最後の雑誌編集者――『言葉はこうして生き残った』(1)

本を題材に、類いまれな傑作が生まれた。著者の河野通和氏は、季刊雑誌『考える人』(新潮社)の編集長。この本は、彼が7年にわたって毎週発行している、都合300本余のメールマガジンから、37本を選んだもの。

でも、メルマガから選んだものというには、あまりに面白すぎるし、また考えさせられもする。時に対象と深く切り結び、時におおらかに、笑いをもって本に接し、その行くところ、出版社の歴史を紐解き、出版人・著者たちの過去から現在に及び、果ては古本、映画など、至らざるはない。
 
さっそく読んでゆこう。
まずは滝田樗陰である。大正元年に31歳で『中央公論』の編集長になると、執筆者たちは、樗陰の人力車が家の前で止まり、原稿を依頼されることを願ったと言う。
 
河野さんもまた、何代めか後の『中央公論』編集長である。後輩は、先輩をどう見ていたか。
「それにしても樗陰という男はとてつもないスケールの人間だったようです。……ともかく情熱家、活動家、努力家、並はずれた読書家にして健啖家であり、エネルギーの量がとてつもない人物であったことは誰しも認めるところです。・・・・・・
 さらに人に飲み食いさせることが大好きという性格の持ち主で、それがしばしば強引過ぎたため、『食らい殺されはしないかと、不安を感じた』人も少なくなかったようです。」(「燕楽軒の常客」)
 
ふつうは歴史上の、はるかかなたの人物だが、それにしては、ほかのところを読んでも、彼我の距離がどうも小さい。どうやら河野さんは、この怪物編集長に親しみを感じているらしい。
 
そういう例は、洋の東西を問わない。編集者、とくに大編集者が急場に陥っていたりすると、河野さんの筆は迫真の力を見せ、そして対象に乗り移る。

ウィリアム・ショーンは、『ニューヨーカー』の名物編集長だった。ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」、トルーマン・カポーティの「冷血」、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」は、ショーンが編集長をしているときに、『ニューヨーカー』に掲載された。

ハンナ・アーレントの「イェルサレムのアイヒマン」もまた、ここに載った(「ハンナ・アーレント」その1・その2)。これは掲載されるや、アウシュビッツのありふれた悪、つまり「悪の陳腐さ」でひときわ有名になるが、一方、ユダヤ人指導者たちが、ガス室送りに手を貸したことを明るみに出したために、アーレントと『ニューヨーカー』は轟々たる非難を浴びた。

ショーンの苦境は、アーレントがヨーロツパからの亡命者であり、英語が達者ではなかったことで、倍加する。アーレントは、原稿の表現を問題にする彼に食ってかかり、罵詈雑言を浴びせる。それでも彼は粘り抜く。その胸の内を、河野さんは的確に言い当てる。

「『編集者の自由』という先述の言葉に、おそらく尽きるのだろうと思います。書き手たちが『可能なかぎり自分自身でありうるようにしむける義務がある』というひと言です。そこで自らを抑制し、踏みとどまることが、身についた職業倫理――『編集者の自由』だと考えたのでしょう。」
 
ここまできて読者は、いよいよ河野さんは、大文字で書かれる大編集者の一人であることを、思い知るのである。

文章で音楽を――『蜜蜂と遠雷』

これはなんというか、音楽を文章で表現したいという熱意だけで、全編が貫かれている。

だからピアノコンクールに臨む、女主人公の栄伝亜夜や、それと釣り合うジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ・アナトール、養蜂家の父とともに各地を転々とする、ピアノをもたない天才児、風間塵、そしてコンクール年齢上限ぎりぎりの高島明石の四人は、少女マンガの登場人物に見える。
 
これでよく直木賞が取れたな。それが取れるのである。文章で音楽を現したいという以外のことは思っていないから。あとはほんとに通俗の極みである。むしろ、あとは通俗というのが、かえって主題を際立たせている。
 
