意外や面白い――『女子プロレスラー小畑千代―闘う女の戦後史―』(2)

小畑千代が、プロレスに感じた魅力は、二つある。

「自分の体で答えが出る。女でしょう、私たちの時代には白い目で見られがちな格闘技をあえてやって、痛い思いまでしてやるんだから、一番になるまでやろう、と思ったの。女だからやりたいの。結婚して普通の主婦になるのは嫌だった。自分で答えが出したかった。」
 
つまり、痛い思いまでして、一番になるまでやろうという、プロレスそのものの魅力と、もう一つは、たかが女という見方を変えたい、女だからこそ、プロレスという職業を全うしたい、というものだ。
 
また、小畑千代の盟友とも言うべき、佐倉輝美にも一章を割いている。佐倉は1938(昭和13)年、東京の足立区に生まれた。

「初めて道場に行った日、佐倉は水着姿で練習する少女たちを見て衝撃を受けた。まだまだ女性が肌を見せるのは珍しく、『売られちゃうんじゃないかと思った』という。」
しかしそれでも、佐倉はどうしてもプロレスがやりたくて、入門してしまう。
 
このころ、小畑と佐倉がやっていたプロレスには、はっきりした主張があった。
「彼女たちのプロレスは、オーソドックスで堅実。華やかで派手な大技を次々に、という試合展開ではないが、地味でも着実な技を決めていく。そして、序破急や起承転結、流れを大事にする。」
 
だから女子プロレスを色物として見て、下品なヤジを飛ばす客とは、真っ向からやり合った。

「『もっと股を広げろ!』そうヤジを飛ばした男性客がいた。
 試合中だった小畑は、それを聞きつけると、突如動きを止めた。
 ・・・・・・
『若い子が一生懸命、汗水たらして鼻血を出してやっているのに、何が股を開けだ。ばかやろう。お前がリングに上がってこい。私がやってやるから』
 男は縮み上がり、もう何も言わない。」

小畑千代は、こんなふうにヤジを飛ばした男には、必ず向かっていった。
 
このあと韓国、沖縄、ハワイへの、遠征の秘話があり(第5章)、また後輩、千草京子の話(第6章)がある。

とくに第5章は、新聞記者としての目配りが、よく効いており、しかも結局は、新聞記者らしい佇まいを、みごとに超え出ていく。

「韓国、沖縄、ハワイ。虐げられた者の歴史がある地はまた、米軍基地があり、一九五〇年代と六〇年代、冷戦真っ只中の東西が向き合うフロントラインでもあった。
その最前線の地で小畑たちはあくまでも自由に、のびのびと闘った。そこには国や権力の思惑も渦巻いていたが、小畑らはハワイで遊び、韓国で親善をし、沖縄で興行した。」

千草京子を取り上げた、「第6章 プロレスに青春をかけて」では、文章はますます研ぎ澄まされ、躍動感に溢れてくる。

「(危険な技の)恐ろしさをも本能的に、直観した。死の淵がごく近くに、ぱっくりと口を開けて存在していることも、吸い寄せられる理由かもしれない。思春期と死には親和性がある。だからこそ女子プロレスに熱狂したのだ。千草も、筆者も、多くの少女たちも。」
 
こうなると、ペンの勢いは、というかキーボードをたたく手は、もはや止められない。

「体操競技や新体操にフィギュアスケート、柔道に空手に歌舞伎、宝塚、新劇、それもコメディとギリシャ悲劇にシェイクスピア、サーカスとシンクロナイズドスイミング、そしてもちろんアマチュアレスリング、それらすべてが合わさったようなもの・・・・・・、それが女子プロレスなのだ。」
 
うーん、恐れ入りました。
posted by 中嶋 廣 at 18:03Comment(0)日記

意外や面白い――『女子プロレスラー小畑千代―闘う女の戦後史―』(1)

