この本が出たのは、去年の初め。僕が病院で身動きできず、本という存在そのものを忘れていたときだった。それを思えば、いま本を読めるのは本当に有り難い。
この次に出た本が、『アンタッチャブル』なんだな。
『雪炎』は日本製ハードボイルドである。原発の地元で、反原発の市長選候補を支える、圧倒的に孤独なヒーロー。ハードボイルドだから、主人公は一人で決定し、一人で実行する。そういう者を造形するには、ひと工夫を要する。そこで、どこからも嫌われている、はぐれ者の元公安を登場させる。そこに女が絡み、友情が絡んでいく。もちろん、昔は思い合っていた女の殺人事件もはいる。
馳星周だから、人間にはやっちゃあいけないことがある、でもやってしまう、という「人間の条件」が必ず出てくる。ここではもちろん原発である。
「福島はあくまでも対岸の火事。こっちの原発には事故など起こりっこない。
そう考えることの不合理に気づいていながら敢えて目をつぶる。未来の危険より今の金。」
これはもう総理大臣から日雇いまで(こういうのは差別かな)、わかっちゃいるけど止められない。「未来の危険より今の金」、いやあ、いい言葉だなあ。
ハードボイルドの男はまた、孤独な説教癖も持っている。
「今時の若者の思慮の浅さは驚くに当らない。それは、少なくともわたしにとっては痛ましい現象だった。深くものを考えることなく成長し、深くものを考えることなく社会人になり、深くものを考えることなく親になる。彼らが作り上げる未来がどんなものになるのかは、想像するだに恐ろしかった。」
もちろん、ハードボイルドとはいっても日本製である。主人公はたびたび金に困るし、美味いものに釣られるし、車は中古でオシャカになってしまう。いわばソースではなく、醤油や味噌で味付けがなされている、とでも言えようか。
考えてみれば、コメディの『アンタッチャブル』を連載しているとき、『雪炎』やそれ以外のものも、同時に連載していたのだ。そう思うと、Nやんの驚愕が伝わってきそうな気がする。
(『雪炎』馳星周、集英社、2015年1月10日初刷)
じりじりと剝き出しで――『復活祭』
Nやんが、『アンタッチャブル』は著者初めてのコメディなんだと力説しても、そもそもしばらく馳星周を読んでいない。そこで脳出血になるちょっと前、2014年9月に出た『復活祭』を読んでみる。
これは斎藤美千隆と堤彰洋が、IT企業のメデイアビジョンを舞台に、他の会社をM&Aによって合併し、株の時価総額を、内実がないにもかかわらず巨額に見せかけて、成り上がっていく話だ。
美千隆と彰洋の物語は、もう何年も前に、『生誕祭』という土地バブルを背景にした物語があり、筋は全然覚えてないけれど、面白かったという印象がある。
そこに、エスペランサの雇われママの三浦麻美や、いまは故人となった昭和の地上げ王の一人娘、波潟早紀が絡む。
この話は、登場人物のすべてが、ある方向に押し流されていくというところに、特徴がある。たとえば早紀と彰洋の会話。
「M&Aが成功したら、あなたたちの会社にはどれだけの利益になるの?」
「正確なことはわからないが、時価総額が一千億を超える企業になる」
「それだけあればなんでもできるわね」
「もっと増やさなきゃ」
「昔と同じね」
・・・・・・
「一千億じゃ足りないんだ」
もちろん一千億でも二千億でも・・・・・・何千億でも、足りることはない。こんなことは「間違っている。だが、止まらない、止められない。それが金なのだ。金で購う夢の性質なのだ。」
馳星周は、犯罪すれすれの、または犯罪に手を染めるかたちで、金を増やして増やして増やして、そして最後はすべてが藻屑と消える物語を書く。金は、誰にもわかりやすい一つの象徴である。
じつは人間の世には、ここまで行ったらもうだめだ、わかっているなら引き返さなきゃ、でも引き返せない、ということがいっぱいある。
そう言うと、日本人なら必ず思いだす、戦争中の特攻隊があるだろう。あれは集団狂気にかかっている戦争中のことだった、いまはそんなことはない、と言えるだろうか。
じつは今でも、全然変わっていないんじゃないか。
たとえば、辞職させられた舛添東京都知事。公私混同は目に余ったが、法律を犯してはいない。反省しているようだし、第一もうこれからは報酬を取らないというのだから、ここから1年半は身を粉にして働いてもらおう、というふうには、絶対にできない。東京都民だけではなく日本人が、そういうふうにはできない。
いや、日本人だけじゃない。たとえば英国のEUに関する国民投票。そもそもこんなことを国民投票に掛けてはいけないとわかっていて、それでもやってしまう。
馳星周は、人間の置かれた条件を、最もわかりやすいかたちで、すべてを取り去って、剝き出しで見せる。
(『復活祭』馳星周、文藝春秋、2014年9月15日初刷)
これは斎藤美千隆と堤彰洋が、IT企業のメデイアビジョンを舞台に、他の会社をM&Aによって合併し、株の時価総額を、内実がないにもかかわらず巨額に見せかけて、成り上がっていく話だ。
