さて、感動できるか?――『日本経済の死角―収奪的システムを解き明かす―』(河野龍太郎)(1)

私の苦手な経済学の本である。苦手であるにも関わらす、なぜ読むかと問われたら、経済学が何を目的としているかが分からないから、と答えるしかない。
 
効率よく金が儲かる方法か。

みんなが飢え死にせず、できれば豊かになるような、最大多数の最大幸福が目的か。

あるいはまた、文化の華を咲かせるために、下部構造である経済を強固にしておくためか。
 
そんな大前提の質問は置いといて、まず帯の文句、「経済書で感動したのは/はじめてです!」とある。こりゃあ、期待できるぞ、と思ったら、続けて限りなく小さい字で、「――担当編集者」とある。
 
あまりのバカバカしさに笑ってしまったが、中には怒る人もいるだろうねえ。まあそれでも、経済学は勉強のための本で、面白い本ではない、という意見の一致は見た。
 
読んでいくと、ごちゃごちゃ書いてあるが、そして後半は、考えさせるところもあるが、全体のトーンは「はじめに」に尽きている。

「儲かっても溜め込んで、実質賃金の引き上げも、人的資本投資にも慎重な大企業が長期停滞の元凶である〔中略〕。
 実質賃金を引き上げないから、個人消費が停滞し、その結果、国内売り上げが増えないために採算が取れず、企業は国内投資を増やさないのです。」
 
大枠はそういうことである。
 
具体的に起こっているのは、次のようなことだ。

「長期雇用制の枠内にある人は、賃金カーブに沿って、毎年の昇格、昇級で、それなりに実質賃金が上がります。しかし、枠外にいる人たちは、そうした恩恵を全く得られていません。四半世紀にわたって実質賃金が全く上がっていないのは、近代以降、先進国では前例がありません。」
 
アルバイトも含めて非正規雇用者が、景気不景気の調節弁として使われてきたから、一切の賃上げが行われなかったのだ。
 
でもそういうことは、それこそ凡百の経済書に書かれていることだ。
 
著者はそこから一歩踏み込む。

「効果の定かではない成長戦略に注力するよりも、所得再分配やセーフティネットのアップグレードなど、社会包摂を最優先すべきだと長く考えてきたのです。」
 
著者はここで、資本主義には「包摂的システム」と「収奪的システム」の2通りがあり、「収奪的システム」では早晩行き詰まって、その社会や国は亡んでしまうという。
 
著者の言うことは非常によく分かる。ただ誰よりも経営者、資本家に言って聞かせるのに、これで何とかなるだろうか。
 
なんとなく子供の学級会で、廊下は静かに歩きましょう、そうでないと、かえって事故が起こり停滞してしまうから、というのと、同じようなことになりはしないか。
 
著者はここで、非正規雇用者の賃金を上げよう、経営者は人を雇うのに「包摂的システム」でいかなければいけない、というが、それはよほどものの分かった経営者であって、個別具体になったときは、そうはいかない。

『日本経済の死角』と構えは物々しいしいが、上っ面をめくってみれば、「廊下は静かに歩きましょう」運動と、大差ないのではないか。

あの旋律が聞こえてくる――『第三の男』(グレアム・グリーン、訳・小津次郎)

外岡秀俊の『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』を読んだとき、グレアム・グリーンの『情事の終り』を読んでなくて、イギリスとアメリカの対イラクの戦い方の違いを、どうとればいいのか分からなかった。
 
だいたい結びの一段に、『情事の終り』をどうして持ってくるのか、それがよくわからない。
 
僕は、グレアム・グリーンはただ一作、『ヒューマン・ファクター』を20代のころに読んだだけ。筑摩書房の先輩社員が教えてくれたのだ。
 
傑作だった、思わず2度読み直すほどだった。

でもその頃、僕は倒産会社の末端社員で、先輩たちと一緒に、失敗できない企画に関わっており、精神的な余裕がなかった。

給料も雀の涙ほども出なくて、グレアム・グリーンを続けて読むようなゆとりはなかった。
 
アマゾンで『情事の終り』を見ると、その前に国際的に声価を高めた『事件の核心』がある。さらに見てゆくと『第三の男』があって、これはグレアム・グリーンがシナリオを描くために、その前段階として小説にしたものだという。
 