岩波の本で、こういうジャンルは珍しい。ということで、つい手に取った。
 
著者の秋山訓子は、新聞記者だということだが、奥付の著者紹介には、その紙名がない。「新聞社で政治担当の編集委員を務める」とあるので、ネットで調べてみると、朝日新聞である。朝日と書かないのは、何か意図があるのか。ネットで調べるという、よけいなひと手間がかかって煩わしい。
 
それからもう一つ、著者には、成熟した大人の女、闘う自立した女こそが美しい、という今風の「信仰」がある。

「小畑たちはいち早く成熟した大人の女こそ美しく魅力的であることを世の中に問い、熱狂的に支持されたのだった。」
 
うーん、女子プロレスが人気があって、テレビ放映されれば高視聴率を稼げたのは、そういう理由じゃないと思うよ。成熟した大人の女の魅力ではなくて、もっと猥雑なものじゃないかと思うんだけど。
 
だいたい大人の女にだって、美しい人もいれば、そうでない人もいる。それは、二十歳そこそこの小娘にしたって、同じことだ。その「美しい人」も、十人十色、千差万別である。
 
だから女子プロレスを、東映の藤純子の『緋牡丹博徒』にひっかけて、「以後四年の間に八作が作られた。『闘う自立した美しい女』が受け入れられる素地ができていたということだろう。小畑もまた仁俠映画を愛する。それをリング上でも体現していたといっていいかもしれない」と言うに及んでは、本当にげんなりした。
 
第1章で、こういう前提が述べられているのでは、とても終わりまで読むことはできない。と思いきや、そうではなかった。

「第2章 戦後復興と共に」で、具体的な取材に入っていくと、これがなかなか面白い。そして読み進むにしたがって、ぐんぐん速度が増してくる。
 
小畑千代は1936(昭和11)年生まれ、東京・墨田区の吾妻橋の出身。しかし隅田川を挟んだ、台東区・浅草っ子と呼んだほうがよい。
 
小畑がリングにデビューしたのは1955年。じつは引退試合をしていないから、まだ正式に引退はしていない。しかし最後に、リングに上がったのは1976年で、その21年の現役時代は、日本の高度成長期とぴったり重なっている。
 
しかしそもそも、プロレスの何が、小畑千代をそれほど魅了したのだろう。
posted by 中嶋 廣 at 18:24Comment(0)日記

歴史というよりは冒険活劇――『昭和解体―国鉄分割・民営化30年目の真実―』

著者の牧久は昭和16年生まれ、元日本経済新聞社会部に所属、サイゴン・シンガポール特派員なども経験している。
 
最初に言っておくと、この本は、僕には、まったく面白くなかった。最初から、読みかけるのだが、すぐに眠くなる。いかん、いかん、と顔を洗って出直すが、また眠くなる。
 
しょうがないので、初めのところから、朗読に切り替えた。高次脳機能障害のリハビリ用である。四六判で500ページ余、これだけを朗読する忍耐力が身につけば、脳機能障害も、六、七割は戻ったと言えるのではないか。

という冗談はさておき、とにかく『昭和解体』はいくらなんでも、ハッタリが過ぎる。「昭和解体」ではなくて「国鉄解体」、もっといえば「組合解体」、さらに言えば「国労解体」であろう。

国鉄の分社化と民営化は、そもそも25兆円を超える借金を、清算することにあった。そして人員を整理して、経営改善をすることが目的だった。しかしそれは、オモテ向きにすぎない。

「そのウラでは、戦後GHQの民主化政策のもとで生まれた労働組合、中でも最大の『国鉄労働組合』(国労)と、同労組が中核をなす全国組織『日本労働組合総評議会』(総評)、そしてその総評を支持母体とする左派政党・社会党の解体を企図した、戦後最大級の政治経済事件でもあった。」
 