美千隆と彰洋の物語は、もう何年も前に、『生誕祭』という土地バブルを背景にした物語があり、筋は全然覚えてないけれど、面白かったという印象がある。
そこに、エスペランサの雇われママの三浦麻美や、いまは故人となった昭和の地上げ王の一人娘、波潟早紀が絡む。
この話は、登場人物のすべてが、ある方向に押し流されていくというところに、特徴がある。たとえば早紀と彰洋の会話。
「M&Aが成功したら、あなたたちの会社にはどれだけの利益になるの?」
「正確なことはわからないが、時価総額が一千億を超える企業になる」
「それだけあればなんでもできるわね」
「もっと増やさなきゃ」
「昔と同じね」
・・・・・・
「一千億じゃ足りないんだ」
もちろん一千億でも二千億でも・・・・・・何千億でも、足りることはない。こんなことは「間違っている。だが、止まらない、止められない。それが金なのだ。金で購う夢の性質なのだ。」
馳星周は、犯罪すれすれの、または犯罪に手を染めるかたちで、金を増やして増やして増やして、そして最後はすべてが藻屑と消える物語を書く。金は、誰にもわかりやすい一つの象徴である。
じつは人間の世には、ここまで行ったらもうだめだ、わかっているなら引き返さなきゃ、でも引き返せない、ということがいっぱいある。
そう言うと、日本人なら必ず思いだす、戦争中の特攻隊があるだろう。あれは集団狂気にかかっている戦争中のことだった、いまはそんなことはない、と言えるだろうか。
じつは今でも、全然変わっていないんじゃないか。
たとえば、辞職させられた舛添東京都知事。公私混同は目に余ったが、法律を犯してはいない。反省しているようだし、第一もうこれからは報酬を取らないというのだから、ここから1年半は身を粉にして働いてもらおう、というふうには、絶対にできない。東京都民だけではなく日本人が、そういうふうにはできない。
いや、日本人だけじゃない。たとえば英国のEUに関する国民投票。そもそもこんなことを国民投票に掛けてはいけないとわかっていて、それでもやってしまう。
馳星周は、人間の置かれた条件を、最もわかりやすいかたちで、すべてを取り去って、剝き出しで見せる。
(『復活祭』馳星周、文藝春秋、2014年9月15日初刷)
読んではみたけれど――『蒲団・一兵卒』
むかし高校生のとき、何かの拍子に徳永直の『太陽のない街』を読んで、これはプロレタリア文学というよりは、工場労働者と官憲の手に汗握る追い掛け合い、つまり冒険アクション小説だなと思った記憶がある。
もちろん当時は官憲に捕まれば、下手をすれば命はない。でもそういう状況が全部取っ払われれば、アクション小説という原型が残る。そして残った「原型」は面白いのだ。
『蒲団』も明治40年という約束事が全部取っ払われた時、妻子持ちの男と女子学生の、みっともないけれど赤裸々な恋愛の原型が現れてくる、そういうものを期待して読んだ。
でも『蒲団』に関しては、そういうものを期待してもだめである。
まだ女子学生が上京してくる前に、主人公の竹中時雄は、女に写真を送れと言おうとする。
「女性には容色(きりょう)というものが是非必要である。容色のわるい女はいくら才があっても男が相手にしない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学をやろうというような女だから、不容色に相違いないと思った。けれどなるべくは見られる位の女であって欲しいと思った。」
時雄は、こんな程度の男として登場し、そしてそのまま終わりまでその調子でいく。(もっとも写真の件は黒々とスミで塗りつぶすが。)
肝心のヒロインもどうということのない、どこに取り絵があるのかわからない女性だ。
では全部がこの調子なのかというと、不思議なことに主人公とヒロイン以外は、例えばくにから出てくる女子学生の父親や、時雄の細女などは、なかなか奥深い描き方がしてある。
だから中島京子は「蒲団の打ち直し」と題して、細女の目から「蒲団」の書き直しをし、それは充分おもしろいのである。
しかしとにかく『蒲団』は、止めておいたほうがいいと思う。ちなみに『蒲団』には、中島京子の『FUTON』にふんだんにあったような、「蒲団」な関係すら稀薄なのである。
で、そこでやめてもよかったんだけど、ことのついでに『一兵卒』も読んでみた。すると、なんとこれは傑作である。たとえば『西部戦線異状なし』のように、一人の兵士の死を描いて、一部の隙もない名作であった。
(『蒲団・一兵卒』田山花袋、岩波書店、1930年7月15日初刷、
2002年10月16日改版第1刷、2013年9月13日第13刷)
もちろん当時は官憲に捕まれば、下手をすれば命はない。でもそういう状況が全部取っ払われれば、アクション小説という原型が残る。そして残った「原型」は面白いのだ。
『蒲団』も明治40年という約束事が全部取っ払われた時、妻子持ちの男と女子学生の、みっともないけれど赤裸々な恋愛の原型が現れてくる、そういうものを期待して読んだ。
でも『蒲団』に関しては、そういうものを期待してもだめである。