これはまず、『第三の男』から読むべきではないか。だって、ほら、もうすでにアントン・カラスのツィタ―で、「ハリー・ライムのテーマ」が聞こえてくるではないか。
 
グレアム・グリーンは、プロデューサーにシナリオを描いてくれと頼まれたとき、まず小説のかたちにしなければ、次の段階には行けなかった。
 
この小説には「序文」が付いている。そこで『第三の男』を、どういうふうに組み立てたかを、克明に述べている。

「シナリオの無味乾燥な省略的表現で、最初に捕えるということは、私にはほとんど不可能のように思われる。〔中略〕シナリオ形式で最初の創造はできない。」
 
だからこれは、作品を完成させるための一過程なのだ。

「事実、この映画は物語よりもよくなっている。それは、この場合、映画は物語の決定版であるからだ。」
 
その小説版から、印象的な場面を2カ所、引いておこう。
 
深夜、「二十ヤード離れて、マーティンズは立ったままで、暗い側道の黙然として動かない人影を凝視した。〔中略〕
 彼は鋭く叫んだ、『何の用だ?』だが、返事はなかった。そこでまた、酒の勢いも手伝って、もう一度どなった、『返事をしろ、できんのか?』すると、返事があった。〔中略〕灯りが狭い道を横切って、サーッとさした。そうして、ハリー・ライムの顔を照らし出した。」
 
オーソン・ウェルズは、この顔が、たぶんもっともよく知られているだろう。そして明るみに出た瞬間、アントン・カラスのツィタ―が鳴り渡る。
 
ここはもう、キャロル・リード監督の映画版しか、思い浮かべることができない。
 
2つ目は最後の場面。小説ではこうだ。
 
ハリー・ライムはロロ・マーティンズに撃たれて死に、その葬儀の場面である。小説では、マーティンズと、ハリーの元の彼女とのロマンスが始まりそうだ。

「追いつくと、二人は肩を並べて歩きだした。〔中略〕彼女の手は彼の腕に通された――物語はふつうこんなふうにして始まるのだ。」
 
映画はまったく違う。木立ちの一本道でジョゼフ・コットンが、アリダ・ヴァリを待っている、しかしアリダ・ヴァリは一顧だにせず通り過ぎてゆく――という名シーンは誰もが知っている。
 
グレアム・グリーンはこの最終場面で、キャロル・リードに全面的に降参している。2人は、一体どういう話し合いをしたのだろうか。

(『第三の男』グレアム・グリーン、訳・小津次郎、
 ハヤカワ文庫、2001年5月31日初刷)

優雅な書簡集――『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』(外岡秀俊)(7)

外岡秀俊は「あとがき」で、手紙を書くことの意味を、改めて問い直している。

「手紙は何日も経ってから、お手元に届きます。手紙を書くとは、その時間の空白をあらかじめ文章に織り込み、未来に向かって変化する読み手の心に向けて矢を放つ行為なのだと思うのです。」
 
なるほど。ふつうは今現在、思うところを述べるものだろうが、そうではない手紙もあると述べている。これも一つの卓見である。

だからこれらの手紙には、日付がないのかとも思うが、読んでいて、やはり不便を感じざるを得ない(あるいは著者校の段階で手を入れたから、確定した日付は提示できなかったのかもしれない)。

さらにその書簡を本にして出す場合、もうひと工夫加えたいと考える。

「手紙を書くにあたっては、時局に関する今の情報が将来も何らかの意味をもつように、欧州の歴史や文学などの濾過器にかけることを思いつきました。歴史のフィルターを通すことで時局情報から不純物を取り除き、ひとつの時代のかたちを定着させようとする試みでした。」
 
うーん、これは意見が分かれるだろう。「歴史のフィルターを通すことで時局情報から不純物を取り除き」とあるが、その「歴史のフィルター」の意味が明確でなければ、かえって時局の解説は難しいものになってしまう。
 
外岡はこの試みを、また別に言い換える。

「あるいは、情報という繊維を解きほぐし、歴史や文学という『ねり』を通して水中で互いに絡みあわせ、手漉きで現代の和紙を作り出す作業のようなものだといえるでしょうか。毎回の手紙に、文学作品の表題をお借りしたのも、そのためでした。」
 