終始こういう文体で綴られるから、隔靴搔痒、もうひとつ芯に迫ってゆかない。まあ、日経新聞の文体で、全篇書き下ろされている、といったらいいですかね。
 
そもそも国労は、「親方日の丸意識」でどうにもならない、ということが前提である。
「これを打破し鉄道再生を図ろうと、井出正敬、松田昌士、葛西敬之の、『三人組』と呼ばれる若手キャリアを中心にした改革派が立ち上がり、『国鉄解体』に向けて走り出す。その奔流は、国鉄問題を政策の目玉に据えた『時の政権』中曽根康弘内閣と、『財界総理』土光敏夫率いる第二臨調の行財政改革という太い地下水脈と合流し、日本の戦後政治・経済体制を一変させる大河となった。」
 
時の権力と財界をバックに、「三人組」が立ち上がり、さしもの「国労」帝国も崩れ去った。そういう「活劇」では、本当の歴史には迫れないんじゃないか。

どうしてこういう本に手が伸びたかというと、僕はトランスビューにいるころ、菊地史彦さんの『「幸せ」の戦後史』と『「若者」の時代』という二冊を作った(正確には脳出血の発作で、『「若者」の時代』は装幀の入稿を人に任せたが、しかし『「幸せ」の戦後史』の続編というか、対になるもので、装幀の菊地信義氏は、よく分かっていたと思う)。

この『「幸せ」の戦後史』と『「若者」の時代』は、じつはもう一冊を加えて、三部作で完成させる予定なのだ。
 
それで「昭和」と名のつく本は、必然的に手が伸びる。『昭和解体』なんて、もっとも手が伸びやすいタイトルだ。だから読み終えて、ちょっとほっとしたというか、あまりにスカタンというか・・・・・・。
 
とにかくいまは、菊地史彦さんの原稿を、緊張して、じっと待っている。

(『昭和解体―国鉄分割・民営化30年目の真実―』
 牧久、講談社、2017年3月15日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 12:50Comment(0)日記

出版の裏表を全部語る――『風から水へ―ある小出版社の三十五年―』(4)

はじめ「書肆風の薔薇」と名乗り、途中で「水声社」と名前を変えた、一出版社の来し方については、本文に当たられたい。小出版社のいろいろな出来事については、自分でもやってきたことで、ここで繰り返したくはない(これは、嫌だと言っているわけではないので、誤解のないように)。
 
ただここで、僕には、著者のしていることで、どうしても肯けないことがある。それは仕事をしてゆくときの仲間、スタッフの問題である。

「二〇〇四年の時点(〇三年の実績)での新刊点数は、十八点しかありませんでした。これだけの点数ではどうしようもありません。すくなくとも、倍増、三倍増くらいは必要です。・・・・・・
 新刊点数を増やすためには、スタッフを増やす必要があります。同じスタッフのままでは、新刊点数の多少の増加はありえても、倍増、三倍増は無理です。ですから、新刊点数を増やすことを第一に考えて、スタッフを増やそうと考えたわけです。」
 
こういう考え方に、僕は与しない。もちろん、いろんな考え方があっていい。しかし出版をやるのであれば、何通りもの考え方を、自分一人で選び取るわけにはいかない。たぶん最初に、ある規模の出版社を考えて、しかる後に企画を考えるというのは、ごく当たり前の考え方なのだろう。でも僕は、このやり方を取らない。

著者が企画を、溢れんばかりに持っていて、それで手が足りないというのなら分かる。そうではなくて、とにかく生産額(=定価×部数)を上げるために、人手がいるとなると、そういう出版社は、読者にとっては迷惑なだけだ。それが、文学を中心とする、ハイブラウな出版社であっても、変わりはない。
 
それにしても出版は、本当に大きな曲がり角にある。20年前、2兆6千億あった売り上げは、2017年には、1兆5千億を切りかけている。
 
もっとも、本当の危機は売り上げではなく、本の中身の問題である。しかし、これはまた別に、論じるべきものであろう。
 
著者がここで、いくつか論じている中で、目からウロコだったのは、取次の問題である。
1999年に、人文科学書を中心とする柳原書店が倒産する。2001年には、岩波を中心として、人文書の主だったところと取引のあった、鈴木書店が倒産する。そうして2015年には栗田出版販売が、2016年には太洋社が、いけなくなる。二大取次のトーハン、日販も、売り上げは最盛期の6,7割だという。
 