まだ女子学生が上京してくる前に、主人公の竹中時雄は、女に写真を送れと言おうとする。
「女性には容色(きりょう)というものが是非必要である。容色のわるい女はいくら才があっても男が相手にしない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学をやろうというような女だから、不容色に相違いないと思った。けれどなるべくは見られる位の女であって欲しいと思った。」
時雄は、こんな程度の男として登場し、そしてそのまま終わりまでその調子でいく。(もっとも写真の件は黒々とスミで塗りつぶすが。)
肝心のヒロインもどうということのない、どこに取り絵があるのかわからない女性だ。
では全部がこの調子なのかというと、不思議なことに主人公とヒロイン以外は、例えばくにから出てくる女子学生の父親や、時雄の細女などは、なかなか奥深い描き方がしてある。
だから中島京子は「蒲団の打ち直し」と題して、細女の目から「蒲団」の書き直しをし、それは充分おもしろいのである。
しかしとにかく『蒲団』は、止めておいたほうがいいと思う。ちなみに『蒲団』には、中島京子の『FUTON』にふんだんにあったような、「蒲団」な関係すら稀薄なのである。
で、そこでやめてもよかったんだけど、ことのついでに『一兵卒』も読んでみた。すると、なんとこれは傑作である。たとえば『西部戦線異状なし』のように、一人の兵士の死を描いて、一部の隙もない名作であった。
(『蒲団・一兵卒』田山花袋、岩波書店、1930年7月15日初刷、
2002年10月16日改版第1刷、2013年9月13日第13刷)
男と女の「蒲団」な関係――『FUTON』(2)
田山花袋の『蒲団』は、『FUTON』とは本歌取りの関係にあるのだが、それについては作中に言及がある。デイブ・マッコーリーが、日本の講演で話すところだ。
「『蒲団』という作品を日本文学史上に決定づけたのは、中村光夫の『風俗小説論』です。ここで中村は、『蒲団』を、この主人公が滑稽であり、作者がその滑稽さを認識していない稚拙な小説であると指摘した上で、暴露趣味的な日本の自然主義小説、私小説への流れを作った作品と位置づけています。」
けれどもじつは、主人公を「滑稽」と見、その無様さを笑いたくなるような自由な視点は、「それこそがこの小説が他の明治文学と決定的に違うことを評価されるべき点であり、花袋が若き日に耽読した近世文学の江戸諧謔の伝統と、ドン・キホーテを祖に持つ小説を融合させて日本に近代文学をもたらした小説として、新しく日本文学史上に銘記される作品であること」は確かだ、というのである。
『FUTON』には処女作にふさわしく、優れた点を数え上げればそれこそきりがない。
たとえば、72歳になる祖父さんのタツゾウが、先代ウメキチのそば屋を辞めて、米資本のサンドイッチ・チェーン店「ラブウェイ・鶉町店」を開くところ。タツゾウは黄色い制服を着たまま、粋な蕎麦屋そのままに「らっしぇいやせ」といい、つづけて「ハラペーニョはどういたしやすか?」と訊くのである。
あるいはイズミと同棲しているケンちゃん。ケンちゃんはケンカっぱやいからケンちゃんと呼んでるけど、そしてべらんめい言葉で口汚く喋るけど、ほんとうは看護師と介護福祉士の資格を持っているマツモト・ハナエという女の子なのだ。でもイズミにとっては、ガールフレンドとはちょっと違う同棲相手だ。
というように、全編すべておもしろい、おかしい言葉で成り立っているのだ。
しかし、わずかに引っかかるところも、二個所ある。
一つは、曾祖父のウメキチが、「ツタ子を殺した夜は雨が降っていて、三州屋には他に人がいなかった」と回想する場面である。これは半分ボケてきて、はたして事実かどうか、ウメキチにも定かではない。しかし、定かではないにせよ、「ツタ子を殺した夜は雨が降っていて」というのは、この一行だけが著しくバランスを欠く。(というふうに思わないだろうか。)
もうひとつは、やはり『蒲団』との関係である。私は、作中小説「蒲団の打ち直し」を、たぶん田山花袋のパロディだろうなあと思いながら、しかし「あとがき」を読み終えるまでは、確証が持てなかった。
『FUTON』は、『蒲団』を読まずとも十分に面白い、ということを確認するために、つぎはいよいよ『蒲団』に挑戦することにする。
(『FUTON』中島京子、講談社文庫、2007年4月13日初刷、2011年5月16日第三刷)
「『蒲団』という作品を日本文学史上に決定づけたのは、中村光夫の『風俗小説論』です。ここで中村は、『蒲団』を、この主人公が滑稽であり、作者がその滑稽さを認識していない稚拙な小説であると指摘した上で、暴露趣味的な日本の自然主義小説、私小説への流れを作った作品と位置づけています。」
けれどもじつは、主人公を「滑稽」と見、その無様さを笑いたくなるような自由な視点は、「それこそがこの小説が他の明治文学と決定的に違うことを評価されるべき点であり、花袋が若き日に耽読した近世文学の江戸諧謔の伝統と、ドン・キホーテを祖に持つ小説を融合させて日本に近代文学をもたらした小説として、新しく日本文学史上に銘記される作品であること」は確かだ、というのである。