文学作品の表題が、どんな意味で挙げられているのか、そのことを徹底的に、著者と編集者の間で詰め切らなければ、そしてそれを読者に伝えなければ、「『ねり』を通して水中で互いに絡みあわせ」たものは、奇妙なものになってしまうだろう。
 
こういう本は、中身に立ち入ってみれば、書評するのは大変難しい。読者の側の教養が、試されているからだ。
 
私には半分面白くて、あとの半分は眉をしかめつつ読んだ。そして面白かったところは、唸るほど見事だった。
 
それでもあと半分の、眉をしかめつつ読んだところが問題である。新潮社の齋藤十一なら、そんなところで眉をしかめさせるとはけしからん、そこを嚙み砕くものとして、編集者がいるのではないか、というだろう。
 
出版社は大きく分けると、岩波書店型と新潮社型の2つのタイプがある。前者はみすず書房や筑摩書房もそうで、多少むつかしいところがあったとしても、原則として著者の原稿通り。たいして後者は講談社や集英社などで、分かりにくいところは編集者が徹底的に直す。
 
私は2つの型の中間点あたりが、よいと思うのだが、編集者の個性もあるし、言うは易く行なうは難し、ですね。
 
ところで、とりあえずこの本が残した宿題として、グレアム・グリーン『情事の終り』、ジエイン・オースティンの『高慢と偏見』、ウィリアム・スタイロンの『ソフィーの選択』は読むことにする。

(『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』
 外岡秀俊、みすず書房、2005年8月18日初刷)

優雅な書簡集――『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』(外岡秀俊)(6)

第37章「夜と霧」は、いまヨーロッパでは、「反ユダヤ主義」が忍び寄っていることと、ネオナチの勃興がテーマである。

「二月十三日のドレスデン〔ドイツの都市〕爆撃六十周年では、米英軍の空爆で市民三万五千人が殺された町に、戦後最多といわれる五千人以上のネオナチが終結し、ワーグナーの曲に合わせて行進しました。」
 
ドイツもひどいことになっているが、日本もこのところ急速に、世の中の組み立てがぐずぐずに液状化しており、今度の参院選などは、あっと驚く結果になるのではないか。
 
泡沫政党もいくつかが束になって、与党の極右政治家と呼応して押し出してくれば、今年の暮れぐらいから、旧帝国軍人を堂々と祀る政党が出てきてもおかしくはない、というのが私の見立てだが、どうであろう。
 
さすがにドイツのシュレーダー首相は、アウシュヴィッツ解放記念日の演説で、ホロコーストの教訓は現在にまで及んでおり、「戦争と虐殺を心に刻むことに特別の道義的責任がある」と説いた。
 
外岡秀俊は、この首相の言葉が心に沁みたという。

「今でも、過去の歴史は思想の戦場であり、そこでは記憶が、忘却と相対化という両翼の敵に対して熾烈な包囲戦を続けていると思うのです。」
 
戦争の記憶を、これほど格調高く謳い上げることは、誰にでもできることではない。
 
しかし、私見を述べるならば、その抵抗にもかかわらず、この記憶はいずれ風化する。どんなに強い言葉で述べても、最初から分かっている人にしか伝わらない。
 
戦争に行ったことのある父を見ている私、その私を見ている私の子供たちまでは、この記憶は保つ。つまり3世代、90年ほど。しかしその次の代になれば、風化していく。
 
だから代々の感情的な記憶を大事にしていたのでは、ホロコーストの遺産は、いずれ無に近いものになる。ではどういうふうにするか。今のところ、人間にこれを定着させる知恵はない。
 
まして今は、イスラエルがガザ地区を、無差別爆撃している時代だ。ユダヤ人が自らの命をもって告発したアウシュヴィッツは、もう風前の灯なのだ。
 
外岡はアウシュヴィッツ解放記念日の夜、ロンドンのユダヤ人博物館で生存者の話を聞くが、それはフランクルの『夜と霧』と同じだった。
 
そのあとヘレン・バンパーさんという、生存者の心のケアを続けてきた女性の話が、外岡の心に突き刺さった。

「『当時も今も、私には決して許せない人がいます。それはバイスタンダー(傍観者)です』。どきりとしました。私が名乗る傍観者は、英語ではむしろ観察者、監視者を意味する『オブザーヴァー』に近いのですが、傍観者は容易に見物人になりがちです。とりわけ歴史については、心を戒めなければ。」
 