そこで著者は、根本的な疑問を出す。
「そもそも、再販制度に『守られて』、戦後、数十年、いわば『発展しつづけてきた』取次が、なぜ倒産するのか。出版業に特有の『返品』のリスクはすべて出版社が負うわけであり、他業種にくらべればそう多くないとはいえ、一定のマージンが入ってくるはずの取次が、たとえ売上高が年々減少し続けているとはいえ、いったいなぜ倒産しなければならないのか。」
 
うーん、これはコロンブスの卵。そういえば、マージンだけとっている取次が、出版社や書店を差し置いて、なぜまっさきに潰れるのか(とはいえ出版社も書店も、先を争うように潰れているけどね)。

「出版業界が今後とも『健全に』発展してゆくためには、倒産をなくすためには、倒産の『原因』が分からなくてはなりません。関係者が公けの場で、倒産の真の『原因』について、はっきりと発言してくれないことには、柳原書店の倒産、鈴木書店の倒産、栗田、太洋社の倒産が、業界全体の『経験』にならないのではないでしょうか。」
 
どうしてこんなことが、著者が問題にするまで、分からなかったんだろう。それとも、著者と僕が分からないだけで、みんなには分かっているんだろうか。
 
そのほか、インターネット書店などについても論じられている。また製作原価や、印税、原稿料について、さらには制作との絡みでいう人件費、在庫の考え方まで、問題にすべきことは、すべて網羅している。
 
その考え方を首肯するにせよ、疑問符をつけるにせよ、いま出版を考えるうえでは、じつに適切な書物である。

(『風から水へ―ある小出版社の三十五年―』鈴木宏、論創社、2017年6月25日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 16:25Comment(0)日記

出版の裏表を全部語る――『風から水へ―ある小出版社の三十五年―』(3)

著者はその後、三人の先輩編集者に会ったことを思い出している。
弓立社を立ち上げた宮下和夫、『現代思想』『エピステーメ』などを創刊し、最後は哲学書房によった中野幹隆、『パイデイア』の竹内書店から中央公論社、メタローグに移り、最後はフリーになった安原顕の三人である。この三人を挙げるところからして、著者は、小出版社への道のりを、選んだのか、選ばれたのか・・・・・・。
 
三人のうちでは、僕は、中野幹隆さんに思い出が深い。トランスビューを創業するとき、中野さんに会って話を聞いた。中野さんは、山の上ホテルのシェ・ヌーで、昼飯をご馳走してくれた上に、こと細かにいろんな注意をして、そして最後に「言っても聞かないと思うけど、出版社をやるのは、おやめなさい」と言われたのだ。もちろん僕は聞かなかった。中野さんも、本気では言わなかった、というか諦めていたと思う。
 
著者は中野さんと、もう少し親しく接している。
「・・・・・・中野さん(だけでは無論ないのでしょうが)の姿勢、態度をできるだけ真似するように心掛けました。具体的に言えば、初めてつきあう執筆者の場合、まず、必ず会う、原稿を受け取るのも必ず会って受け取る――近年は、原稿の依頼も受け取りもeメールですませ、執筆者の顔も知らないといった編集者もいるなどということを聞きますが、論外です――」
 
中野さんは、『現代思想』や『エピステーメ』によって、また哲学書房の出版活動によって、1970年代以降の哲学・思想の出版シーンに、多大な影響を与えた人である。

「七〇年代以降、われわれをとりまく哲学・思想の「風景」は一変しました。〈構造主義革命〉が起こったわけです。・・・・・・この変化、敢えて言えば、この〈革命〉に加速度を与えた、ということはできると思います。それが中野さんの最大の功績ではないでしょうか。
 ・・・・・・中野さんが亡くなったとき、こういうことをはっきり言うひとがあまりいなかったのは、残念でした。・・・・・・中野さんの功績はいずれ正当に評価されるべきだし、されるだろうと思います。」
 