音楽を文章で表現した、ほんのさわりのところ。
「しかし、ザカーエフのブレーキは故障したままだった。というよりも、完全にテンポについての意識がどこかに飛んでしまったのだろう。道路標識も、カーブも、すべてを無視して突っ走り、どこかにぶつからない限り彼の演奏は終わらないのだ。
 一本調子の、それもつんのめるような速さで演奏は突き進んでいった。」
 
これは、三次予選のトップバッターが登場するところ。三次予選まで来て、そのトップで焦っているところだ。
 
次は音楽に乗って、どこまでも、なんというか、イッてしまう様子。
「いいなあ、そこって、すごい気持ちよさそうな場所だよね。
 塵はうっとりとステージの上から吹いてくる風を受け止める。
 彼には、亜夜のいる場所が分かった。
 青々とした草原、降り注ぐ光。
 おねえさん、まだまだ、そこで飛べるよね。
 塵は目をつむり、亜夜と一緒に宙を舞っている。」
こういうところも、しかし考えてみれば、少女マンガ的ですね。
 
僕はこの作品を、かなり面白く読んだ。でも同じ著者の本は、もう二度とは読まないだろう。それは例えば、こういうところがあるから。
「ところが、逆に勇気を貰った。」
校閲は必ずや指摘したろうと思う。だから恩田陸は、確信犯としてこれをよしとしている。僕は駄目だ。

(『蜜蜂と遠雷』恩田陸、幻冬舎、2016年9月20日初刷、12月25日第7刷)

これは難しい――『独裁国家・北朝鮮の実像―核・ミサイル・金正恩体制―』(2)

そもそも北朝鮮と向き合うときの、心構えの問題がある。
「坂井 ・・・・・・北朝鮮というのは交渉するに値しない、決めても守らない国なのか、それとも、交渉でギリギリのところを狙ってくるかもしれないけれど、根本的には信頼できないわけではない国なのか、どう思いますか。
 
 平岩 私はどちらかと言うと後者だと思っていますね。北朝鮮って、確かにずるいところはあるんだけど、北朝鮮からすると日本やアメリカや韓国だって。・・・・・・
 北朝鮮が一方的に約束を破ったことというのは、あんまりないような気がするんですよね。」
 
ほんとかね。考えてみれば、そういう目で、北朝鮮を見たことはないから、盲点であると言えば言える。でも、北朝鮮、よくわからないなあ。
 
かつての6者協議についても、新しい見方が示される。もちろん僕にとって、新しいということだが。

「中国にとっての北朝鮮でのレッドライン(超えてはならない一線)は、北朝鮮自身が核戦力を増強することよりも、それに対する国際社会の反応、具体的には、アメリカの過激な行動であり、さらには韓国、日本、台湾が核保有に向けて動き始めることなのかもしれません。6者協議はそうしたレッドラインを越えさせないための枠組みと言ってもいいかもしれませんね。」(平岩)
 
へー、そうかあ、そういうことか。しかしこれも、見方によるだろう。
 
北朝鮮の経済状況は、もうどん詰まりまで来ている、という見方も根強い。北朝鮮で隠し撮りされた、地方の食糧事情などを見ると、いかにも悲惨なありさまである。

ところが、「経済状況全体に対する評価で言うと、韓国で出される様々な推計を見ても、金正恩時代になって以降、微弱ながら北朝鮮経済は成長の傾向にある。たしかに苦戦しているのは間違いないと思うけれど、それをもって、『ギブアップ寸前』と見るのはどうか。」(坂井)
 
たしかにこれなんかは、繰り返しやってるテレビの洗脳の臭いがする。
要するに、北朝鮮は破綻国家で、経済はちゃんと回っていなくて、若い最高指導者が気まぐれに、ちょっと気に入らないことがあると、身内を含む側近をどんどん粛清しちゃう、というような見方は間違っている。彼ら二人は、そういうことを主張している。
 
しかし現実には、どんどん側近が粛清されているし、金正男は暗殺された(もちろん、あれは別人であるという、北朝鮮の報道もあるにはあるが)。やっぱりまともな国として見るのは、そうとう無理があるとしか思えない。
 