ここまではっきりしていれば、この本のタイトルも、もう少し何とかなったろうに。この点は今でも残念である。

優雅な書簡集――『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』(外岡秀俊)(5)

第27章「ワインズバーグ・オハイオ」は、2004年の大統領選挙で、ブッシュがケリーを破ったことを、アメリカ人の「宗教」と「性」の面から分析し、最後はシャーウッド・アンダーソンの小説『ワインズバーグ・オハイオ』に連想が及ぶ。
 
この時の大統領選挙に関しては、私はこう思っていた。同時多発テロに対する対テロ戦争や、イラク戦争の「戦時」大統領であるブッシュは、反戦運動のジョン・ケリーに勝って当然、だってアメリカ人は戦争好きで、負けたことはないから、と。

私などが簡単に、そう判断するところを、外岡秀俊はあくまで対象に即して、緻密に分析していく。

「たぶん、私たちの常識では捕らえきれないような『分離』がフラクタルのように自己相似的に増殖し、これまでにない米国の顔が浮かび上がろうとしているのです。アメリカは『二つの国家』に分裂したのではなく、罅〔ひび〕割れたアメリカの断片が拡散と結合を繰り返し、これまでとまったく違う米国像を結ぼうとしていると思うのです。」
 
前段がないと分かりにくいかと思うが、その前段が微妙で要約しにくい。それでも外岡の分析のユニークな手つきは、分かってもらえるだろう。
 
そのテロと並ぶ重要な視点が、「宗教」と「性」だというのだ。
 
英紙『タイムズ』の調査によれば、教会に週に一度以上通うと答えたのは、ブッシュ支持者63%、ケリー支持者35%、英国2%だった。

妊娠中絶を常に違法としたのは、ブッシュ支持者77%、ケリー支持者22%、英国4%。同性婚に法的権利を認めないのは、ブッシュ支持者69%、ケリー支持者30%、英国29%だった。
 
そして大統領選の結果を決めたのは、最激戦区オハイオと聞き、オハイオといえば章題の小説、となる。

「第一次大戦のさなかに書かれたこの巧みな掌編集は、中西部の田舎で『ひねこびた林檎』のように生きる人々の心性を多彩に、克明に描き出したサーガです。米国が孤立主義に引き籠もった時代を象徴する作品といっていいでしょう。」
 
そうか、1910年代のオハイオの架空の町は、アメリカのいつの時代にもある、典型的な町だったのか。
 
そういうことには及ぶべくもなく、この小説はオハイオの片田舎の町を、ささやかに点描したものに過ぎない、と私は思っていた。読後感としては、山本周五郎の『青べか物語』に、全体の色調がモノトーンのところが似ているなどと、とんちんかんな感想を抱いていた。
 
これを、「米国が孤立主義に引き籠もった時代を象徴する作品」と読むとは、まさに目から鱗だ(そういえば新潮文庫の「解説」にも、そんなことは書いてなかったぞ)。
 
そうして外岡は、最後は文学に対する変わらぬ信頼を表明する。

「『宗教化する米国』を徒〔いたずら〕に恐れるのでなく、また蔑むのでもなく、その素顔を深く理解するには、アンダーソンのような目で生身のアメリカ人を見ることが必要でしょう。文学の方法論が歴史とともに古びることは、決してないと私は確信しています。」
 
見事な結びである。ほっと息をつき、最終段落を何回か繰り返して読むほかはない。

優雅な書簡集――『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』(外岡秀俊)(4)

全体として私には、外岡秀俊の文章は、そのレトリックも含めてかなり難しい。
 
第15章「君主論」の最後の一段はこうだ。

「『権謀術数』に手を染めず、自らの身を安全な立場に置いて『非暴力』を説けば平和が来ると思い込む人は、『目的が手段を正当化』すると唱え、『非暴力』思想の戦闘性を見くびる人と同じく、若い日にマキアヴェッリとガンディーを誤読したままの人です。誤読をただすことも読書の意味かもしれない。そう痛感するこのごろです。」
 
