それからまた、映画を途中から見る人の話。
「映画は途中だったが、気にしなかった。そのころは、時間かまわず入って、次の回の途中まで見て出るという人も多かった。」
そうだ、小学校に上がる前、いつも母と東映の二本立てを見に入って、そういうことをしていた覚えがある。「花笠道中」「旗本退屈男」「七つの顔の男だぜ」・・・・・・みな途中から入って、くるっと一回りすると、途中で出た記憶がある。
この「映画の周りで」という文章のオチは、「いまでも私は『一度見たから見ない』という人と『何遍でも見る』という人と、人間を二種類に分けてしまうところがある。」
僕は何度でも見る方。とくに『冒険者たち』は、姫路、神戸、大阪、名古屋、静岡、横浜、東京で見て、百回までは数えていたけれど、それ以上は数えきれなかった。
「オフレコ」と題する文章は、吉行淳之介と山口瞳の対談集に始まって、脚本家の田向正健が死んだこと、ヘンリー・ミラーの子供の頃に少年が事故で死んだ話など、とりとめのない話題が続くが、なかにこういう一節がある。
「しかし、私はそういう自責の念に関心がある。道徳や法律の検証を受けない、罪の軽重で濃淡が決まることもない、横切るような、かすめるような、しかしなかなか消えないでいる自責の念を金魚すくいの薄紙のようなものですくってみたくなる。」
こういうところに、誰にも真似のできない、山田太一その人が浮かび出る。とくに、自責の念をすくいとるのに、「金魚すくいの薄紙のようなもの」というのがいい。もちろんその前の、「横切るような、かすめるような、」が効いているのだ。
山田太一の文章は、手近な場所にあれば必ず読む。物事の裏の裏まで見えているか、物事の一つ一つの襞の奥まで見えているか。ともすればつい面倒になって、横着な見方をしていることはないか。自分の人生の、いってみれば内なる暖かな水準器として、山田太一は、偉ぶらないところも含めて、もっともふさわしい人と言えるのだ。
(『月日の残像』山田太一、新潮社、2013年12月20日初刷)