ただ次のようなことは、僕には盲点だった。
「本当に核兵器を保有することが目的だったとすれば、明示的なやり方ではなく、秘密裏に開発することも可能だったと思います。」(平岩)
 
たしかに核を秘密裏に開発し、それを隠し持っておくというのは、考えればありそうなことだ。と言うよりも、その方が恐ろしい。

しかし、そうでないやり方を、北朝鮮はとっているわけだから、核は「見世物」と考えたほうがよい。もちろん核を誤って誤射するのは、いかにもありそうな話で怖いけども。
 
他にもいろいろな点で、この本は勉強になった。なによりも北朝鮮の立場に立ってみると、というのが新鮮だった。
 
しかし一方に、個人崇拝の狂気の世界が渦巻いていて、これも僕の頭では、どうしようもなくリアルだ。

(『独裁国家・北朝鮮の実像―核・ミサイル・金正恩体制―』
  坂井隆・平岩俊司、朝日新聞出版、2017年1月30日初刷)

これは難しい――『独裁国家・北朝鮮の実像―核・ミサイル・金正恩体制―』(1)

これは、編集者のNさんが送ってくれた。いまふうの文芸ものばかり読んで、いい加減な感想を述べてないで、たまには骨のあるものを読んで書評してみなさい、ということだと思う。
 
でもこれを読んでいるとき、金正男(と思われる男)の暗殺が起こった。そしてまた北朝鮮は、ミサイル4発を打ち上げた。そういうことを見たり聞いたりしていると、テレビや新聞と、この本との乖離は、凄まじいと思う。
 
それはともかく、まず読んでみよう。この本は、坂井隆・平岩俊司の対談本である。
「大量破壊兵器の存在を疑われ実際に持っていなかったイラクのフセイン、核を放棄したリビアのカダフィの事例から、体制を維持するためには絶対核兵器を持たなければならない、北朝鮮指導部はそう確信したのだと思います。」(平岩)

「北朝鮮にしてみれば」というのが、二人の対談者の基本姿勢で、考えてみれば、これは当たり前の姿勢だが、しかし北朝鮮の立場に立ってみる、というのは新鮮で珍しい。

坂井隆氏は、元公安調査庁で北朝鮮を担当、平岩俊司氏は、関西学院大学や南山大学で教鞭を取り、専門はやはり北朝鮮である。

「気を付けなきゃならないのは、あの国を『わけの分からない国だ』とか、『若い指導者が気まぐれで何かやっている』と見ないことです。彼らは彼らなりの目的を持って着実に邁進している。」(平岩)
うーん、そうかなあ。とてもそうは思えないんだけど。

「アメリカや韓国は『これ以上放置したら危ない』という状況が生まれないと交渉に応じてこない。だから北朝鮮の瀬戸際政策もだんだん過激になっていくわけですね。」(坂井)
 
北朝鮮の立場に立てば、そういう言い方もできるかもしれない。でも逆に無理に緊張を高めるだけで、かえって北朝鮮は面倒だ、そこから北朝鮮危うし、とならないだろうか。トランプがしびれを切らし、面倒だ、核を先制でお見舞いしてやるぞ、とならないだろうか。僕はこの方が、危ないと思うけど、でもわからない。追い詰められた者には、追い詰められた者の、切羽詰まった思いがある、ということだろうか。

「核問題は、『開発』『拡散』『配備』のステージがあるわけです。・・・・・・拡散のところはなんとしても止めなければ、とりわけ中東のテロリストに北朝鮮製の核が渡るというのは悪夢だと。これが1回目の核実験のあとのブッシュ政権の基本的認識だったと言ってよいでしょう。」(平岩)
こういうこともあるんだから、国際政治は本当に分からない。

「冷戦期は東西冷戦の枠組みで自分たちの安全はなんとか維持できていたけれども、冷戦の終焉とともにソ連、中国が韓国と国交正常化してしまい、自分たちだけが一方的にアメリカの脅威にさらされてしまっている、この状況を何とか解消したい、というのが、いまの彼らの理屈なんだと思うんですね。」(平岩)
 
