男と女の「蒲団」な関係――『FUTON』(2)

田山花袋の『蒲団』は、『FUTON』とは本歌取りの関係にあるのだが、それについては作中に言及がある。デイブ・マッコーリーが、日本の講演で話すところだ。

「『蒲団』という作品を日本文学史上に決定づけたのは、中村光夫の『風俗小説論』です。ここで中村は、『蒲団』を、この主人公が滑稽であり、作者がその滑稽さを認識していない稚拙な小説であると指摘した上で、暴露趣味的な日本の自然主義小説、私小説への流れを作った作品と位置づけています。」

けれどもじつは、主人公を「滑稽」と見、その無様さを笑いたくなるような自由な視点は、「それこそがこの小説が他の明治文学と決定的に違うことを評価されるべき点であり、花袋が若き日に耽読した近世文学の江戸諧謔の伝統と、ドン・キホーテを祖に持つ小説を融合させて日本に近代文学をもたらした小説として、新しく日本文学史上に銘記される作品であること」は確かだ、というのである。

『FUTON』には処女作にふさわしく、優れた点を数え上げればそれこそきりがない。
たとえば、72歳になる祖父さんのタツゾウが、先代ウメキチのそば屋を辞めて、米資本のサンドイッチ・チェーン店「ラブウェイ・鶉町店」を開くところ。タツゾウは黄色い制服を着たまま、粋な蕎麦屋そのままに「らっしぇいやせ」といい、つづけて「ハラペーニョはどういたしやすか?」と訊くのである。

あるいはイズミと同棲しているケンちゃん。ケンちゃんはケンカっぱやいからケンちゃんと呼んでるけど、そしてべらんめい言葉で口汚く喋るけど、ほんとうは看護師と介護福祉士の資格を持っているマツモト・ハナエという女の子なのだ。でもイズミにとっては、ガールフレンドとはちょっと違う同棲相手だ。
というように、全編すべておもしろい、おかしい言葉で成り立っているのだ。

しかし、わずかに引っかかるところも、二個所ある。
一つは、曾祖父のウメキチが、「ツタ子を殺した夜は雨が降っていて、三州屋には他に人がいなかった」と回想する場面である。これは半分ボケてきて、はたして事実かどうか、ウメキチにも定かではない。しかし、定かではないにせよ、「ツタ子を殺した夜は雨が降っていて」というのは、この一行だけが著しくバランスを欠く。(というふうに思わないだろうか。)

もうひとつは、やはり『蒲団』との関係である。私は、作中小説「蒲団の打ち直し」を、たぶん田山花袋のパロディだろうなあと思いながら、しかし「あとがき」を読み終えるまでは、確証が持てなかった。
『FUTON』は、『蒲団』を読まずとも十分に面白い、ということを確認するために、つぎはいよいよ『蒲団』に挑戦することにする。

(『FUTON』中島京子、講談社文庫、2007年4月13日初刷、2011年5月16日第三刷)