『FUTON』には処女作にふさわしく、優れた点を数え上げればそれこそきりがない。
たとえば、72歳になる祖父さんのタツゾウが、先代ウメキチのそば屋を辞めて、米資本のサンドイッチ・チェーン店「ラブウェイ・鶉町店」を開くところ。タツゾウは黄色い制服を着たまま、粋な蕎麦屋そのままに「らっしぇいやせ」といい、つづけて「ハラペーニョはどういたしやすか?」と訊くのである。
あるいはイズミと同棲しているケンちゃん。ケンちゃんはケンカっぱやいからケンちゃんと呼んでるけど、そしてべらんめい言葉で口汚く喋るけど、ほんとうは看護師と介護福祉士の資格を持っているマツモト・ハナエという女の子なのだ。でもイズミにとっては、ガールフレンドとはちょっと違う同棲相手だ。
というように、全編すべておもしろい、おかしい言葉で成り立っているのだ。
しかし、わずかに引っかかるところも、二個所ある。
一つは、曾祖父のウメキチが、「ツタ子を殺した夜は雨が降っていて、三州屋には他に人がいなかった」と回想する場面である。これは半分ボケてきて、はたして事実かどうか、ウメキチにも定かではない。しかし、定かではないにせよ、「ツタ子を殺した夜は雨が降っていて」というのは、この一行だけが著しくバランスを欠く。(というふうに思わないだろうか。)
もうひとつは、やはり『蒲団』との関係である。私は、作中小説「蒲団の打ち直し」を、たぶん田山花袋のパロディだろうなあと思いながら、しかし「あとがき」を読み終えるまでは、確証が持てなかった。
『FUTON』は、『蒲団』を読まずとも十分に面白い、ということを確認するために、つぎはいよいよ『蒲団』に挑戦することにする。
(『FUTON』中島京子、講談社文庫、2007年4月13日初刷、2011年5月16日第三刷)
男と女の「蒲団」な関係――『FUTON』(1)
斎藤美奈子の『文芸誤報』を読んで、中島京子の『FUTON』と『イトウの恋』が読みたくなった。
もともと『FUTON』でデヴューしたとき、田山花袋の『蒲団』を下敷きにして『FUTON』と名付けたのは、もうそれだけで勝負あった、参りましたという訳で、あんまり癪だから、わざと読まないでおいたら、中島京子は次々と新作を出すので、これはたまらんと、勤めのあるうちは敬遠せざるを得なかったのだ。
そういう意味では、半身不随となって、なんだかんだ厄介事はあるけれども、しかしごくまれにいいこともあるのだ。
さて『FUTON』だが、これはもう近代文学研究者、デイブ・マッコーリーの「蒲団の打ち直し」と称する作中小説が、まずノックアウト級に面白い。これは「蒲団」を、妻の立場から描いたものだ。
この大学教授デイブ・マッコーリーが、実際にも女子学生のエミと、いわば「蒲団」な関係になって、日本まで追いかけて来てしまう。そのデイブの周りを、エミの祖父さんのタツゾウや、曾祖父のウメキチ、画家のイズミなどがにぎやかに彩る。
この曾祖父のウメキチは、ほぼ百年を生きて小説の時代背景ともなり、イズミはそのことをはっきり言う。
「おじいちゃんの中にはとんでもないことがいっぱい詰まってるわ。無機質なペースメーカーの横で過去と未来を繫ぐ記憶がどっくんどっくんいってるの。そのことをあたし、絵に描くわ。」
タツゾウはまた、戦争中に女房子供を疎開させて、そのすきにツタ子というわけの分からん女の子と、「蒲団」な関係になったらしい。
こう見てくると、あっちでもこっちでも、昔も今も、いい年をした男と、女学生またはそれに準ずる女子が、いくつもの「蒲団」な関係を結んでいておかしい。
もともと『FUTON』でデヴューしたとき、田山花袋の『蒲団』を下敷きにして『FUTON』と名付けたのは、もうそれだけで勝負あった、参りましたという訳で、あんまり癪だから、わざと読まないでおいたら、中島京子は次々と新作を出すので、これはたまらんと、勤めのあるうちは敬遠せざるを得なかったのだ。
そういう意味では、半身不随となって、なんだかんだ厄介事はあるけれども、しかしごくまれにいいこともあるのだ。
さて『FUTON』だが、これはもう近代文学研究者、デイブ・マッコーリーの「蒲団の打ち直し」と称する作中小説が、まずノックアウト級に面白い。これは「蒲団」を、妻の立場から描いたものだ。
この大学教授デイブ・マッコーリーが、実際にも女子学生のエミと、いわば「蒲団」な関係になって、日本まで追いかけて来てしまう。そのデイブの周りを、エミの祖父さんのタツゾウや、曾祖父のウメキチ、画家のイズミなどがにぎやかに彩る。
この曾祖父のウメキチは、ほぼ百年を生きて小説の時代背景ともなり、イズミはそのことをはっきり言う。
「おじいちゃんの中にはとんでもないことがいっぱい詰まってるわ。無機質なペースメーカーの横で過去と未来を繫ぐ記憶がどっくんどっくんいってるの。そのことをあたし、絵に描くわ。」
タツゾウはまた、戦争中に女房子供を疎開させて、そのすきにツタ子というわけの分からん女の子と、「蒲団」な関係になったらしい。