そこまで言ってもらえれば、中野さんも本望だろう。
そうして次に、創業が来る。
posted by 中嶋 廣 at 18:28Comment(0)日記

出版の裏表を全部語る――『風から水へ―ある小出版社の三十五年―』(2)

その後、鈴木宏さんは、国書刊行会で編集の仕事をする。その内容は、小出版社なら、みんなやっていることだ。

「著者、訳者と企画の相談をし、会社に企画書めいたものを提出し、上司と話し合い、著者、訳者に原稿を依頼し、ときどき催促する。原稿ができあがれば、赤字で指定を入れて印刷所にまわす。装幀を依頼する。校正し、校了にし、見本をチェックする。これはこれで、もちろん面白かったし、・・・・・・それはそれで『幸福』でした。」
 
本当に、こういう時期があるのだ。僕の場合は、二度目の会社がそうだった。
 
著者はここで、『世界幻想文学大系』や『ゴシック叢書』を手がけることになる。『幻想文学大系』のブック・デザインは、杉浦康平。著者が出版を志すようになってから、最初に出会ったブック・デザイナーだったという。著者はここで、もう出版の女神に魅入られているのだ。

「杉浦さんは、非常にはっきりしたポリシーをもった方で、いっさい(といっていいのかどうか分かりませんが)『妥協』ということをしない方でした。簡単に言うと、『私のプラン通りにやってください。無理なら、どなたか別の方に頼んで下さい』ということです。もちろん私は、杉浦さんの『造本』プラン通りにやりました。」

駆け出しで、「造本」と「装幀」の区別もできない、新米編集者の著者は、当代並ぶもののない、超の付く一流デザイナーに、「それと明確に認識することもなく、『猪突猛進』の精神で」、十五巻ものシリーズの「造本」を頼んだのである。

これを、ただ幸運なだけの出会いとは呼ぶまい。たとえ駆け出しであろうと、著者は杉浦さんと、十五巻もの仕事をしたのだ。著者は、杉浦さんに、編集者として選ばれたのである。
 
並行して取りかかることになった『ゴシック叢書』は、装幀を加納光於に依頼した。駆け出し編集者には、大きすぎる名前である。しかしこれも、いってみれば編集者として「コンビ」を組んで、装幀の仕事を成し遂げている。こういうことは、なんでもないことのように書かれているが、著者はこの段階で、選ばれているのである。

そして、かの『ラテンアメリカ文学叢書』に挑むことになる。

「・・・・・・六〇年代に欧米の読書界にときならぬ「ブーム」を巻き起こしたラテンアメリカの現代文学をある程度まとめて紹介しようとしたものです。その鼓直さんに編集責任者になっていただき、斎藤博士さんの翻訳によるボルヘス+ビオイ=カサーレス『ブストス=ドメックのクロニクル』を第一回配本、鼓直さんの翻訳によるカルペンテイエール『時との戦い』を第二回配本として、刊行を開始しました。」
 
この広告は、今でも鮮明によみがえってくる。僕はこの中では、コルタサル『遊戯の終わり』、マヌエル・プイグ『リタ・ヘイワースの背信』、オクタビオ・パス『弓と竪琴』、カルロス・フェンテス『聖域』、ガルシア=マルケス『ママ・グランデの葬儀〛、バルガス=リョサ『小犬たち/ボスたち』などを読んだ。
 
これは、毎月一冊刊行であったという。すべて本邦初訳で、このペースは信じられないが、しかし、これはという企画が、燦然と輝くときには、こんなことも起こりうる。著者は、大変ではあったものの(それは当然そうだろう)、紀田順一郎や荒俣宏らと企画を相談したり、訳者をお願いしたりするときは、とても楽しかったという。

『ラテンアメリカ叢書』の装幀は、中西夏之。中西は、本の装幀はできない代わりに、一冊につき一点、ドゥローイングを提供するという。

「そのドゥローイングを見返に四色で使わせていただくことにしました。全十五巻、すべて違う作品です。われながら、非常に豪華な見返だったと思います。いまなら、こういう、いわば『ぜいたく』な使い方はできません。」