こういうふうに理路整然としゃべってくれれば、対処の仕様もあると思うんだけども、こちらが、そういうふうに忖度しなければならないということは、北朝鮮の極度に貧しい外交政策のなせる業ではないか(なーんて、ちょっと「専門家」みたいだ)。

奇妙な余韻――『あひる』

「あひる」「おばあちゃんの家」「森の兄妹」の三作を収める。濃淡はあるが、どれも不思議な味わいを残す。

「おばあちゃんの家」と「森の兄妹」は、あまりに淡彩で、これではよくできた子供の作文と、区別がつかないと言われそうだ。たしかにそうだが、よく読むと、文章は丹念だが、それが危ういところに立っている、という気がしてくる。こういう文章こそを、的確に書評しなければいけないのだけれと、難しい。

「あひる」は他二作に比べれば、奇妙な味が際立っている。「のりたま」というあひるを譲り受けて、飼い始めるのだが、そこへ近所の小学生が連れ立って、のりたまを見にくる。晴れた日には庭先で、何人もの子供たちのがやがやという声がする。

「わたしは終日二階の部屋にこもって、医療系の資格を取るための勉強をしていたので、初めはそんな状況の変化に戸惑った。でもじきに慣れて、気づけば外から聞こえてくる笑い声もあまり気にならなくなっていった。」
 
ここまで、非常にスムーズに流れてくるが、しかし子供たちの声が、庭先で毎日聴こえてくると言うのは、考えてみれば、ちょっとおかしいと言えばおかしい。話者の女は、「医療系の資格を取るための勉強をしていたので、」などと、もっともらしいことを言うので、そのまま行き過ぎてしまうが。

「かわいいお客さんが増えて、父と母は喜んだ。・・・・・・孫がたくさんできたようだと、両親は縁側から庭を眺めながら、顔をほころばせていた。」
 
非常にスムーズに読めるので、ここまですんなり来てしまうが、考えてみれば、毎日毎日、小学生を歓迎するのはちょっと変である。しかし、変ではないという意見も成り立つ。
 
そのうちに、のりたまの具合が悪くなって、動物病院に入院する。二週間たって、のりたまは病気が治って帰ってくるけども、それはどうも、のりたまではないようだ。

「のりたまじゃない、という言葉がのどまで出かかった。本物ののりたまはどこ行った?
 でも、何も聞けなかった。父と母が緊張した様子で、わたしの次の言葉を待っているのがわかったからだ。
『べつにどうもしない』と、わたしは言った。」
 
父と母が緊張した様子で、次の言葉を待っているから、「わたし」は本当のことが聞けない、と言うのもおかしな話だ。
 
そういうことが何度かあり、そしてあひるは死ぬ。それで話はおしまいだけど、その間、子供たちが家に入ってきたり、誕生日会でご馳走を用意するのだけど、誰も来ないということがある。でも、誕生日会に誰も来ないわけは、分からない。
 
その誕生日会の日に、夜、突然、子どもがひとりやってきて、カレーや誕生日のケーキをたらふく食べて、さっと帰る。

「わたし」は一晩考えて、あひるが男の子の姿を借りて、現われたと分かる。でも、あひるが現われたと分かる理由は、分からない。

「『のりたま』
 小屋の外から呼びかけた。せめて直接伝えたかった。
『ゆうべはありがとう。お父さんとお母さん、あなたが来てくれて嬉しそうだった。』
のりたまは返事をしなかった。」
 
そういうわけで、夜、子供がカレーをご馳走になるところが、一つのクライマックスだと分かる。
 
そんなふうに、いろいろと分かることが、後からぽろぽろと出てくるが、でものりたまの替え玉が死んだことを含めて、だいたい中に浮いている。その浮き方が地上数センチで、なんともおかしい。

それゆえ「あひる」は、長く奇妙な余韻が残る。

(『あひる』今村夏子、書肆侃侃房、2016年11月21日初刷)

