリシャに始まる西洋と、インド、中国、日本の伝統思想とを比較する。最後の「古今融合」は、太古の昔、人間が洞窟に絵を描き、墳墓を残した思いから、近代科学の登場まで。

「すなわち生物学、医学、法律学、哲学、文学、芸術、宗教などの古今東西の知見を集めて、死について、確実に語りうることを、今の時点で集約しておきたい。」
 
いま現在、死について語りうることを語っておきたいというのは、企画として絶対に成り立つ。しかも著者が加藤尚武さんというのは、実にバランスが取れていていい。
 
巻末の「謝辞」を見ると、編集したのはO氏だ。Oさんとはもうずいぶん会っていないが、相変わらず切れのある企画で勝負してくる。
 
そう思って読んでいると、「序文」にあれれ、というところを見つけた。
「科学的な真理が広まれば、身体を離れて霊魂は不滅で肉体の死後にもいき、この世での生を終えて『あの世』に生き続けると信じる人はいなくなると思う。」
 
著者がこれを、冒頭に言ってはおしまいでしょう。死については、古今東西の考え方すべてが、霊魂は不滅か否かで大別されるが、科学的な見方が広まっていくにつれて、霊魂不滅という見方はいずれなくなるだろう。これは「序文」で言ってはいけないし、かりに結論のところでも、そう言えるかどうかは怪しい、と僕は思う。
 
それはともかく、「序文」の末尾に驚くべき個所がある。

「従来の生命倫理学では『患者の自己決定を尊重する』という自己決定尊重論が主流であった。私も自己決定尊重論を主張し、普及に努めた。『パターナリズムから自己決定へ』というスローガンで、その方向性を示すことができた。これは多くの患者が六十代で死亡する場合にはおおむね正しい。」
 
ところが人が九十歳代で死亡する場合には、これとは逆に、必要なのは「自己決定からパターナリズムへ」というスローガンである。九十歳を過ぎた認知症の人が「口先でどう言うかは、必ずしも判断のよりどころにならない。見繕いで、当人にとっての最善を追求するというスタイルを確立しなくてはならない。」
 
これは大変なことになった。