こう見てくると、あっちでもこっちでも、昔も今も、いい年をした男と、女学生またはそれに準ずる女子が、いくつもの「蒲団」な関係を結んでいておかしい。
今度はコメディ――『アンタッチャブル』
「俺や。おまえ、馳星周の『アンタッチャブル』、読んだか?」
Nやんが大阪から電話してきた。
「いいや、読んでない。いつ出たんや。」
「去年の5月20日が初版や。おまえ、ひょっとして6月まで病院やったんやなあ。」
「うん、ぜんぜん知らん。」
「俺の持ってるのは2刷りで、6月25日に出てる。」
「重版出来!、快調や。」
「うーん、ところがそうでもない。」
Nやんのそこからの話は長かった。
「これは宮澤と椿という、二人の公安が活躍する話やけど、いつもの馳星周とはまるでちがうんや。筋立ては、二人の公安警官が、北朝鮮のテロを阻止するいう話なんやけど、これがいつもの馳星周とは、文体も、作品の骨格もまるで違うてて、なんというかコメディなんよ。」
「ええっ!?」
「せやから、コメディなんやわ。
馳星周のいつものやつは、なり上がりとうて焦ってるやつが、ちょっとずつミスを重ねて最後に破滅するという話や。そのチンピラが破滅に至る道すじが、スピード感を増してゆく文体で活写されとるわけよ。
ところがこの文体が、最後まで行っても全然変化せえへん。なんせコメディやからな。
主人公の宮澤は、いつもの成り上がりたいくちやけど、上司の椿はキャリア組で、しかも変人。いうたら奥田英朗の『空中ブランコ』や『イン・ザ・プール』の「ドクター伊良部」やね。」
「『町長選挙』の「伊良部」か。なんや馳星周らしないなあ。」
「椿は、まあムチャクチャ食べるし飲むし、体格もガッチリしてるんやけど、ちょっとトボケた味があって、あの「伊良部」の「精神科へいらっしゃーい」とよう似てるんや。
筋はひたすらテロを追って、起爆剤を持ってるかもしれん女や男を追いかける話や。まあいうたら、逢坂剛の『墓標なき街』みたいなもんや。知ってるやろ、「百舌シリーズ」の最新作や。」
「ああ、知ってる。そうすると文体は奥田英朗で、内容は逢坂剛か」
「うん、そうや。
しかし俺が聞きたいのは、内容はいろいろ書けるにしても、文体まで変えられるもんか、ちゅうことや。とくに馳星周のは、クライマックスの文体が個人の生理そのものやと思わせたからなあ。」
「作家が文体を使い分けるについては、ようわからんなあ。
せやけど、そもそも『アンタッチャブル』ちゅうのは面白いんかい。」
「さあ、そこや。文章は奥田英朗に似ておもろい、内容は後をつける逢坂剛に似ておもろい。そういうことや。これ、皮肉やないで。
あ、もうケータイの充電、切れかけとる。『アンタッチャブル』はすぐに送ったるわ。ほんなら、またなあ。」
そんな次々に送っていらんわ、と返したときにはもう切れていた。
(『アンタッチャブル』馳星周、毎日新聞出版、2015年5月20日初刷、6月25日第2刷)
Nやんが大阪から電話してきた。
「いいや、読んでない。いつ出たんや。」
「去年の5月20日が初版や。おまえ、ひょっとして6月まで病院やったんやなあ。」
「うん、ぜんぜん知らん。」
「俺の持ってるのは2刷りで、6月25日に出てる。」
「重版出来!、快調や。」
「うーん、ところがそうでもない。」
Nやんのそこからの話は長かった。
「これは宮澤と椿という、二人の公安が活躍する話やけど、いつもの馳星周とはまるでちがうんや。筋立ては、二人の公安警官が、北朝鮮のテロを阻止するいう話なんやけど、これがいつもの馳星周とは、文体も、作品の骨格もまるで違うてて、なんというかコメディなんよ。」
「ええっ!?」
「せやから、コメディなんやわ。
馳星周のいつものやつは、なり上がりとうて焦ってるやつが、ちょっとずつミスを重ねて最後に破滅するという話や。そのチンピラが破滅に至る道すじが、スピード感を増してゆく文体で活写されとるわけよ。
ところがこの文体が、最後まで行っても全然変化せえへん。なんせコメディやからな。
主人公の宮澤は、いつもの成り上がりたいくちやけど、上司の椿はキャリア組で、しかも変人。いうたら奥田英朗の『空中ブランコ』や『イン・ザ・プール』の「ドクター伊良部」やね。」
「『町長選挙』の「伊良部」か。なんや馳星周らしないなあ。」
「椿は、まあムチャクチャ食べるし飲むし、体格もガッチリしてるんやけど、ちょっとトボケた味があって、あの「伊良部」の「精神科へいらっしゃーい」とよう似てるんや。
筋はひたすらテロを追って、起爆剤を持ってるかもしれん女や男を追いかける話や。まあいうたら、逢坂剛の『墓標なき街』みたいなもんや。知ってるやろ、「百舌シリーズ」の最新作や。」
「ああ、知ってる。そうすると文体は奥田英朗で、内容は逢坂剛か」
「うん、そうや。
しかし俺が聞きたいのは、内容はいろいろ書けるにしても、文体まで変えられるもんか、ちゅうことや。とくに馳星周のは、クライマックスの文体が個人の生理そのものやと思わせたからなあ。」
「作家が文体を使い分けるについては、ようわからんなあ。