着想はいいが――『コンビニ人間』

「しんせかい」以来、芥川賞づいてしまい、『コンビニ人間』も読んでみた。これは割とじわじわ来て、50万部を超えたというから、期待して読んだ。
 
結論から言うと、たいしたことはない。
主人公の女はアスペルガーである。それが成長するにつれて、どうなるかと思って読んでいたのだが、着想どまりだった。
 
たとえば、冒頭のあたりで、こういうところがある。
「小学校に入ったばかりの時、体育の時間、男子が取っ組み合いのけんかをして騒ぎになったことがあった。
『誰か先生呼んできて!』
『誰か止めて!』
 悲鳴があがり、そうか、止めるのか、と思った私は、そばにあった用具入れをあけ、中にあったスコップを取り出して暴れる男子のところに走って行き、その顔を殴った。」
 
こういう女の子が、どういう半生を辿ることになるのか。ひょっとすると、殺人まで犯すことになるのかどうか。誰でも、そういうことの想像までは行くだろう。
 
しかしその想像は、はるか手前のところでストップしてしまう。
「『いらっしゃいませ!』
 私はさっきと同じトーンで声をはりあげて会釈をし、かごを受け取った。
 そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。」

開始20ページでこれだから、いやが上にも期待は高まる。
しかし終わりまで行っても、そこから一歩も出ることはない。

山下澄人の「しんせかい」といい、村田沙耶香の『コンビニ人間』といい、こんな片隅で、ちょっと外れた人間を描くばかりで、いいんかね。ほんとうにテレビと同じで、まともな人からは、相手にされなくなるよ。
 
そういえば、老健久我山のデイケアで会うKさんが、『コンビニ人間』は、あれはああいうもので、ちょっといいところもあるけど、でもああいう具合でしょう。昔は芥川賞も、該当作なしというのがあったけど、今は不況だから、とにかく何でもやらなければならない、と痛烈なことを言っていた。

(『コンビニ人間』
村田沙耶香、文藝春秋、2016年7月30日初刷、2017年2月10日第15刷)

奇跡の対話――『死と生きる―獄中哲学対話―』(2)

一審で死刑判決が出たが、陸田氏はこれを当然のこととして受け入れ、控訴はしないという。それに対する池田さんの返事はこうだ。

「全然、甘い。
 端的に私は、そう感じました。がっかりです。人を殺しておいて、そのうえ、かっこよく死んでやろうなんて、考えが甘すぎます。・・・・・・かっこよく死ぬことと、善く生きることとは、全く関係がありません。あなたはそこを、ごっちゃにしている。甘えるな。」
 
死刑囚だろうか何だろうが、全然お構いなし。そうでないと、相手の胸に届かない。とにかく、気軽に会って話して、という関係ではない。それどころか、時間もないし、相手を見すえて真っ向から立ち向かっていかないと、対話は成り立たない。
 
それにしても、まずは文章の書き方から、指導しなければならない。
「文章を書く際に、くだらないほうの人間を読者に想定しては、絶対にいけません。常に自分にとって最高と思われる読者をのみ、遠くに想定し、『その人』に向かって書くのです。」
 
でも睦田氏には、それだけでは漠然としすぎているかもしれない。そこで池田さんは、たとえば自分にとっては、こういう読者が相手になると説く。

「たとえば、私にとって最高の読者とは、真理を受けとめてくれる相手としての『神』であり、あるいは、より賢明である(だろう)数千年後の人類です。歴史上の偉人や哲人である場合もあります。文章を書くことを『いいほうに意識する』とは、つまりこういうことです。」
 
そうして陸田氏を、ピンポイントで射抜く。
「とはいえ、あなたには、往復書簡というこの形式において、とりあえずは私という『読者』がいるのだから、私にのみ向かって書くこと、そして、よそ見をしないこと、あらためて念を押しておきます。」
 
それでもやはり大変である。睦田氏は回心し、善く生きようとして、いろいろなことを学び始める。そして踏み迷って出られなくなる。池田さんはそれに対して、時に優しく、しかし大半は単刀直入に、相手に魂を込めた言葉を投げかける。