若いときの、マキアヴェッリの『君主論』と、『ガンディー自伝』の読み方が、間違っていたことの反省に立って、こう述べるのだが、ガンディーはともかく、『君主論』の読み方は、どうにも分からないままだ。参ったなあ、というのが正直な感想である。
 
しかし見事だと感嘆する章もある。
 
第18章「美しくも呪われた人たち」は、1920年代と現代を比べる。目先のことにしか向かわない消費文化、人が大量に行き交うグローバル化、そして世界大戦がいずれ始まるのではないかという予感、その原型の出そろったのが、1920年代だったという。

『美しくも呪われた人たち』はフィッツジェラルドの長編で、ウエストエンドでは、その作品をミュージカルにしたものが盛況である。
 
これは「妻ゼルダに焦点をあて、二〇年代のジャズ・エイジの栄華と顚落の軌跡を悲恋仕立てで描いた娯楽作です。〔中略〕私も大いに楽しみました。」
 
一方、ロンドンでは、1920年代のパリで活躍した女性画家、タマラ・デ・レンピッカの回顧展を開催している。

「〔彼女は〕モスクワ生まれの白系ロシア人で、その鮮烈な色彩と大胆な構図は、戦後のモダンアートの先取りと思えるほど新鮮です。」
 
こうして「禁酒法を逃れた『パリのアメリカ人』と、「革命を逃れた『白系ロシア人』」を通して、「私の脳裏には二〇年代の欧州像が明確な輪郭をとって投影されました。」
 
そして20年代の欧州像は、必然的に現代を呼び寄せる。

「9・11後の今日の不安の原型がすべて出揃った時期が、二〇年代でした。その意味で『あなたたちはみんな失われた世代ね』とヘミングウェイに語ったガートルード・スタインの言葉は、今の私たちを指す言葉でもあるのでしょう。」
 
見事な結びで、溜め息が出てしまう。
 
第19章「ギリシア・ローマ神話」は、2004年のアテネ・オリンピックの開会式から始まる。

その開会式の華麗さを具体的に述べた後、外岡の思いはギリシャ神話と、その英雄譚に及び、ついには西洋文明全体の2本の柱に思い至る。

「こうした神話や英雄時代を潜り抜けたギリシャ人は、古典時代に初めて人間の『知』に目覚めたことになります。それは、人間が等身大の肉体と精神を発見し、万物の尺度とした瞬間です。これは、人間が禁断の木の実を食べてエデンの楽園から追放されたキリスト教の『原罪』体験とは、いかに違った世界観でしょう。私は今でも、西欧の世界観に、知に対する懐疑と希望の矛盾した見方が共存しているように思います」。
 
前者がキリスト教、後者がギリシャに由来するというのは、図式的な見方だろうか、と外岡は言うが、これは自信があって述べている。文章の運びも実に見事で、またまた唸らざるを得なかった。

優雅な書簡集――『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』(外岡秀俊)(3)

第13章「オンリー・イエスタデイ」は、1929年の世界恐慌に至る10年間の、アメリカ社会を活写したF.L.アレンの傑作、『オンリー・イエスタデイ』から始まる。

これは、歴史家とは違ったジャーナリストの目で、「息づく生体を、裸眼や顕微鏡で観察」したものだ。
 
一方、大英帝国はこのころ世界最強だったが、1956年のスエズ戦争をきっかけに、わずか30年ほどで帝国は滅び去る。
 
なぜこんなことを思うかといえば、エマニュエル・トッドの『帝国以後』を読んで、アメリカについて考えたからだ、と外岡秀俊は言う。
 
エマニュエル・トッドは、ポール・ニザンの孫であり、ニザンといえば『アデン・アラビア』。その冒頭の一句、「二十歳が人生でいちばん美しい年齢だとは誰にも言わせない」は、あまりに有名である。
 
もっとも晶文社から出ていた『アデン・アラビア』は、もう少し切れのいい日本語になっていたが。
 
トッドはそこで、アメリカが「帝国」としてますます権勢をふるうのではなく、逆にその弱さのために、「没落の過程に入ったと予告」するのである。

「米国の貿易赤字は一九九三年までの年間約千億ドルが、二〇〇〇年には四千五百億ドルにまで膨れましたが、米国はもはや工業生産によって収支改善をできず、欧州と日本という二つの保護領からの『投資』で、かろうじて均衡を保つしかない。その威信を維持するため、常に小規模な軍事行動をとる必要がある。その典型が今回のイラク戦争というわけです。」
 
