何物かを見つめながら生きる――『私は一本の木』

短文が50本あまり載せてある。おおむね身辺雑記、それに少し闘病記に類するものが混じる。
闘病記は、初めにハンセン病のこととあるので、身辺雑記も含めて隔離された中で暮らしたことと分かる。
だからこれは、そういう貴重な記録だと思うだろうが、それは違う。

天性の文章家が、たまたまハンセン病に罹り、だからそれをも書いたが、それ以外にもいろいろなことを書いた。そういうことである。

たとえば十代の終わりに、脚を失ったときのこと。
「・・・・・・病棟のベッドに帰りついて布団に入ったとき、胸にこみあげてくる苦しみと、腹の底から突き上げてくる悲しみを抑えることができず、深く布団をかぶって声を殺して泣いた。」

ここまでなら、悲しみは深いけれども、そこにとどまる。しかし続けて、こういうところがある。
「手術室の高い窓の、いちばん上のガラスから冷たい空が見えていた。この空の色はいつまでも忘れないだろうと思った。(中略)
 あの静かな奥深い感情は、どうして生まれたのだろうか。どこから来たのだろうか。
 あの冷たい空の青は何月だったのだろうか。」(「足を失うとき」)
片足を失った人が、ベッドでじっと耐えている。でもそれだけではない。それを見ている「私」がいる。

これはやっぱりハンセン病のことだし、脚を切るのはなかなか重い、というなら、例えばこんなところ。
「丁寧に、丁寧に、大勢の元気な患者たちが飼っていたあの牛たち。その牛たちから絞った牛乳。その後も長く続いた病棟生活で、いちばん何がおいしかったかと言われたら、やっぱり私はあれしかおぼえていない。
 あの熱々の薄い膜の張った牛乳、あれが飲みたい。」(「あの牛乳が飲みたい」)

また、身辺雑記というに留まらないところもある。
「二台の観光バスの人たちに眺めるだけ眺めさせて、やっと通り抜けることができ、ここまで来たら大丈夫というところまで来たら車を停めて、はあはあ、はあはあと、何回も大きくあえいだ。苦しかった。悔しかった。
 張り裂けんばかりのいまの屈辱。私は懐からピンポン玉くらいの爆発物を取り出して地面に叩きつけたかつた。」(「屈辱」)

あるいはこんなところも。
「いまは自殺する人に頼みたい。そらそら、あなたの眼球をくりぬいてもいいですか。怒ったって、あなたはいま捨てようとしているんじゃありませんか。自殺するおかた、どうぞご自由に。その前にちょっと待って。その眼をえぐりとらせてちょうだい。できたら、右手だけでものこぎりで切って、私にちょうだい。」(「ちょっと待て」)

本当は引用ではだめなのだ。1、2編、読んでみれば、僕のいう意味はたちまち理解されるだろう。

著者は2012年に、処女作『長い道』(みすず書房)を出して評判になったが、このときすでに80歳を超えていた。第二作目の本書では、米寿になろうとしている。でもたぶん、それは関係のないことなのだ。

(『私は一本の木』宮﨑かづゑ、みすず書房、2016年2月7日初刷)