「あなたは、悪いと知らずにそれを為し、為してからそれを悪いと『知った』。これはいったいどういうことなのか。ここで起こったことはなんなのか、殺人を犯してのち、それを悔悟するという稀有な経験を経た者として、もう一度きちんと語ってみて下さい。」
 
こうして彼は、誰も語ったことのない当事者としての物語を、語り始めるのである。

(『死と生きる―獄中哲学対話―』
池田晶子・陸田真志、新潮社、1999年2月20日初刷)

奇跡の対話――『死と生きる―獄中哲学対話―』(1)

続いて『死と生きる―獄中哲学対話―』を読む。これは池田晶子さんと陸田真志の共著である。陸田氏は都内の風俗店に勤め、そこでの強盗殺人等により死刑を求刑されていた。
 
池田さんは、陸田氏からの問いかけに対し、全身全霊をもって応えようとする。
「私は、急ぎ彼にあて手紙を書いて出した。・・・・・・その内容は、つまり、『控訴せよ』。死ぬのはいつでも死ねるのだから、やるべきことをやってから、死ぬように。」
 
つまり、改心した人間が、「善く生きる」とは、どのように生きればよいのか、それを示してから逝くように、という内容である。
死刑囚に真っ向からこういうことが言えるのは、池田さんをおいて他にはおられない。
 
最初、陸田氏は、「死刑になってもならなくても、よく生き、死んでいく事、正しくある事が、私がこの先できる唯一の償いだ」と、悟ったふうなことを言っている。
 
それに対し、池田さんは、次のようなところから入る。
「善く生きるということは、明らかに、そのことを『人に伝える』ということを、含んでいるのです。」
こうして「獄中哲学対話」、往復書簡が始まる。

陸田氏は三通目の手紙で、こんなことを書く。
「池田様やプラトンの著書や新約聖書が、つまりソクラテスやイエスの考えが、私にも共感できたのは、それが『真実、義、真理』、言葉はどうあれ『正しかった』からだ、そう思えますし、同時にそれが池田様やプラトン、ソクラテス、イエスの考えではなかったからだ。つまりそれが彼らの『考え』であって、『彼らの考え』ではなかったからだ。」
 
これを読んで、池田さんはびっくりする。
「きょうび、滅多に聞くことのできない正しく真っ当な言葉、それをまあ、獄中の殺人犯から聞くことができるなんて」
 
これは、本当にそうだ。誰の考えでもない無私の精神、そこから出た言葉でなければ、響いていくことはできない。でもそれは、例えば池田さんの言葉としてある。陸田氏が言うのは、そういうことだ。

いつでも会える――『新・考えるヒント』(2)

次は「学問」から。
「常識と随筆的方法との用意があれば足りることだけは果そうと思うのである。」
このあたりは、小林秀雄そのものだ。

「論証性だの客観性だの、まだるこしい手続きを踏まずにすむ批評という方法は、小林にこそふさわしいものだったのだ。」
これは、池田さんにもそのまま当てはまる。

そして池田さんは、次のように書きつける。
「小林秀雄の『考えるヒント』に倣って、考えつくところをこうして書いているわけだが、書いているうちに、彼と我とが判然としなくなってくるところが、今さらながら面白い。この経験こそ、考えるということの醍醐味、一種忘我の、と言えば誤解を招くなら、小林ふうに無私の、と言おうか、精神が自身を味わうことの喜びであろう。」
 
読者は入りこんでいるから、いかにももっともと、小林・池田と並んで、一緒に陶然としていられるが、よく考えると、これはちょっと恐ろしい、というか凄いことだ。こういうところを軽々と翔け回るのが、池田さんの真骨頂だ。
 
これはどちらの言葉だか、わかりますか。
「人生について考えるという、誰もがしているはずのこの当たり前のことが、しかしこれを正しく行うということは如何に困難なことであるか。」
これは、池田さんの口を借りて出た小林秀雄の言葉だ、と思えてならない。
 