なるほど、これはいかにもイラク戦争の、納得のいく見方だ。

「つまり一九九〇年代後半に、冷戦期の『善の帝国』は著しく変質し、ただ消費することによってしか世界経済を牽引できない奇妙な帝国になった。〔中略〕
 消費のみで世界経済を引っ張り、貧富の格差を果てしなく拡大し続ける米国の歪つな姿を、『王様は裸だ』と切り捨てる批判精神に頷くことが多くありました。」
 
これは昨今のアメリカを見れば、トランプ大統領の2期目になってから、ますます拍車がかかっている。

「最強の帝国があっけなく崩壊に向かう速度の凄まじさを忘れず、想像力を研ぎ澄まして現実を見る著者の覚悟に、深い共感を覚えずにはいられません。」
 
しかし問題は、トランプ政権がむしろ意識的に、アメリカが「帝国」であることを、やめようとしていることだ。
 
2021年に亡くなった外岡には、アメリカが意識的に「帝国」の地位から退こうとは、考えてもみなかったと思う。
 
なおよけいなことだが、『オンリー・イエスタデイ』(藤久ミネ訳、筑摩書房)の編集作業は、私が途中までやり、あとを尾方邦雄さんがやった。あのころは2人とも筑摩書房にいたのだ。

私は筑摩を辞めようと思いながら、次に何をしていいかわからず、生活は荒れていた。途中からは会社にもいかなくなった。
 
私の放り出した『オンリー・イエスタデイ』の後を引き継いでくれたのが、尾方さんだった。これは何度感謝しても足りない。それも、もう40年ほど前のことだ。
 
その後、私は会社を辞め、尾方さんもみすず書房に移った。今はみすずを定年で辞め、 ベルリブロという出版社を興して、石川美子『山と言葉のあいだ』、川本三郎『遠い声/浜辺のパラソル』などを出している。
 
この度のやり取りで、川本三郎の本を送っていただいた。40年後にこういうことがあると、たいへん嬉しいものだ。

優雅な書簡集――『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』(外岡秀俊)(2)

あとは順番に読めばいいのだが、どの章も簡単に要約するのは難しい。
 
例えば第2章「情事の終り」。

これは米国のブッシュ政権が、力によるイラク戦争を目指すのに対し、英国のブレア首相は、あくまでも多国籍軍を組織し、外交の力で押していこうとする。
 
結果は、外交の力ではなく、米国の武力が、戦争の開始を告げた。

「二つの世界を隔てる深淵に言葉は呑まれ、戦争が始まりました。G・グリーンの『情事の終り』で、主人公が最後に『神』を発見するように、私たちは『修辞の終り』に、『神』の意志を体現する確信に満ちた人々を見るのかもしれません。」
 
この結び、「『神』の意志を体現する確信に満ちた人々」が、何を指すのかがわからない。
 
そもそも私が、『情事の終り』を読んでいないことが悪いのだが、それにしてもあまりにぶっきらぼう、愛想なしとは思わないだろうか。
 
しょうがない、『情事の終り』を読んでから、この章をもう一度読んでみよう。
 
こういう、意味を取りにくい章が、いくつが続いていく。
 
しかし例えば第9章「血の婚礼」の後半、ベンヤミンを引くところは、ただただ唸らせる。

ベンヤミンは、「より明るい時代が未来に開けるという進歩史観が挫折し、歴史に内在する法則が勝利をもたらすという共産主義のイデオロギーが破綻した時代」に、何を、どう考えるか。

「ベンヤミンはそこに、『敗者の消滅と勝者の生き残り』には還元できない過去を読みとります。つねに失敗と挫折の累積であれ、過去は正邪や適者生存の物差しでは測れない人々の営みの総体であり、私たちはそこから今のようなあり方ではない現在の可能性を、さらには今は想像もつかない未来への構想力を汲み出すことができるのかもしれません。」
 