こういうことができれば、もう編集者としては、もって瞑すべし、あとは余生といってもいいくらいだ。
posted by 中嶋 廣 at 19:05Comment(0)日記

出版の裏表を全部語る――『風から水へ―ある小出版社の三十五年―』(1)

これは「出版人に聞く」と題して、小田光雄がインタビューしたシリーズの、特別版である。特別であるから、シリーズの一冊には入れてない。

何が特別かというと、とにかく微に入り細を穿って、鈴木宏さんの35年の、来し方行く末を回想し、出版の内容だけでなく、経営の全貌までを見せている。

この出版社は、はじめ「書肆風の薔薇」を名乗り、途中で「水声社」と名を変えた。それで、それぞれ一字ずつ取って、『風から水へ』というわけ。

出版物の内容は、「文学(広い意味で前衛的な)・芸術(これも広い意味で前衛的な)・人文科学とオカルティズム」であると、創業の挨拶文にある。

文学・芸術・人文科学は、僕がやっていたトランスビューと、重なる点が多いようだが、微妙に違う。そして微妙に違うということは、たとえ近くですれ違っていても、交わるところがない、ということなのだ。

著者はどんな人なのか。
「・・・・・・私の人生は、よく言えば『平凡な』、主観的にはそれほど『面白みのない』ものとなりました。
 短いとはいえ、数十年の人生のなかで一番面白かったのが、二泊三日の留置場体験というのでは、あまりに情けない気もしますが、まあ、事実といえば事実です。」
 
著者は、僕よりも六つ年上で、1947年生まれ、留置場体験は、学生運動によるものだ。
 
出版に関しては、核心を、非常にはっきりと述べている。
「人間が人間になるためには、人間であるためには、『文学』が絶対に必要なのではないでしょうか。その意味では、『文学』は人間の条件です。『言語』『知性』『芸術』『遊び』『労働』『(生殖を目的としない)性欲』といったようなものが、人間と動物を分かつもの、人間の条件として考えられてきましたが、『文学』もまた人間の条件、非常に重要な条件のひとつなのではないでしょうか。」
 
これは、なかなか立派なセリフである。ただしこれを、表立って言うのと、内に秘めたまま、緊張感を保っておくのとでは、天と地ほどの違いがある、と僕は思う。
 
著者は、自分で出版社を作る前に、『幻想と怪奇』の雇われ編集者になり、そこが潰れたので、『幻想と怪奇』に用意しておいた「ボルヘス特集」を、自力で刊行しようとする。
そのときの著者の、刊行にかける意気ごみが面白い。

「考えてみれば、多少とも客観的にみれば売れそうもないものを、売れそうだと思い込んでしまうというのは、私の場合、このときに限らず、その後もしばしば起こったことです。進歩がないと言えば言えますし、編集者の『宿命』と言えば言えるのかも知れません。」
 
これはもう、まったくこの通りなのである。売れそうだと思いこむのは、僕の場合は、「しばしば起こったこと」どころか、毎回、刊行する直前は、必ずそう信じていた。本当にこれは、編集者の宿命、というか宿痾ですね。
posted by 中嶋 廣 at 18:53Comment(0)日記

「孤独なバツタ」のその後――『バッタを倒しにアフリカへ』(2)

ところで、サバクトビバッタとは、どんな生物なのか、いったいどういう害を及ぼすものか。これは日本人には、なかなかすんなりとは分かりにくい。

「その被害は聖書やコーランにも記され、ひとたび大発生すると、数百億匹が群れ、天地を覆いつくし、東京都くらいの広さの土地がすっぽりとバッタに覆い尽くされる。」
 
東京都の広さの土地が、すっぽりと、バッタの大群に覆い尽くされる。というのは、あまりに広大で、呆れて、怖気を奮うところまでもいかない。

しかも、覆い尽くすだけではない。食い尽くすのだ。
「農作物のみならず緑という緑を食い尽し、成虫は風に乗ると一日に100㎞以上移動するため、被害は一気に拡大する。」