次の言葉は、池田さんの「永遠性」を、そのまま語る。
「永遠に存在するものは、有限な肉体としての私ではないのだから、そう呼びたければそれを霊魂と呼んでもいい。何と呼んでも構わない。しかし確かに知られるのは、この永遠性をこそ道徳として、これに即して地上の人間は生きてきたという事実である。」
 
こういうことをはっきり言える人間が、本当にいなくなった。
三か月に一度くらい、二人で酒を飲んでいるとき、たまたま「私、文部大臣になりたいの」と、酔いに任せて仰ることがあったが、あれは存外、しらふの台詞だったのだと思い返す。
 
最後の章の「無私の精神」が、真骨頂中の真骨頂である。
池田さんは、理屈を言うのが嫌いだし、意見を言うのが嫌いだった。これ、分かりますか。だから、話が飛ぶようだが、例えば闘病記の類いも、いっさい載せなかった。そんなこと、個人の事情じゃないの、と。

それゆえ、
「たとえば『私とは何か』と考えているところの、その『私』とは、では主観的なものと言うべきか、客観的なものと言うべきか。」

私とは誰か、という問いがある。このとき、私とは誰か、と問うている「私」こそが問題になる。この「私」は、誰でもないところのものである。

「これを逆から言えば、無私でなければ人は考えられないはずだということである。『私である』ということは、われわれの常識中の常識、いわば大常識であるが、これを意識化してみれば、『私』は以前の私ではない。」
 
僕はこういうことを、池田さんが生きていたときは、頭では理解していたけれど、府に落ちてはいなかった。本当に申し訳ないことをした。
 
いま池田さんの言葉は、「それを霊魂と呼んでもいい。何と呼んでも構わない」が、肉体が消滅したぶん、それは、かえって直接、響いてくる。

(『新・考えるヒント』池田晶子、講談社、2004年2月10日初刷)

いつでも会える――『新・考えるヒント』(1)

用があって、久しぶりに池田晶子さんの『新・考えるヒント』を読んだ。読めばたちまち、池田さんの世界へ連れて行かれる。

「書物はいよいよ売れなくなって、書き手と作り手は、いよいよ安い言葉を売りに出すようになる。この悪循環の中で忘れられてゆくのは、言葉は交換価値ではなく、言葉それ自体が価値なのだという、当たり前の事実である。」
 
これは池田さんが、口を酸っぱくして言っていたことだが、分かる人間には分かるし、分からない人間には分からないことだ。ただ口を酸っぱくして言っていると、あるとき、ある人間に、はっと分かる場合がある。これはもう、はっと、という以外に、分かりようがない。

「本当にそんなふうに思っているなら、高価な言葉を高価な値段で売る方を目指すべきだろう。言葉を価値と知る者なら買うはずである。マーケットはそれで成立するはずである。」
 
たしかに、池田さんの場合は、それで成立した。文庫という、安いしつらえに変える必要もなかった。ただし、それで成立したのは、現代では池田さん、ただ一人だ。
 
これは、池田さんの言葉はただ一人、「無私なところ」から生まれて、池田某の口を使って出てきたからだ。でもこれも、わかる人にしかわからない。

ただ、池田さんの本が、亡くなって十年経った今も、ぜんぶ新刊で買えることを考えれば、つまり絶版が一冊もないことを考えれば、読者の慧眼に頭が下がる。いや、これも、池田さんの見抜いたとおりだったというべきか。

『新・考えるヒント』は、小林秀雄の『考えるヒント』を自在に織り込みながら、小林へのオマージュを謳い、時に掛け合い、時にジャンピングボードとして、「言葉」ほかを自在に飛翔したもの。

なかで印象的な言葉を引いておく。
「人は、『生きる』という言葉なしに生きることはできない。言葉なしに生きることはできないのである。」
空気がなければ人は死ぬが、言葉がなくても人は生きられる、と思っているが、全然そんなことはない。

「この世界に生まれてきたばかりの赤ん坊の自分にとって、言葉の獲得とは、そのまま世界の獲得であったという、あの絶対的な事実を思い出すことだ。」
そう、あの絶対的な事実を思い出すこと。