いや、参った。日々日常の出来事を、情報というかたちで裁断している新聞記者が、ここまで深いところを考えているとは。本当に参りました。
 
この末尾の段落はこうだ。

「イラク戦争は、取り返すことのできない過去です。しかし、取り返しがきかない一点をもって既成事実を正当化するのは精神の怠慢でしょう。遠い歴史の一章となったスペイン内乱を現在の肉体に置き換え続けるガデス、厚い忘却の岩盤からロルカの最後の日々を発掘しようとする人々に、そう教えられます。」

表題に取られた『血の婚礼』は、スペインの劇作家、ガルシア・ロルカの代表的悲劇だが、スペイン内戦のとき射殺されたロルカの墓地は、いまだに不明なのである。「厚い忘却の岩盤からロルカの最後の日々を発掘しようとする人々」が教えるものがある、と著者は言う。
 
この章もしかし、一筋縄ではいかない。省略が効きすぎて、何度か読み返さないと、すんなりとは分からないのである。

優雅な書簡集――『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』(外岡秀俊)(1)

『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋)について書いていたら、元みすず書房の尾方邦雄氏から、それに関する資料をいただいた。

『外岡秀俊という……』に登場する「みすずのOさん」は、尾方邦雄さんである。手紙やメールでやり取りしたのだが、その中で私は、外岡秀俊の書くものを読んだことがない、というと、さっそく1冊送ってくれた。
 
それが『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』で、これはみすず書房の編集者、守田省吾氏に宛てて書かれた書簡集だ。
 
尾方さんは雑誌『みすず』を編集していたので、90年代から外岡秀俊とは縁があったという。『傍観者からの手紙』は守田省吾氏が編集を担当し、尾方さんが装幀を担当した。
 
みすずの本であるから、カバー裏に内容の説明が入っている。

「2003年3月,イラク戦争前夜,朝日新聞ヨーロッパ総局長としてロンドンにデスクを構えていた著者から,一通の手紙の形式で原稿が送られてきた.〔中略〕
 以来,2005年7月のロンドン同時多発テロ事件まで55通.歴史や文学作品というフィルターを通しながら,現場の取材と困難な時局の分析を記した本書は,ひとつの時代のかたちを定着させようとする試みでもある.」
 
なるほど、そういうことか。そうすると、ある時代を定着させるためには、取材しながら全体としては少し引く、自身をそういう立ち位置におかなければならない。
 
でも、そんなこと、可能なのか?
 
そこで一つの工夫としては、足場を歴史・文学作品に求め、また文体も、よくある新聞記者のノンフイクションものとは、まったく違うものにならざるを得ないだろう。
 
これはたぶん、外岡秀俊にとっては有難いことだったろう。朝日新聞で書くときには、中学生から読めるように、という縛りが掛かっていたのだから。

東大在学中に「北帰行」で、河出の「文藝賞」を受賞した外岡としては、足枷が外れたような開放感だったのではないか。
 
本文を読んでいこう。第1章は「予告された殺人の記録」、章のタイトルは一重カギだが、本文で作品を指す場合には、二重カギになっている。

これはガルシア=マルケスの小説ではなくて、それを原作とする映画を、外岡は思い浮かべている。

「町のすべての人が、主人公が終末に殺されることを知りながら、何もしない、できない。市民は、衆目の前で行われる殺人の共犯者になります。あるいは、聖なる供犠に不承不承加わり、最後には熱狂の中で陶酔を味わう無辜の民のように、歯車のように冷徹に刻まれる時の流れが、私たちを支配しているかのようです。」
 
対イラク戦争を、ロンドンにあってこのように描写しても、日本の読者には、というか私にはかなり難しい。
 
もちろんロンドンで百数十万人の、空前の反戦デモが起きたことは、当然記されている。しかしそれでもなお、こういうふうに文学作品になぞらえることは、日本人にとって分かりにくいのではないか。
 
この章の末尾に、大事なことが書いてある。

「若い頃オルテガ・イ・ガセーの『傍観者』を愛読しました。当事者にならないことを批評の基準とし、戒めともした碩学を慕って、由なし事を手紙でご報告したいと思います。」
 
なるほど、そういう意味だったのか。
 
しかしもしそうだとすると、この本のタイトルは『「傍観者」からの手紙』としなければいけないのではないか。ただ『傍観者からの手紙』としたのでは、たんなる「傍観者」だと思い、手に取られなくなる恐れがある。私が、この時まで手に取らなかったのは、そういう理由からだ。

