養老孟司先生のこと――『カミとヒトの解剖学』(3)

『カミとヒトの解剖学』は「季刊仏教」という雑誌の、1988年4月号から1991年10月号に掲載された分と、ほかに「新潮45」に掲載のものなどを組み合わせて作った。

「季刊仏教」はF編集長と僕の二人でやっていたが、僕は仏教がどうしても合わなくて、養老さんとあと数人、仏教に直接かかわりのない著者を相手に、かろうじて息をついていた。

初めに述べたように『カミとヒトの解剖学』は、全体の配列と、章見出しと小見出しに神経を使えば、後は養老さんにお任せしておけば出来上がるというものだった。しかし、それだけに図版は工夫を凝らした。

ヴァルヴェルデの「人体の解剖」(1560年)や「九相詩絵巻」、また南小柿寧一「解剖存真図」は、養老さんの本ではおなじみであろう。しかし「暁斎漫画」や「へび女」(楳図かずお)、「妖怪たちの物語」(水木しげる)、「絵心経」(お経を絵解きしたもの)、中国語版『ドラゴンボール』、「失われた第三の目」(図版作成・布施英利)とくればどうか。

どんな著者も専門の領域において最も優れている。それは当たり前だ。なかでも養老さんとくれば、東大の研究室におじゃまをして、話を伺っているだけで、あっという間に三、四時間が過ぎ去る。そのくらい話が面白い。

しかしその面白い話に、こっちが全面的におんぶにだっこというのは、ちょっと情けない。たとえば次のような一段は、どこまでも話が広がったはずだったのに。

「江戸時代に解剖賛成論はなく、ただ多くの解剖が、事実として『具体的に』存在したのみである。この状況もまた、わが国ではごく普通に存在するパタンである。既成事実が先行し、理論は後からついてくる。ついてくれば結構だが、時にはまったく無論理となる。既成事実のもっとも古いものと言えば、すなわち天皇制であろうが、結局はすべて天皇制がモデルなのであろうか。『言挙げせず』、『勝てば官軍』なのである。」
 
養老さんには、この後も連載を続けていただいた。ちなみに後半の分は、『日本人の身体観の歴史』としてまとめさせていただいた。
このころは養老さんと池田晶子さんの連載で、原稿取りの仕事が本当に充実していた。

(『カミとヒトの解剖学』法蔵館、1992年4月10日初刷)