荒涼の中にただ一人佇つ――『戦後編集者雑文抄――追憶の影』(1)

『戦後文学と編集者』『戦後出版と編集者』に続いて、かかわった著者とその周辺を記した、松本昌次さんの3冊目の随想集である。
 
のっけの「花田清輝・埴谷雄高 冥界対論記録抄」に、まず度肝を抜かれる。
花田清輝と埴谷雄高が、あの世で対談をしている記録である。つまりこれは、松本さんの手による架空対談なのだ。いくら、花田の本を「十七、八冊」作り、埴谷の本を「評論集二十一冊、対話集十二冊作っちゃったけどね」と言っても、著者2人をあの世で会わせちゃってるんだもん、これは誰にもできないことだ。

『戦後文学と編集者』と『戦後出版と編集者』を読んだときには、非常に申し訳ないが、またいつもの「戦後文学」ものだなと思った。もちろん書かれている内容は、戦後の出版史をナマで知っている人の、今となってはたった一人の貴重な証言である。

でもそれは、僕が深く思い知ればいいことで、後輩にこれを読めと言って推薦するには躊躇するものがある。それが、前著2冊の感想だった。

3冊目の『戦後編集者雑文抄』は、おおむね21世紀に書かれた文章を収める。いま、2016年にこの本を読めば、編集者・松本昌次さんが、いかに多くの優れた人を結びつけたかを思い知らされて、なんというか、目くるめく思いがする。

出版界が毎日毎日、新刊を出しながら、実際には荒涼たる風景の中で呆然と佇んでいるとき、松本さんの世界はじつに豊穣なのだ。今世紀に入って、荒涼のなかでほとんど何も残らなくなったとき、ただひとり松本さんだけが、小説家や詩人、政治学者や女優を華麗に結びつけた。たとえば宮本常一と雑誌『民話』を語ったところ。

「民話だけでものは考えられない、芸術や思想といったものも含めて考えなければならないなどと思っていたんですね。日本では知識人の考えていることと民衆の動向はいつも離ればなれです。だからわたしはそれらを出会わせたいし、『民話』をそういった場にしてみたいなどと考えていたんです。(中略)『民話』には花田清輝さんや埴谷雄高さんや丸山眞男さんといった方々が登場しています(のちに、藤田省三、廣末保、谷川雁、日高六郎、吉本隆明さんなどの方がたにも執筆してもらっています。)」

編集者が持てる力を十全に伸ばし、しかもそれを、のびのびとやっているのを見るのは、今となっては夢のまた夢である。