せやけど、そもそも『アンタッチャブル』ちゅうのは面白いんかい。」
「さあ、そこや。文章は奥田英朗に似ておもろい、内容は後をつける逢坂剛に似ておもろい。そういうことや。これ、皮肉やないで。
あ、もうケータイの充電、切れかけとる。『アンタッチャブル』はすぐに送ったるわ。ほんなら、またなあ。」
そんな次々に送っていらんわ、と返したときにはもう切れていた。
(『アンタッチャブル』馳星周、毎日新聞出版、2015年5月20日初刷、6月25日第2刷)
戦争のこんな叙述の仕方が――『これが「帝国日本」の戦争だ』
この本は、第二次大戦を日本の側から描いて、非情に優れている。
日本が侵略する側に立ったことも、攻撃される側に立ったことも、どちらも良く描けている。
もちろん視点は、庶民の目である。
見開きごとに1つのトピックを立て、右ページに文章、左ページに写真を配する。
その本文の叙述の仕方と、写真とが合っているのだ。たとえば
「『私は恥ずかしながら慰安婦案の創設者』と岡村寧次陸軍大将。上海派遣軍の参謀副長時代に、当地の海軍にならって長崎県知事に要請して『慰安婦団』を招いたと述べている。
・・・・・・陸軍省課長会議(昭和十七年九月)では恩賞課長が『北支100ヶ所、中支140ヶ所、南支40ヶ所、南方100ヶ所、南海10ヶ所、樺太10ヶ所の計400ヶ所をつくった』と報告」
という本文に対して、左ページに「朝鮮人女性の慰安婦」「米軍に保護された慰安婦」の写真が載るといった具合。文章と図版による、こういう戦争の叙述の仕方を、僕は知らない。
ただ装幀がよくない。本文紙も、ざら紙のようでよくない。これでは、最初から興味を持つ人以外は、興味を示さない。私たちの日常が、そのまま戦争に繫がっていることを示すには、まったく別の装丁でないと。
言っちゃあ悪いが、これはそんなに売れたものではあるまい。もう一度、中身を少し作り変え、本文紙を上質に変え、装幀もがらりと変えれば、売れる目はあるのではないか。
(『これが「帝国日本」の戦争だ』和賀正樹、現代書館、2015年11月30日初刷)
日本が侵略する側に立ったことも、攻撃される側に立ったことも、どちらも良く描けている。
もちろん視点は、庶民の目である。
見開きごとに1つのトピックを立て、右ページに文章、左ページに写真を配する。
その本文の叙述の仕方と、写真とが合っているのだ。たとえば
「『私は恥ずかしながら慰安婦案の創設者』と岡村寧次陸軍大将。上海派遣軍の参謀副長時代に、当地の海軍にならって長崎県知事に要請して『慰安婦団』を招いたと述べている。
・・・・・・陸軍省課長会議(昭和十七年九月)では恩賞課長が『北支100ヶ所、中支140ヶ所、南支40ヶ所、南方100ヶ所、南海10ヶ所、樺太10ヶ所の計400ヶ所をつくった』と報告」
という本文に対して、左ページに「朝鮮人女性の慰安婦」「米軍に保護された慰安婦」の写真が載るといった具合。文章と図版による、こういう戦争の叙述の仕方を、僕は知らない。
ただ装幀がよくない。本文紙も、ざら紙のようでよくない。これでは、最初から興味を持つ人以外は、興味を示さない。私たちの日常が、そのまま戦争に繫がっていることを示すには、まったく別の装丁でないと。
言っちゃあ悪いが、これはそんなに売れたものではあるまい。もう一度、中身を少し作り変え、本文紙を上質に変え、装幀もがらりと変えれば、売れる目はあるのではないか。
(『これが「帝国日本」の戦争だ』和賀正樹、現代書館、2015年11月30日初刷)
養老孟司先生のこと――『カミとヒトの解剖学』(3)
『カミとヒトの解剖学』は「季刊仏教」という雑誌の、1988年4月号から1991年10月号に掲載された分と、ほかに「新潮45」に掲載のものなどを組み合わせて作った。
「季刊仏教」はF編集長と僕の二人でやっていたが、僕は仏教がどうしても合わなくて、養老さんとあと数人、仏教に直接かかわりのない著者を相手に、かろうじて息をついていた。
初めに述べたように『カミとヒトの解剖学』は、全体の配列と、章見出しと小見出しに神経を使えば、後は養老さんにお任せしておけば出来上がるというものだった。しかし、それだけに図版は工夫を凝らした。
ヴァルヴェルデの「人体の解剖」(1560年)や「九相詩絵巻」、また南小柿寧一「解剖存真図」は、養老さんの本ではおなじみであろう。しかし「暁斎漫画」や「へび女」(楳図かずお)、「妖怪たちの物語」(水木しげる)、「絵心経」(お経を絵解きしたもの)、中国語版『ドラゴンボール』、「失われた第三の目」(図版作成・布施英利)とくればどうか。
どんな著者も専門の領域において最も優れている。それは当たり前だ。なかでも養老さんとくれば、東大の研究室におじゃまをして、話を伺っているだけで、あっという間に三、四時間が過ぎ去る。そのくらい話が面白い。
しかしその面白い話に、こっちが全面的におんぶにだっこというのは、ちょっと情けない。たとえば次のような一段は、どこまでも話が広がったはずだったのに。