東京都なみの群衆、というかバッタの群れが、一日に100㎞以上移動する。うーむ、想像できますか。

「地球上の陸地面積の20%がこのバッタの被害に遭い、年間の被害総額は西アフリカだけで400億円以上にも及び、アフリカの貧困に拍車をかける一因となっている。」
これは本当に、エライことなのだ。
 
このバッタは、しかし、いつ群衆として発生するかがわからない。孤独なバッタが、いつなんどき群れるのか、が分からないのである。そこで、その兆候を探るべく、著者の、獅子奮迅の活躍が始まる。

そしてついに、サバクトビバッタの大群に出合うのである。そこはちょっと戦慄が走り、また感動的でもある。

「遠くの空で黒い物体が不規則に動き、徐々にこちらに迫ってきていた。全身に緊張が走る。
 ・・・・・・この間も、移動を続ける群れは一向に途切れない。いまだに地平線の果てまで途切れることがない。すさまじく巨大な群れだ。モーリタニア全土のバッタが集結しはじめているのだろうか。」
 
こうして著者は、群れを追いかけながら、エサに関すること、飛翔に関することなど、いろいろなデータを、連日にわたって採集する。

「連日、私は研究の鬼と化し、刻一刻と彼らがまとう秘密のベールを剝がしていく。狂ったように飛びかうバッタと、狂ったように走り回る私。全身にバッタを浴びながら、データを採りまくる。」
 
そうしてついに、サバクトビバッタの謎が明るみに出される、と思いきや、それはぜんぜん解明されない。その代わりに、著者は全身、緑のタイツ姿で、バッタの前に立ちはだかるのだ(ここは著者の、緑の全身タイツ姿が、カラーで入っている)。

「このときを待っていた。群れの暴走を食い止めるため、今こそ秘密兵器を繰り出すときだ。さっそうと作業着を脱ぎ捨て、緑色の全身タイツに着替え、大群の前に躍り出る。
『さぁ、むさぼり喰うがよい』
 バンザイをして群れの中に身を投じる。少年の頃に抱いたバッタに食べられたいという夢は、今や人類を救う可能性を秘めている。先頭のバッタが私を食べようと着陸すれば後続のバッタたちもつられて降りて来るに違いない。」
 
うーん、これがクライマックスかい。まあ、理系の本でないことは承知していたが、最後のクライマックスが吉本新喜劇とはなあ・・・・・・。

「決死の覚悟をよそに、バッタたちは私を素通りしていった。慰めるように数匹のバッタがツッコミ代わりに顔にぶつかってくる。なんて冷静なやつらだ。全身タイツが偽の植物だと見抜きやがった。」
 
こうして「サバクトビバッタの謎」は、いよいよ第三巻、完結編に持ち越されるのであった。

(『バッタを倒しにアフリカへ』
 前野ウルド浩太郎、光文社新書、2017年5月20日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 16:08Comment(0)日記

「孤独なバツタ」のその後――『バッタを倒しにアフリカへ』(1)

前野ウルド浩太郎氏の前著である、『孤独なバッタが群れるとき――サバクトビバッタの相変異と大発生』(東海大学出版部)は2013年、第4回「いける本大賞」を受賞した。

同時に受賞したのは、白井聰『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版)、堀川惠子『永山則夫――封印された鑑定記録』(岩波書店)である。

「いける本大賞」の授賞式には、著者は三人とも見えた。『孤独なバッタが群れるとき』は、受賞理由を、僕が申し述べた。30歳を過ぎたばかりの前野ウルド浩太郎氏は、民族衣装に身を包み、神妙に、喜びを抑えながら聞いていた。

この年の三冊は、考えてみれば、絶妙の組み合わせだった。これは元講談社、鷲尾賢也氏の、見事な差配によるものだ。授賞式は例年のごとく、幻冬舎新書編集長、小木田順子さんの名司会で執り行われた。