ただただ、びっくり――『イニシャルはBB―ブリジット・バルドー自伝―』(ブリジット・バルドー、渡辺隆司・訳)(7)

ブリジット・バルドーの動物好きは、どの程度のものだったのか。15年続く、彼女と雌犬「グアパ」の物語の最初はこうだ。
 
知人が、町の子供たちにいじめられている子犬を、救ってやったと話した。

「私は打ちのめされ、憤慨した。
 これほど無害な小さな生き物を殺そうとするなどどうしてできるのだろう。私の心と胸はぎりぎりと締めつけられた。その黒斑〔くろぶち〕の白い小さな生き物を両手に抱き取り、ハシバミ色の瞳をのぞき込んだ。怯えて、訴えかけるような深く優しい目を見つめながら、私は『あなたのことが大好きよ、もう悲しいことは起こらないわ、これからずっと面倒を見てあげるわね』と語りかけた。」
 
バルドーの動物好きは、犬が好きというところから始まった。どんなときも、彼女の傍らに居てくれるからである。

「グアパは私のプリンセスになった。グアパは教えるまでもなく、部屋の中でオシッコしてはいけないことを理解し、外に出たくなると、ドアの前で吠えるのだった。グアパはまるで影のように私の後についてきた。私には、グアパと私のどちらが相手をより愛しているのか、わからなくなってしまった。こうして私の生活は変わった。もうひとりぼっちでなくなったのである。」
 
夜はグアパと一緒に、体を寄せるようにして、一つのベッドで寝た。いつも一緒だった。

「私たちは同じ食事をし、いっしょに散歩し、同じものを眺めた。あらゆるものを分けあったのである。
 私はグアパを愛した。」
 
ここで大切なのは、「ひとりぼっちでなくなった」ということである。映画の撮影の間も一緒にいて、夜も体を寄せ合って眠る。男に求めて得られなかったことが、グアパの場合には、すべて得られるのである。
 
バルドーの動物愛護は、ここからずっと広がって、果ては社会運動になっていく。
 
バルドーは極端から極端に走りやすく、映画界と動物愛護のどちらも、適当にやることができなかった。

「私は、洗練の極みから、もっとも田舎臭い素朴な姿に直接移行することができた。
 パゾーシュでの週末には、ゴム長に古いコールテンのズボンをはき、髪はばさばさで、六匹の雌犬、一ダースほどの猫、飼い慣らされたウサギ一羽、二十羽ほどの鴨、ロバのコルニション、屠場から救いだしてきた半ダースほどの山羊と羊に囲まれて、泥と糞の中を歩いていた私の姿がよく見られた。」
 
もちろん、この物語は女優の、それもある時期、世界でもっとも有名だった女優の一代記である。だから男優や女優、その周辺の話は枚挙にいとまがない。
 
新人女優の頃の、ジャン・ギャバンのさりげない気づかい、熊のようなリノ・ヴァンチュラの、女優とキスもしない傷つきやすい心、西部劇でクラウディア・カルディナーレと、1週間取っ組み合いの喧嘩をし、終生の友となった話など、挙げればきりがない。
 
しかしブリジット・バルドーは、結局、女優にはなりたくなかったのだ。そこがこの人の、根本的な人生の形である。

最後に、この本の執筆期間について書いておく。

本の半分くらいのところで、47歳になったとある。バルドーは1934年生まれだから、47歳は1981年ころである。この本の末尾の日付は、1995年12月7日だから、本の半ばから数えても、15年たっている。
 
すると全体を書き終えるまでには、どう見たって四半世紀はかかっている。この文体の緊張感を、これだけ持続させるとは、やはりただ者ではない。
 
そういえば、女優を辞めてからは読書にも励み、リルケ、ロレンス・ダレル、スコット・フイッツジェラルドなどを、発見したと書いている。
 
この本は、作り方を間違えている。「セクシーでコケティッシュな、世界で最も有名な女優は、女優になりたくなかった!」、外側をこうしなければ、中身と齟齬がある。こうすればきっと、はるかに売れただろう。

(『イニシャルはBB―ブリジット・バルドー自伝―』
 ブリジット・バルドー、渡辺隆司・訳、早川書房、1997年11月30日初刷)