「江戸時代に解剖賛成論はなく、ただ多くの解剖が、事実として『具体的に』存在したのみである。この状況もまた、わが国ではごく普通に存在するパタンである。既成事実が先行し、理論は後からついてくる。ついてくれば結構だが、時にはまったく無論理となる。既成事実のもっとも古いものと言えば、すなわち天皇制であろうが、結局はすべて天皇制がモデルなのであろうか。『言挙げせず』、『勝てば官軍』なのである。」
養老さんには、この後も連載を続けていただいた。ちなみに後半の分は、『日本人の身体観の歴史』としてまとめさせていただいた。
このころは養老さんと池田晶子さんの連載で、原稿取りの仕事が本当に充実していた。
(『カミとヒトの解剖学』法蔵館、1992年4月10日初刷)
「季刊仏教」はF編集長と僕の二人でやっていたが、僕は仏教がどうしても合わなくて、養老さんとあと数人、仏教に直接かかわりのない著者を相手に、かろうじて息をついていた。
初めに述べたように『カミとヒトの解剖学』は、全体の配列と、章見出しと小見出しに神経を使えば、後は養老さんにお任せしておけば出来上がるというものだった。しかし、それだけに図版は工夫を凝らした。
ヴァルヴェルデの「人体の解剖」(1560年)や「九相詩絵巻」、また南小柿寧一「解剖存真図」は、養老さんの本ではおなじみであろう。しかし「暁斎漫画」や「へび女」(楳図かずお)、「妖怪たちの物語」(水木しげる)、「絵心経」(お経を絵解きしたもの)、中国語版『ドラゴンボール』、「失われた第三の目」(図版作成・布施英利)とくればどうか。
どんな著者も専門の領域において最も優れている。それは当たり前だ。なかでも養老さんとくれば、東大の研究室におじゃまをして、話を伺っているだけで、あっという間に三、四時間が過ぎ去る。そのくらい話が面白い。
しかしその面白い話に、こっちが全面的におんぶにだっこというのは、ちょっと情けない。たとえば次のような一段は、どこまでも話が広がったはずだったのに。
「江戸時代に解剖賛成論はなく、ただ多くの解剖が、事実として『具体的に』存在したのみである。この状況もまた、わが国ではごく普通に存在するパタンである。既成事実が先行し、理論は後からついてくる。ついてくれば結構だが、時にはまったく無論理となる。既成事実のもっとも古いものと言えば、すなわち天皇制であろうが、結局はすべて天皇制がモデルなのであろうか。『言挙げせず』、『勝てば官軍』なのである。」
養老さんには、この後も連載を続けていただいた。ちなみに後半の分は、『日本人の身体観の歴史』としてまとめさせていただいた。
このころは養老さんと池田晶子さんの連載で、原稿取りの仕事が本当に充実していた。
(『カミとヒトの解剖学』法蔵館、1992年4月10日初刷)
養老孟司先生のこと――『カミとヒトの解剖学』(2)
読んでいて思わず唸るのは、例えばこんなところ。
「誰かが恋をしている。理想の恋人を見つけたつもりになっている。周囲の人間は笑っているが、本人は全然笑うつもりなどない。本人が笑うなら、幸福だから本気で笑っているのである。繰り返すが、人間というのはそういうものである。恋ならそれぞれ覚えがあるから、一同が笑う。しかし、どこかに本当の笑えぬ恋があるかもしれない。」
そうして結びの一文がくる。
「宗教体験も同じである。」
「『鰯の頭』と合理性」の章では、自分の受けてきたカトリック教育について、こんなことを言う。
「教育されているときには、文句ばかり言っていた。しかし、いまになるとそれが役に立っていることがわかる。人とはなにか、生きるとはなにかを、考えるに値すると考えてしまうのである。
なにを教えようが、なにを学ぶかは、生徒次第だという逃げ道はあろう。それでも、教育として何かが『あった』と『なかった』は雲泥の差である。」
宗教教育をいう人は、まずこの点をしっかり踏まえてほしい。
「内容はともかく、そこには、ある形式があった。錯綜した人生の中で、形式を用意してあるということは、大切なことではないか。」
その形式が用意されていることに、気づかない人が多すぎるのである。
このころの養老先生はまだ東大におられて、それが、いってみれば抑圧のバネとして働き、緊張を十分に湛えた文体となって表れていた(だからと言って、東大を辞められてからはダメと言うことでは全然ない。円熟の筆は筆でもちろん素晴らしい)。
東大におられたときの緊張を湛えた文章、それは、たとえば「空間の旅・時間の旅」の最後のところに現われる。
「時間と空間の意義は、まだ十分に理解されていない。しかし、それが脳が外界を理解する形式だとする、カント的な立場は、間違っていないであろう。ただ、それが脳にあるなら、ア・プリオリではなく、末梢から具体的に理解され、構築されなくてはならないはずなのである。」
そうして最後を受けて、
「日本の古典を、『文化』からではなく、『普遍』の立場から読む。そうした読み方は、きわめて不十分だという気がする。わが国の古典が世界性を持たないのは、それをそう『読まない』からではないのか。『方丈記』にこだわったのは、いまの読み方だけでいいか、という疑問があるからである。これも今後の課題であろう。」