ちなみに、著者の名前の「ウルド」というのは、モーリタニアでのサバクトビバッタの研究が認められ、現地でミドルネームを与えられたもので、「××の子孫」の意味であるそうな。

そこで二冊目の『バッタを倒しにアフリカへ』だが、これは一冊目を読んだ人間には、若干物足りない。
もちろん一冊目の『孤独なバッタが群れるとき』よりも、モーリタニアでの著者の活躍は詳細だし、筆の運びも手慣れてきている。

しかし肝心の、サバクトビバッタに関する叙述が、少なすぎるのだ。最初の本は、サバクトビバッタのデータが、詳細すぎると言えばいえる。つまりこれは、理科系の本なのだ。その分、モーリタニアの、日々の暮らしの叙述は少ない。

逆に二冊目の本は、モーリタニアでの日常が書きこまれた分だけ、サバクトビバッタのデータは少ないのである。でもこれは、ないものねだりをやめて、二冊あわせて読めばいいのだ、ともいえる。

まず最初に、著者の決意表明がある。
「研究対象となるサバクトビバッタは砂漠に生息しており、野外生態をじっくりと観察するためにはサハラ砂漠で野宿しなくてはならない。」

そこで落ち着く先は、モーリタニアの国立サバクトビバッタ研究所、そこのババ所長から、盛大な歓迎の言葉を受ける。

「砂漠で行うフィールドワークは過酷なので、研究者は実験室に籠りたがる中で、コータローはよくフィールドに来る決心をしてくれた。我々は日本から来たサムライを歓迎する。」
 
こうして著者は、「バッタネットワーク」の一員として、迎えられることになった。

通読小説ではあるが――『罪の声』(2)

もちろん本筋の描写も、きびきびしていて、なかなか上手いところもある。

「生島と青木が手を組み、必要最低限の人数で、質の高い犯罪者集団が誕生したようにも見えた。だが、彼らは決して対等ではなかった。時間が経つごとに〝プロ〟と〝アマチュア〟の自力の差が徐々に表面化する。」
 
これは、犯人グループが二つに割れるところ。もちろんこれは、作者の空想である。実際には犯人たちは、闇に紛れたまま消えて行くから、仲間割れは起こしていない、たぶん。けれどもこう描かれると、いかにも、と思えてくる。
 
こういう犯罪劇は、時代の背景をどこまで書き込むかで、奥行きが違ってくる。そこは腕の見せどころだ。この時代は、株をめぐって、いくつもの大きな事件が起きていた。

「犯人グループが摂津屋(=これは架空)へ脅迫状を送った約三ヵ月後、被害総額約二千億円の巨額詐欺事件を起こした豊田商事会長の永野一男が、マスコミの衆人環視の中、自宅マンションで自称右翼の二人組に刺殺された。その翌日『兜町の風雲児』こと中江滋樹が投資ジャーナル事件で逮捕される。第一次サラ金パニックの真っ只中で、拝金主義者たちが時代を闊歩した。」
 
また時代背景も、騒然としていた。
「・・・・・・八月十二日、五百二十四人を乗せた日航機123便が群馬県の御巣鷹山に墜落。その日を境に、人々の耳目は史上最悪の墜落事故に集まる。それから約一ヵ月後の『プラザ合意』により、日銀が公定歩合を引き下げ、日本は実体なきバブル経済へと突き進んでいく。」
こうして読んでいくと、なんだかあの頃が蘇ってくる。
 
通俗小説といえばその通りなんだけど、最後に一点、こんなところがある。最後に近い場面である。

「子どもを犯罪に巻き込めば、その分、社会から希望が奪われる。『ギン萬事件』の罪とは、ある一家の子どもの人生を粉々にしたことだ。」
 
こういうところが、じつにいい押さえになっている。僕は終わりまで読んで、ちょっと感動した。

(『罪の声』塩田武士、講談社、2016年8月2日初刷、9月21日第四刷)