「誰かが恋をしている。理想の恋人を見つけたつもりになっている。周囲の人間は笑っているが、本人は全然笑うつもりなどない。本人が笑うなら、幸福だから本気で笑っているのである。繰り返すが、人間というのはそういうものである。恋ならそれぞれ覚えがあるから、一同が笑う。しかし、どこかに本当の笑えぬ恋があるかもしれない。」
そうして結びの一文がくる。
「宗教体験も同じである。」
「『鰯の頭』と合理性」の章では、自分の受けてきたカトリック教育について、こんなことを言う。
「教育されているときには、文句ばかり言っていた。しかし、いまになるとそれが役に立っていることがわかる。人とはなにか、生きるとはなにかを、考えるに値すると考えてしまうのである。
なにを教えようが、なにを学ぶかは、生徒次第だという逃げ道はあろう。それでも、教育として何かが『あった』と『なかった』は雲泥の差である。」
宗教教育をいう人は、まずこの点をしっかり踏まえてほしい。
「内容はともかく、そこには、ある形式があった。錯綜した人生の中で、形式を用意してあるということは、大切なことではないか。」
その形式が用意されていることに、気づかない人が多すぎるのである。
このころの養老先生はまだ東大におられて、それが、いってみれば抑圧のバネとして働き、緊張を十分に湛えた文体となって表れていた(だからと言って、東大を辞められてからはダメと言うことでは全然ない。円熟の筆は筆でもちろん素晴らしい)。
東大におられたときの緊張を湛えた文章、それは、たとえば「空間の旅・時間の旅」の最後のところに現われる。
「時間と空間の意義は、まだ十分に理解されていない。しかし、それが脳が外界を理解する形式だとする、カント的な立場は、間違っていないであろう。ただ、それが脳にあるなら、ア・プリオリではなく、末梢から具体的に理解され、構築されなくてはならないはずなのである。」
そうして最後を受けて、
「日本の古典を、『文化』からではなく、『普遍』の立場から読む。そうした読み方は、きわめて不十分だという気がする。わが国の古典が世界性を持たないのは、それをそう『読まない』からではないのか。『方丈記』にこだわったのは、いまの読み方だけでいいか、という疑問があるからである。これも今後の課題であろう。」
養老孟司先生のこと――『カミとヒトの解剖学』(1)
黙読用とはちがって、毎日一時間、別に朗読の練習をしているというのを、前に述べた。
これは、どれでもと言うわけにはいかない。その中で、日本語が安定しているのは養老孟司先生の本だ。そこで『カミとヒトの解剖学』を読んでみる。これは私の作った本だ。
養老先生の代表作といえば、なんといっても『唯脳論』である。これは不思議な作りの本で、1ページ16行と行間をたっぷりとった本なのに、字間はベタ(13級)ではなく、12・5級詰めになっている。ページの下段3分の1弱は、図版や註を入れるべく余白になっている。つまり、ゆったりと16行で組んでありながら、字間は詰め打ちしている。なかなか芸が細かいのである。
『カミとヒトの解剖学』の場合は、通常の43字×18行で、これは詰め打ちなど余計なことをする必要がない。それでも、四半世紀ぶりに声に出して読んでみると、いろいろなことに気づく。冒頭の「宗教体験と脳」のところ。
「昨年もパリのサクレ・クール寺院の前でそういう体験(註・宗教体験に近いもの)があって、おかげで人生が変わってしまった。それがいいのか、悪いのか、まだわからない。」
こういう原稿を受けとっといて、「人生が変わるような経験て何ですか、先生」、という一言が言えなかったなんて、本当に情けない。僕はそのころ30代後半で、年だけは食っていたけど、本当に駆け出しだったのだ。
これは、どれでもと言うわけにはいかない。その中で、日本語が安定しているのは養老孟司先生の本だ。そこで『カミとヒトの解剖学』を読んでみる。これは私の作った本だ。
養老先生の代表作といえば、なんといっても『唯脳論』である。これは不思議な作りの本で、1ページ16行と行間をたっぷりとった本なのに、字間はベタ(13級)ではなく、12・5級詰めになっている。ページの下段3分の1弱は、図版や註を入れるべく余白になっている。つまり、ゆったりと16行で組んでありながら、字間は詰め打ちしている。なかなか芸が細かいのである。
『カミとヒトの解剖学』の場合は、通常の43字×18行で、これは詰め打ちなど余計なことをする必要がない。それでも、四半世紀ぶりに声に出して読んでみると、いろいろなことに気づく。冒頭の「宗教体験と脳」のところ。
「昨年もパリのサクレ・クール寺院の前でそういう体験(註・宗教体験に近いもの)があって、おかげで人生が変わってしまった。それがいいのか、悪いのか、まだわからない。」
こういう原稿を受けとっといて、「人生が変わるような経験て何ですか、先生」、という一言が言えなかったなんて、本当に情けない。僕はそのころ30代後半で、年だけは食っていたけど、本当に駆け出しだったのだ。